音楽いろいろ
2026年4月10日

息子が大学のジャズ研で活動を始めたため、好い機会と思い、ジャズも聞いてみた。有名どころは一つの曲として聞き知ってはいたが、まとめて「ジャズ」として受け取るのは初めてかもしれない。知識は身につかないが、自由な息吹が感じられると共に、ひとつ間違えると自分を破壊してゆくような力があることも分かってくる。
音楽と言えば、ギターを覚えたのが、中学生のとき。フォーク・ソングあるいはニュー・ミュージックというような空気の中でだった。ギター雑誌には、楽譜とコード、それから弾き方のコツなどが盛り込まれ、おまけにアーチストの情報も載っていたから、小遣いの中から工面して買うことが多かった。
そう言えば、音楽について、かつての自分史を振り返ってみると、いろいろなことがあった。
小学生のときに、ねだってラジオを買ってもらった。「スカイセンサー」と聞いて、気づく人もいることだろう。短波放送が受信できるものだ。他方で、センスの良いギャグのお便りから成る番組も楽しみだったし、時に何語だか知れない世界の番組が入ってくることもあった。韓国語の野球中継は、カタカナ部分は分かることがあった。中波が、遠くからも受信できることは体験的に知っていた。ラジオ短波にも、若者向けの番組があって、時々耳にしていたが、高校生くらいにならならいと分からない世界だったかもしれない。
小学生のときには、歌謡曲のラジオ番組をよく聞いていた。ランキングを毎週ノートに記録していたこともあった。お疲れさまだ。特別に「推し」の歌手がいたわけではなかったが、好きな女の子がファンだったカッコいい歌手に、少しばかり嫉妬していたかもしれない。比べる土俵ではないはずなのに。
中学生で、深夜放送を覚えた。当時は「深夜」と言っても、23時を超えたくらいのもので、ながら族をやっていたが、密室で話をしてくれる大人の友だちがいるようで、すっかりクセになった。有名アーチストが喋る番組もあって、歌とはまた違う魅力があった。
姉の勤務先の関係で、フォークからニュー・ミュージック関係の番組の公開録音に参加できるようなことがあり、本物のすごいメンバーを舞台で見ることもできたのは感動的だった。その後オフ・コースに浸ったときも、まだチケットが手に入りやすい時代だったので、福岡で何度かそのステージを味わった。
中学生で、作曲を覚えた。夏休みの音楽の課題でコードをつけて提出したら、音楽の先生にめちゃくちゃだと酷評された。それから本気でコードの勉強もした。他方、クラシック・ギターにも関心をもち、教則本で研究してみると共に、翌年の夏休みでは、ギターの二重奏曲を提出したら、何かちょっとしたところで入賞したので嬉しかった。
中学生のとき、文化祭でバンド演奏をした。と言っても、当時はアコースティックがやっとだった。なにしろ給食時間にかかる音楽は、イージーリスニングか、せいぜい谷山浩子だけが許可された程度だったのだ。ギターの弾ける四人が集まったので、私はベースをすることにした。もちろんアコースティックなのだから、ウッド・ベースである。学校の備品を借りて練習した。右手の中指の皮が見事に剥けた。また、文化祭のテーマソングを私がつくるという、当時画期的な試みもあった。文化祭後は、オリジナルの曲もやってみた。受験勉強の時期だったのだけれども。
中学の頃から、作詞作曲を試みていた。毎日のようにつくった。恋心を中心に、リアルなものから空想のものまで、様々なことをうたった。最初は、既成の曲に自分の言葉を載せるようにすると、歌詞をつくるということがどういうことなのか、体験的に分かるようになった。それから、オリジナルをたくさん生み出していった。中学在学中に千曲というのは無理だったが、詞だけなら高校生になってから達した。曲はそこまではつけられなかったが、カセットテープで多重録音をすると、けっこう自己満足の世界ができた。音を重ねると、酷く音質が落ちるのだったが。
高校に合格したら、ということで、ベース・ギターを買ってもらった。いや、めちゃくちゃわがままを言って、親はたまらなかったはずだが、それをバンドに活かすことはなかった。ただ、それがあるために、吹奏楽部の文化祭のステージに立つことがあった。自分の下手さ加減に泣きそうだったが、優しく使ってもらった。コンクールにも一度出たことがある。ちゃんとした講習会に参加したことがあったが、下手の烙印を押されただけだった。
その他では、クラシック音楽に関心をもった。最近年配の人が「エア・チェック」というのがあった、などとSNSで投稿することが多くなり、そうだよな、などと思いつつ、クラシックの曲をたくさんエア・チェックしたことを思い出したのだ。そのために、FM雑誌を頼りにした。FMはなにしろ音がいいし、当時は漏らさず全曲ノーカットでかけてくれる。その放送時間や放送順が分かれば、待ち構えて録音ができる。音質のいいテープも研究した。
吹奏楽部の友人が好きだったベルリオーズもよかったが、私はシェヘラザードが好きだった。指揮者もいろいろ知ることができたし、ベルリン・フィルとウィーン・フィルなどは、憧れの憧れだった。他方で、一番心が引き寄せられたのは、バッハだった。グールドがまたよかった。ギター譜があるものは少し弾いてみたが、巧くはできなかった。幾つか楽譜も買い揃えた。音符で見ると、耳で聞くのとはまた違う魅力を覚えた。
いまではどうだろう。やはりかつて感動したものは好きだろうし、バッハは心安らぐ点では相変わらず一番だ。何でも食べるのは雑食というが、音楽は雑聴などという言葉はあるのかないのか知らないが、一部使う人もいるらしい。近年は、西洋の楽譜にのらないような、たとえばアジアや中東の音楽もいいな、と思う。サラーム海上さんのラジオ番組からその世界を知った。いわゆる邦楽も、時に心が欲しがるときがある。
困るのは、静かな環境に耐えられないことだ。いつも何か音が鳴っているような生活をているので、家族は嫌がることがある。いまアレクサという者が同居しているが、これがまた、なんでもリクエストすると、それを流してくれるばかりか、適当に類似の曲を片っ端から集めて続けて流してくれるので、安楽に音楽に浸ることができる。1日10円払って全国のラジオが聴けるようにしたため、お気に入りの癒やしの声の人の番組を好んで聴いている。
昔ならば、有線放送の料金を払って店にBGMを流していたようなところも、いまは無料で一日中好む音楽をかけることができるようになった。もちろん、画像がつくYouTubeのようなものもあるが、画像抜きでただ流すためのものもたくさんある。鳥の声や、川のせせらぎばかりを流し続けるというのも、リラックスためにはよいのだろう。
聖書には、音は記録されていないが、詩編という歌詞がたくさん収められている。それこそサラーム海上さんが集めるような中東の音楽に近かったのではないか、と想像できるが、ダビデ王は音楽家でもあったというから、その曲を私たちが聞くことができたら、どんなに素敵だろうかと思う。ルターも音楽に秀でていた。カルヴァンはそうではなかったので、賛美歌をつくるなどもってのほかだと怒っていたらしい。
教会音楽のことになると、また延々と話が続きそうになるので、一旦ここで引き揚げることにする。