点字ブロック
2026年4月4日

点字ブロックというものがある。歩道に、黄色い色が付けられた、凸凹のタイルだ。考案したのは日本に於いてであるそうで、60年の歴史をもつとのこと。正式名称は「視覚障害者誘導用ブロック」だというが、以下、通称の「点字ブロック」という呼称を使うことにする。
歩道に、駅に、黄色い点字ブロックが続く。私は、それをどうしても踏みたくない。反射的に、それを避けて歩く足を置く場所を決める。絶対に踏まないかというと、そんなこともないのだが、極力踏まないように歩く。
点字ブロックを傷めないためだ。それは、ある人々の命を守る案内である。私が踏むことで、少しでも傷めることがないように、と思うのだ。ともかく、それは私が踏むためにあるのではないのである。
そうした気持ちは、マイナーなものかと思っていたら、『ヤンキー君と白杖ガール』という漫画、それからテレビドラマで、そういう考えが表に出ていた。ドラマももう5年も前なのだ、といま調べて驚いた。点字ブロックの上にいたヤンキー君が、視覚障害をもつ女性とぶつかることから、その女性に恋することになる。そしてヤンキー君は、点字ブロックの上に自転車が留められていたので、黙々と移動させていたのだが、それが自転車泥棒と間違えられるシーンがもあった。かのドラマは、各方面から絶賛されていたが、果たして世間が、そうした気づきと意識をもつようになったかどうか、それは分からない。
福岡には旅行者が多い。ガラガラと、大きなキャリーバッグを転がす人がたくさんいる。あの騒音はなんとかならないか、といつも思うが、それにも増して、キャリーバッグが点字ブロックをガンガン破壊しかねないように転がされているのに、いつも胸を痛めている。中には、わざわざ点字ブロックの上をずっとそのタイヤで踏み続けている人もいる。そういうのを見て、時折胸ぐらを掴みたくすらなってしまう。
晴眼の者には、何の役にも立たないような、点字ブロック。だがそれは、必要な人には、命の頼りである。他人の大切にしているもの、他人の命や権利を守る礎に対して、関心のない者は無邪気に破壊行為を繰り返すという構造が、よくある。電車のアナウンスは視覚障害者にとっては唯一の情報だが、大声で電車内で喋り続ける者は、そういう想像力をもつことがない。
歩くところにサイドミラーを突き出す形でトラックを留めている場合がある。公的機関の車がそうやっていつも留めていることを私は知っている。それは、白杖で歩く人には、白杖では感知されない障害であり、ちょうど顔の高さにミラーがある。そのために重傷を負った人が実際にいると聞いているが、留める者にはそうした想像力がない。
白杖を使う人も、すべてが全盲であるわけではない。それなのに、スマホを使っているのを見ると、嘘つきだと非難するような無知な者もいるという。『ヤンキー君と白杖ガール』の女性も、弱視という設定であり、その点も評価する声が多かった。どのように見えているか、についても、ドラマでは監修の下によく描かれていたように思う。
聴覚障害者となると、今度は駅のアナウンスが分からない。エレベータの中の、非常時にマイクしか通信手段がないことが役立たないことも、普通私たちは気づかない。電車の優先席に座る若い女性がいるとき、それを非難の目で見てしまう私たちがいるが、女性の生理やしんどさについて、想像するならば安易に悪く思うことはできない。私は、きっとこの女性は妊娠しているのだ、と思うことにしている。本当はそうではないかどうか、それは気にしないことにして。