【メッセージ】熊は出たのか――エリシャ(3)――

2026年8月30日

(列王記下2:19-25, 黙示録11:1-3)

エリシャは振り返り、彼らを見て、主の名によって呪った。すると、森から二頭の熊が出て来て、子どもたちのうち四十二人を引き裂いた。(列王記下2:24)
 
◆エリシャの時代
 
エリシャを主人公と見て連続講解説教のような形をとっていますが、ここで時代背景を一度整理しておきましょう。エリシャは、紀元前9世紀頃に活動していたと思しき預言者です。場所は、基本的に北イスラエル王国です。すでに二つの王国に分かれて時が経っていますので、イスラエル民族は二つの王国をもつ、という常識の中にいました。ユダのヨシヤ王による宗教改革は紀元前7世紀とされていますから、まだ宗教的にしっかりした柱となるものがなかった可能性があります。けれども、預言者の活動はなされていました。
 
南ユダ王国の記録が旧約聖書には強いため、北イスラエル王国には、偶像がひしめき合い、神ならぬものを拝むとんでもない国であったような印象を、読者に与えるかと思いますが、私は必ずしもそうだとは見ていません。確かにエルサレム神殿を有するユダからすれば、そう評して北を貶めたいかもしれませんが、他方ユダもユダで、王によっては実に酷い偶像崇拝を率先してやっていたり、放置していたりした様子も記録されています。北だけが偶像礼拝にかまけていた、とすることはできません。
 
どっちもどっちです。ただユダは、主の愛したでビデの子孫が延々と続いたことは確かなようです。これは奇跡的なことでした。南ユダ王国でもクーデターが起こったことがあり、ダビデ王家が全滅するかと思われる危機のときもありました。が、幼い後継ぎがなんとか守られ、ダビデの血統はずっと続くのでした。北イスラエル王国だと、同じクーデターでも、一族の血は絶え、別の家系に王位が渡されては、また数代で滅びるといった具合で、血統は続かなかったのです。
 
尤も、そうやって保たれたダビデの子孫として生まれたイエスは、父ヨセフの血が流れていない、というのが新約聖書の主張ですから、生物学的には、イエスにダビデの血は流れていないことになります。
 
エリシャが預言していた時代は、アハブ王の時代から四、五人の王を数え、半世紀ほど活躍していた可能性があります。この時代、北イスラエル王国が、アラムのような周囲の強国からの侵略や度重なる旱魃に苦しみ、宗教的にもバアル信仰などが蔓延し、霊的にも退廃していたと見られています。
 
◆水を清めた話
 
エリヤが天に挙げられ、その外套を受け取ったエリシャは、独り立ちします。河の手前で立ち止まっていた50人の預言者仲間は、この様子を目撃していたかどうか、知りません。ただ、エリヤが消えたことは承知していました。すぐにエリヤを探しに行こうとしますが、エリシャはその必要はない、と言いました。もう立派に独りで立っている印象を与えます。ここからはエリシャの独擅場です。それは、次第に成長してゆく、というタイプではありませんでした。確かに、エリヤがいるときは、エリシャはどこか頼りないような態度を見せていました。臆病なふうにも見えます。しかし、エリヤが昇天してからは、人が変わったようになります。完全に落ち着き、堂々としています。風格すら感じさせます。もうすっかり預言者として完成されていたのです。
 
外套を受け継いでからのエリシャは、それまでとは全く違う人格のようです。そしてその後、エリシャには失敗がありません。エリヤといえば、いじけることもありました。イゼベルに命を狙われてからは、怯えに怯えて、隠れて過ごした末、神に対してもう殺してくれと泣きつくようなこともありました。そのため神はエリヤを見限って、エリシャを見出すように最後の仕事をさせたのだ、と私は解釈しました。ただ、それも人間味のある姿であり、私はエリヤを非難するような気持ちはありません。それに対して、エリシャはエリヤのような人間味がなく、あくまでも冷静で、立て続けに奇蹟を起こし続けるスーパーマンに見えて仕方がないのです。
 
もしエリシャに人間味があるとすれば、今日の二つ目の逸話がそれでしょうか。今日は、二つの別々の奇蹟を扱います。その二つの話には、一件関連があるようには見えないのですが、もしもあるとすれば、どういうことになるのか、それもどこかで探してみたいと考えています。
 
