麻丘めぐみ「芽ばえ」
2026年6月17日

麻丘めぐみの「芽ばえ」を久しぶりに耳にした。1972年の歌だそうだから、もう半世紀以上前の歌である。曲は知っていたが、改めて歌詞を聞いていて、「おや」と思った。じっくり歌詞だけを追いかけていると、「これは……」と感じた。
著作権の関係で全部引用することは控えるので、気になる方は、認められた形で挙げられているウェブサイトを参照戴きたい。
歌い出しの意味は、「もしあの日あなたと出会わなかったら」のような言葉から始まり、自分は言うなれば不良少女になっていただろう、と言う。そして「今思い出すと胸が痛む」ことをと言い、(ここは引用するが)「もうあなたのそばを離れないわ」と歌い上げる。
2節も「もしあの日あなたと出会わなかったら」というようなところから始まり、美しい自然に気付くような心も持てずに引きこもっていたことだろう、と言う。(ここも引用するが)「誰か人に心を盗みとられ……神の裁きを受けたでしょう」とも漏らし、思い出すたびに恐くなる、として、1節と同じ言葉で終わるのである。
なかなか歌謡曲の歌詞、特にアイドル歌手の歌に「神の裁き」という言葉は出てこないものだ。「心を盗みとられ」るとは、クリスチャンならば、悪魔のことをすぐに思い浮かべるのではないだろうか。神が登場するくらいだから。
そして、イエス・キリストと出会わなかったら、自分がどんな人間になっていただろう、ということも、クリスチャンは考えることはあり得るだろうと思う。思い出すと恐くさえなる、それも分かるような気がする。そしてサビで、もうそばを離れない、と言い切るのは、素敵な信仰告白であるように聞こえる。
いやいや、主が共にいるのであって、人間の側から「離れない」などと言うのは違うよ、と言いたくなる人がいるかもしれない。確かに、詩編ではしきりに神に向けて、「私を遠く離れないでください」というようなことを言うが、そんなに咎めるほどのことではあるまい。それに、あなたからの愛に対して背を向けない、という気持ちを表しているのだとすると、信仰の上でも何ら問題はないのではないか、と思う。
ちょっとドキリとするような、歌詞の味わいを覚えた。もちろん、作詞者がそのようなことを意図していたとは思えない。ただ、欧米の歌詞には、このような信仰的な心が重なるような歌詞は多々ある。近年、新種のゴスペルだとして注目されている懐かしの曲も多い。「明日に架ける橋」はもはやゴスペルの領域に置かれているし、「You've Got a Friend」などは、友情を歌っているには違いないのだが、どこまでも福音の空気を感じさせるものである。
日本でも、MISIAの曲は――その歌い方のせいでもあるかもしれないが――、そういうものを伝えるようなことがある。紅白歌合戦でも幾度か歌われた「アイノカタチ」には、涙してしまう。
風の噂によると、麻丘めぐみさんは、カトリックの信徒であるらしい。もちろんそれがあの歌詞と関係があるなどと言うつもりはないが、どんなふうにでも、キリスト者は「世の光」として働くことができることを知るような気がする。