責任は他人にのみあるのか
2026年9月7日

「他責思考全開の教団」と、ジャーナリストの鈴木エイト氏は、統一協会について評している。先般、統一協会総裁・韓鶴子被告人が懲役2年の実刑判決を受けた。日本のニュースソースはこれを殆ど報じなかったというのである。
信者による猛烈な言論攻撃がなされていることに関係するのかもしれない。
教団内部から反対の声が出ても、世間は耳を貸さないだろう。それで、教団とは無関係であることを装い、一般からの視点として、裁判はおかしいとか、信教の自由を侵す憲法違反だとか、さも正論のように大量の声を撒き散らすことが行われている。すると、何も事情を知らない人々が、これだけたくさんの人が憲法違反と言っているのだから、裁判所の権力はけしからん、と思わされるようになる。それを狙っているわけだ。
言うまでもなく、憲法は心情を否定することが人権を奪うと言っているのであって、この統一協会の教義を信ずることについては、裁判所は何も言っていない。そうした人々が集まることについて、禁止するような判断はどこにもない。ただ、犯罪集団に保護を与えることはできない、としているだけである。
半世紀前、統一協会がどのようなことをしていたか、いまとなっては知らない人々が、自分たちに都合の好い尤もらしい理屈を表に出す声に、惑わされる可能性はある。SNSでの大量の投稿は、それを狙っている。そして日本を愚民の国と見て、そこから金を巻き上げることは神の正義だという「教義」を立て、韓国の本部に何千万、何億という金を金持ちから奪って送ることで救われる、として、「再臨のキリスト」がここにいる、という「教義」を、人の心を操るかのようにして、信じさせていった歴史については、ひた隠しにしている。その「再臨のキリスト」ももう死んでしまったけれども。
教団から家族が若者を引き戻したキリスト教の牧師などに対して、それこそ洗脳で人権蹂躙だ、という反論もなされるが、その前に教団が何をしていたか、については決して表に出さないのである。これは確かに、指摘されているように、自らの責任を感じることなく、他人にのみ責任を被せる姿勢であると言わざるを得ないだろう。
だから、できるだけ昔からどのようにして教団が金を集めていたか、についての適切な情報が、もう少し伝えられてもよいかもしれない。教団から
NHKが韓国でのトップの逮捕や裁判について殆ど報じないのは何故か、と勘ぐるような声も聞かれる。私は、「報じている」のを見たら証人になれると思うが、すべての番組や報道を見ているわけではないから、「報じていない」かどうかについては、証人になることはできない。
日本から多額の「献金」を集めたその犯罪に対して報道しないというからには、日本の政府との絡みがあるからだろう、という推測である。恐らくただの推測ではないとの見通しが、昔からあるわけだが、民放関係も殆ど言及しないのは、放送業界全体に何かしら共通理解があるのではないか、と見る人もいる。
この問題で、追及されていないのは、政治との関係だ。統一協会は、欧米では宗教団体ではなく、政治経済的団体だと見られているようである。日韓トンネル計画がどうなったか知らないが、金満日本から韓国に金がどんどん流れるルートをつくり、罪にまみれた日本は当然金を、神の国韓国に献げる、それが神の正義である、ということを一方で掲げつつ、日本の政治家を味方につけて、日本の政治を牛耳ろうという目論見が明らかであった。
残念ながら、日本の政治家もそこまで愚かではなかったから、教団の計画通りにはならなかったのだが、日本の政治家も、教団の「反共」と手を組み、旧い日本に戻すために役立つものとして、教団を利用しようとしてきたのである。その日本の政治家については、とんと追及がなされていない。現に元首相がこの問題に関係して殺されたというのに、それは情緒的にしか扱われず、教団との関係がいくらあっても、また新たな首相に就かせるなどのことが平気で行われる土壌がある、と言わざるを得ない。
水に流すのが得意な民族ではあるだろうが、政治のこれまでについて追及することは必要である。また、心理的レベルに置いては、「自分に責任はなく、他人にだけ責任がある」とするのが正義であることを自ら禁ずるくらいの道徳が、最低備わるような人間社会であってほしいと願うばかりである。
もちろん、追及していない、という意味では、小さな個人であるこのような者も、責任を感じている。