エリシャの最初の活動のうちのまず第一は、次のようなものでした。
 
19: 町の人々はエリシャに言った。「御覧のとおり、この町は住むには良いのですが、水が悪く、土地は不毛です。」
20:するとエリシャは、「新しい器を私のところに持って来て、そこに塩を入れなさい」と言った。人々がそれを持って来ると、
21:彼は水が湧き出ている所へ出向き、そこに塩を投げ込んで言った。「主はこう言われる。『私はこの水を清めた。もはやそこから死も不毛も起こらない。』」
22:エリシャの告げた言葉どおり、水は清められて今日に至っている。
 
土地が不毛とは、どこか暗示的です。エリシャは塩を入れれば清くなる、と言いました。後で毒鍋を無害にする奇蹟を起こすことがありますが、ここでは毒だという指摘はしていません。ただ、不毛なのです。そしてエリシャは、水が湧くところに塩を投げこんだのです。
 
イエスの最初の奇蹟は、カナでの婚礼で水をぶどう酒に替えたものでした。マタイ伝では、イエスが弟子たちが「地の塩」であると告げました。地上で、清めるための存在であるべきキリスト者のあり方を教えたのではないかと思います。
 
その塩は、「水が湧き出ている所」に入れられました。「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある」(箴言4:23,新共同訳)が思い出されます。また、ヨハネ伝ですが、いわゆるサマリアの女とのエピソードのときに、女に水を求めたイエスが、実は自分にこそ本当の水がある、と言ったときに、イエスはこのようなことを言っていました。
 
この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。(ヨハネ4:13-14)
 
同じヨハネ伝で、仮庵の祭の重要な最終日に、イエスはこう言います。教師らしく座って教えを垂れるのではなく、しかもはしたなく、大声で言ったのです。
 
祭りの終わりの大事な日に、イエスは立ったまま、大声で言われた。「渇いている人は誰でも、私のもとに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ7:38)
 
私たちの心が先ず清められるべきこと、それをエリシャは整えたのかもしれません。
 
◆熊が出た
 
そしてもう一つの奇蹟が、続いて語られます。実にショッキングな事件です。問題は、二つ目のこの事件なのです。
 
23:エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上っていると、少年たちが町から出て来て、エリシャを嘲笑って言った。「禿頭、上って行け、禿頭、上って行け。」
24:エリシャは振り返り、彼らを見て、主の名によって呪った。すると、森から二頭の熊が出て来て、子どもたちのうち四十二人を引き裂いた。
25:エリシャはそこからカルメル山に行き、カルメル山からサマリアに戻った。
 
思わず目と耳を塞ぎたくなります。エリシャを嘲笑った子どもたち42人が熊に殺された、という事件です。いくら預言者であっても、そのハゲをからかっただけで殺されるとは。まして、子どもです。ふざけてそのくらいのこと、誰だって言いそうです。それで、聖書を信じる者たちは、この記述にショックを受け、考えました。これには何の意味があるのだろう。何を教訓としているのだろう。
 
日本では、この熊が大問題となっています。昨年2025年の、「今年の漢字」にも選ばれました。九州にいる私には、その深刻さが分かりません。九州には、熊はいない、とされています。もう70年も前に捕獲されたものが最後だというのが報告です。しかし、本州以北には山間部に棲息しているばかりか、近年は都市部に出没しています。住宅地のカメラに走り回る姿が映っており、家のドアを開ける姿も撮影されています。そして多くの人が襲われて亡くなっています。山菜採りが命取りとなるケースが後を絶たず、いつどこで熊に遭遇するか知れません。
 
他方、聖書は、熊という動物に、あまり関心をもっていません。登場が限られているのです。それでも、猫が皆無なのに対して、熊はちらちらと登場するのは確かです。ダビデ王は少年のときに、獅子や熊と闘っていた、と自称しています。旧約聖書で、順番としてダビデの次に熊に言及しているのが、このエリシャの記事です。
 
箴言にも、熊という言葉が出てくるものがありますが、知恵の教えの喩えのようなものに見えます。他方、印象的なものがあるとすれば、イザヤ書11:7でしょうか。やがて平和極まりない時がくる、という情景として、熊や牛が仲良くする様子を描いています。しかし逆に言えば、それは熊が恐ろしい動物であったが故であろうと思われます。子のために荒れ狂う母熊は、実に怖い存在だったことでしょう。ただ、まとまって熊について話題になるようなことは、聖書にはありません。新約聖書では、黙示録の情景に、獣の足が熊の足のようだと言われている程度です。
 
