無責任な情報の危険性

2026年7月5日

AIについていろいろな意見が出ている。思想的にもまだまだ力強い声が出ているようには見えず、まとまった方向性も出ていないように感じられる。というよりも、AIが現在も発展途上であり、正に日進月歩であるためにつかみ所がないようでもあり、しかもどのような影響が出るかについてはっきりした形ができていない実情もある。想像はできるかもしれないが、責任ある結果の予想はできないものである。また、技術については期待の声も高いわけだし、バイアスがかかっているのだとも言える。
 
素人も勝手な意見を振り撒く。私もその一人には違いない。だが、AIについて論じるというのではない場合にも、責任があるという自覚が、完全に欠落していることは危険だ、というくらいのことは戒めとして掲げてもよいのではないだろうか。
 
というのは、AIが現状として、ウェブサイトの情報を素材として動いているからである。一般人が使っているAIについては、嘘の情報がかなり出てくることは、誰もが感じていることではないかと思われる。私もよく出合う。迂闊に信用できないことは分かっているが、自分のよく知らないことについては、検索の最初に出てくる「AIによる概要」を参考にすることは実際にある。
 
何故嘘の情報をAIが「信じる」のか。それは、AIの情報収集の仕方による場合もあるだろう。先日は、「AのBがCである」のような情報がネットにあるのをまとめて、「AがCである」のように「概要」で表示していたために、食い違いが起こっていたことに出合った。私は知識があったので、どうもおかしいと思い、オリジナルの記事を探したら、そのことが分かった。
 
また、要するにデマが沢山流れていた場合も、AIはそのデマを多数派と認識している可能性もある。少ない情報ソースの場合には、わずかなデマを拾って、さも真実のように掲げる可能性もあるだろう。
 
無責任にデマを垂れ流す人がいる。自分一人くらい構わないだろうと踏んでいるのかもしれない。自分のストレス発散のために、誇大妄想を言い放っている人がいる。あるいは自分は神だと考えているような態度で、他人の誹謗中傷を日々繰り返している人もいる。
 
それがAIの判断に影響を与えないとは、言えないはずである。俺ひとりくらい言いたい放題言って何が悪い、との開き直りであるのかもしれないが、実に無責任であり、大きな影響を与えかねないことなのだ。以前、ちょっとしたささやきのような冗談を聞いた人々が、銀行(信用金庫)が危ないと銀行に殺到したことが、複数回起こっている。

デマを垂れ流すことは、AIの判断を狂わせることになる。俺ひとりくらい言いたい放題言って何が悪い、との開き直りでもあるのか知れないが、無責任なことなのだ。AIそのものの能力や影響も問題ではあるが、まずは極めて人間的な、こういう危険性の方が、いまは問題であるのかもしれない。
 
俺ひとりの投票なんて意味ないよ。そういう思惑が、ネットの世界では、もっとダイレクトに反映されることがあるのだ。これは怖いことではないか。



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