そもそも、エリヤが「禿頭」であった、というのも、ここからのみ分かることですが、パウロも誓願のために髪を剃っていた、という記述が聖書には見られますから、ままあることだったのでしょうか。このことは、この後にもう一度垣間見てみることにします。
 
◆入植地サマリア
 
25:エリシャはそこからカルメル山に行き、カルメル山からサマリアに戻った。
 
カルメル山については、後で触れます。エリシャはこの残酷な事件の後に、結局サマリアに戻ったというので、サマリアについて復習しておきましょう。この事件とサマリアとが関係しているというよりも、エリシャがサマリアを拠点としたらしいこと、つまり北イスラエル王国の中心地で預言活動をしたことを確認しておけばよいかと思います。
 
このサマリア、北ではエルサレムに相当する首都でしたが、宗教の核でもありました。が、これが南ユダ王国からすれば、蔑視の対象となりました。そもそも北イスラエル王国がソロモン家から分かれて独立したときに、エルサレム神殿に北から出向くことがないように、ベテルとダンに金の子牛というシンボルを掲げて礼拝地としたことから、北イスラエルの発展が始まります。王家の血筋から外れて、ヤロブアムという実力者が立ち、このサマリア地方全体を盛り立ててゆきました。
 
聖書はエルサレム中心ですし、特に歴代誌となると、完全にユダからの視点になります。そして紀元前8世紀に、北イスラエル王国がアッシリア帝国によって滅亡させられてからは、サマリアの信仰がその原因だ、と激しく見下されるようになりました。
 
侵略され、外国人がそこに住まうようになります。自然と、イスラエル民族に外国人の血が混じるようになり、純粋な信仰というものからは益々遠くなってゆきます。信仰的にも、エルサレムに対抗する中で、聖書の扱い方も違いが大きくなり、サマリア文字で記された「サマリア五書」と呼ばれるものが正典の扱いを受けるようになりました。
 
しかし、エリシャの時代には、まだそういった出来事は起きていません。だから、エリシャの時代がそうだった、と決めつけることはできません。
 
外国人が住むようになる。それは私たちのイメージする移民とは違います。言うなれば「植民」です。ただ、南ユダ王国は、その後新バビロニア帝国に征服されたとき、この措置を免れています。エリートたちがバビロンに連行される「捕囚」は起こりましたが、「植民」は逃れました。これが、ダビデの血統を保つのに幸いしたとも言えるでしょう。
 
「植民」は、古代国家の支配の常套手段でした。純粋な他民族が残ると、またいつか反抗するかもしれません。それを混血にすることで、その後抵抗勢力になる要素を摘み取ることができます。民族的アイデンティティが崩壊するのです。
 
日本でも、島原・天草一揆の後、幕府はそういう政策を実施しました。この一揆は、キリシタンの反乱だとも見られる事がありますが、基本的には農民の抵抗であったと思われます。但し、幕府軍もその抵抗には苦しめられました。千人以上の戦死者を出し、総大将も命を落としています。
 
籠城戦に対して兵糧攻めを行うのはひとつのセオリーですが、幕府軍が、討ち取った一揆の兵の遺体の胃の内容物を調べたところ、海藻しかなかった、ということから、城内の食糧が尽きていることを確かめた、というような話も伝わってきています。
 
幕府は事件後、他藩から農民を島原に移させています。その土地が荒れ果てることを防ぐためでもありましたが、その後の反乱を起こす動機をなくすためでもありました。むしろ植民された人々は、キリシタンとなったら「ああなる」と震え上がったはずです。
 
その後の日本人にも、この「ああなる」という見本は、恰も遺伝するかのように精神の中に植え付けられてゆきました。キリスト教に対して反発や抵抗、あるいは近寄らないといった事態の背後には、そういう事情があるのではないか、と言う人もいます。実証できる説ではないでしょうが、私も、潜在的にその要素はあるのではないか、と考えています。
 
◆子どもたち
 
さて、もう一度子どもたちのことに戻ってみましょう。子どもたちが殺されるに至ったのは、「禿頭、上って行け、禿頭、上って行け」と言ったからでした。エリシャ自身が手を下したのではありませんが、エリシャがこれにキレたかもしれないことは想像できます。
 
24:エリシャは振り返り、彼らを見て、主の名によって呪った。
 
「主の名によって呪った」というのは、よほどのことです。エリシャが熊を登場させたかどうかは分かりませんが、呪いの力によるのかもしれません。どうであれ、熊をその場に登場させたのは、主なる神であるとは言えるでしょう。つまり、神が子どもたちの惨殺に加担したのです。
 
これは弱りました。確かに箴言辺りを見ると、子どもを厳しく育てよ、との教えがあります。親が子を鞭打つことも辞さないし、バカ息子は親が社会に訴えて石打ちにするのが当然、というような書き方もされています。聖書の教育方針には、かなり激しく厳しいものがあります。
 
そうであっても、幼子を抱くイエスのイメージが強い私たちにとって、この子どもたちの殺戮は、受け容れ難いものです。それで、古来いろいろな解釈がなされてきました。預言者への不敬の天罰だ、と説明する人がいます。いや、「子ども」とあるが、もっと悪辣な青年たちであったから仕方がない、という人もいます。この列王記でも、一旦「少年たち」とこの「子どもたち」のことを呼んでいます。
 
確かに、23節の方は「若者」とも訳され得る語が使われていますし、24節の方は別の語で、こちらは「子ども」を指す方に傾いているように見えます。青年だ、としようにも、こちらは説明できません。
 
合理的な説明をしたい、神がそんな残酷なことをするはずがない、そういう思いが、こうした解釈へのツッコミをする気持ちは分かります。しかし傍から見れば、それらはこじつけのようにも見えます。たとえそのような解釈が可能であったとしても、むやみに想像すべきではない、と私は考えています。空想はしてもよいのですが、さも空想が決定的であるかのように言い切ることは控えたいのです。受け取る一人ひとりが、神がそれぞれに与えられる自分の問題として考えることが、先ず必要ではないかと思うのです。
 
それにしても、やはり熊に裂き殺されるというのは、とても残虐です。いま日本でもそうしたことが現に起こっている報道があるため、他人事には聞こえません。生々しく感じられることではありました。
 
◆振り返ったとき
 
エリシャは先ず、水を清めるという奇蹟を起こしました。そして「そこからベテルへ上って行った」と書かれています。ベテルという土地は、やはりヤコブが神から祝福を与えられ、「神の家」という名前を付けた、という出来事が有名です。エリシャの師のエリヤが、バアルの預言者たちと対決した場所でもありました。そこは、サマリアに次ぐ、金の子牛の偶像の象徴のような場所にもなっていました。
 
ベテルは、標高が900mほどあるそうです。だから、ヨルダン川の方からはるばる上ってゆくことは理解できます。子どもたちは「上って行け」と繰り返しました。ここを結びつけると、恰もベテルへ行け、と言っているようにも聞こえます。偶像を礼拝しに行け、という声だとすると、神の怒りを買うことになるかもしれません。
 
他方、この直前に、エリヤが天に挙げられています。エリヤのように天に行ってしまえ、というように聞こえなくもありません。それは褒めているのではなくて、「消えてしまえ」というふうな意味であった、とすると、このような厳罰も分かるような気がします。もちろん、私にはそれで納得したいとは考えていません。
 
そして「禿頭」という言葉です。律法では、単なる禿は清いものとして病気扱いはされないのですが、そこに「赤みがかった白い患部ができるなら、それは禿げた頭や額に生じた規定の病である」(レビ13:42)との記述がありました。後にネブカドレツァルが軍隊に労苦を強いたために、すべての戦士の頭がはげた(エゼキエル29:18)という記事からすると、毛が抜けるのは強いストレスに基づく、というような見方があったようにも感じられます。
 
「エリシャは振り返り、彼らを見て、主の名によって呪った」のでしたが、子どもたちはエリシャを後ろから見て「禿頭」と嘲笑したわけでしょうか。後頭部の禿は、自分で鏡を見ても分かりませんから、嫌に思えたのかもしれません。ただ、エリシャが「振り返り」呪ったということは、キリスト者がどうしても、イエスが引き立てられて行くときに、ペトロを振り返ったあの眼差しを思い浮かべてしまうそうになる、というのは想像の幅を拡げすぎでしょうか。そして、他にもイエスが振り返ったことで印象的なのは、次のようなところでしょうか。
 
イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マルコ8:33)
 
イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。(マルコ5:30)
 
もちろん、イエスは呪うために振り返ったわけではありません。
 
◆四十二人
 
熊に殺された子どもたちは、はっきりと「四十二人」と記されています。この数字は、あまり顧みられていないようですが、聖書には案外しばしばこの数字が関わってきます。
 
レビ人に与える町の数を、逃れの町の他に42としたこと(民数記35:6)、後にイエフがベト・エケドの水溜めで四十二人を皆殺しにしたこと(列王記下10:14)、こうしたことは大した意味がないように見えますが、これが黙示録になると、事態が変わってきます。黙示録には、「四十二か月の間」という表現が二箇所に現れます。
 
しかし、神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。測ってはならない。そこは異邦人に与えられたからである。彼らは、四十二か月の間、この聖なる都を踏みにじるであろう。(黙示録11:2)
 
この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。(黙示録13:5)
 
なお、後者の次の節では、主の証人が1260日の間預言をすることが言われていますが、これは42か月に匹敵する数字であり、同じことを言っているに過ぎません。
 
いずれも、邪悪なもの、神の敵が、しばしの間悪の支配を恣にする期間を表しています。どうして42なのか。聖書で完全を表す数は幾つかありますが、そのうち神の数として最も表に出るのが7でしょう。これが一週間の日数とされています。次いで聖なる数とされるのが12ですが、これは基本的に1年の12か月にも関連しています。完全数としての7年間は、12×7で84か月を意味すると見なされます。42か月というのは、その半分です。神の数字の半分ということは、それが不完全であることを意味し、引いては悪について適用されるべき数字だ、と認識されることになります。
 
エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。(ヤコブ5:17)
 
ここの「三年半」も同じ期間を表します。旱魃は世界の全てを支配はしない、というつもりであるのかもしれません。
 
熊に裂かれた子どもたちは、悪の象徴であり、不完全な存在を示すものだった、ということは確かだと思われます。ここから預言者としての歩みを始めるエリシャにとって、悪の支配、不完全なものは、徹底的に排除されるべきものだったと考えてみます。直前で、エリシャは水を清めるところから活動を始めました。私たちにとっては洗礼を意味するものと受け取ることもできます。
 
エリシャは預言者として、偶像礼拝を廃する使命を帯びているのだとしたら、偶像の地へ「上って行け」と揶揄するようなことは、考え違いも甚だしいわけです。偶像が犇めく土地であっても、使命を帯びて上ることは、並々ならぬ決意を伴うものであったでしょう。洗礼を受けて清めを受けた私たちもまた、エリシャと共に、上って行きたいものです。
 
このとき、如何にも残酷なことが起きました。この世の中には、残酷なことが多々起こります。潔白な人が殺されたり、健気な人々が災害で命を落とします。それを見て、「神がいるならどうしてこんなことが起きることを許すのか」と怒る人がいます。「だから、愛の神などとキリスト教が言っても、信じることができない」と断言する人がいます。いえ、クリスチャンの中にも、「神が災害や不条理なことを放置しているのはおかしい」と公言する人さえいます。
 
私は、奇妙な「弁神論」あるいは「神義論」を展開するつもりはありません。それは、神にはこのような訳があってこうしているのだ、と説明をしようとすることです。私は説明は致しません。神には理由があってしているのだろう、と曖昧な態度をとることも避けたいと考えています。
 
ただ、こう思います。自分の判断ではこうだが、神はその通りにしないからけしからん。どうして神は自分が考えるようにはしないのか。――私がこう思ったとしたら、私はなんと傲慢なのか、と悲しくなってくるのです。神よりも、自分の判断や感情の方を上に立て、神は自分の気に入るようにやってくれ、と恰も神を自分の手下のように使おうとしているように思えてくるからです。自分の思うように働かない神など信じられない、と言い始めるならば、それはもはや神の前に立たせられた一人間ではなくなってしまうように思うのです。
 
私はただの罪人です。しかし、神に出会い、救われた罪人です。そして、今日も明日も、聖書から命の言葉を聞こうとする者であり、その命の言葉を、誰かに伝えたいと願いながら日々こうして生かされている者です。ただそれだけに過ぎません。



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