春の出会い
2026年3月07日

春。一昨日が今年の「啓蟄」の始まりだったというが、地中の虫たちが土から出てくるとされる季節である。この半世紀くらいか、気候がかつての暦のようには現れなくなった観はあるが、暦にこめられた知恵は、四季の変化豊かな日本に於いては、心得ていたいものである。
古代ローマは3月を以て一年の始まりとしたが、日本もいまなお、4月を年度初めと見なし、1月スタートの暦とダブルスタンダードを器用にこなしている。長い冬に閉じ込められていたローマの政府は、春に、虫ならずとも、命の息吹を覚えたことだろう。私たち日本でも、そういうことなのかもしれない。
草花が、ここにもいたのか、と顔を見せる。どっと現れるように感じる。冬の間は誰も気づかないようなサクラの木が、ここにいるよ、と輝くときは、もうすぐだ。すでに梅はほころび、桃の花も微かな香りを漂わせている。
世界は色づいてくる。白、赤、紫、そして緑。自然界では黄色の花が多いそうだが、多くの花は、虫たちを誘うためにその色を有していると言われる。子どもたちは草を用いて、笛を鳴らしたり、角力を取ったりする。ぺんぺん草で音を鳴らすことも、昨今の子どもたちは知らないかもしれない。
うちの子どもたちには、できるだけそうした自然と触れあうようにさせた。幼稚園の行き帰りに、花や虫に触れた。公園に行くにも、花の前で立ち止まることを厭わなかった。触ってよい花や虫もあれば、触るべきではない対象もある。それらを、直に体験することが、なんといっても必要だと思っていた。しかも、特別学習ですよ、というわけではなく、日々の日常の中で、さりげなく、それらが当たり前であることが必要だった。
春は、そういう自然との出会いのチャンスがふんだんにある。もちろんサクラでもいい。できれば、ヤマザクラやオオシマザクラなどと、ソメイヨシノとを比べられたらいい。ユキヤナギやレンギョウは、その辺りに幾らもありそうだ。すでにスイセンは終わっているかもしれないし、サザンカも散った。だがツバキが今度は紅の色を濃い緑の葉の中に見せてくれる。そうそう、コブシとモクレンの違いくらいは、子どもたちにも分かってほしかった。
母は、セリ摘みが好きで、ゼンマイやワラビも、春先の採集対象だった。私はツクシ採りが楽しかった。袴むしりを、青臭いにおいの中でするのも面白かった。できるだけ、私の子どもたちとも、そうした体験を春に一緒にすることを心がけた。母に教わったとおり、専ら佃煮にするばかりだったが、子どもたちは味は好まなかったようだ。
春に、出会うもの。自然もまた、大いに結構だ。さらにまた、新しい生活や環境に移り、新しい出会いが待っている、という人もいるだろう。緊張は免れないが、出会いを怖いと思う人もいようかと思う。中には、一年中ずっと、そんな緊張感から、外へ出られないような人もいるかもしれない。どこかで勇気が与えられたら、と願う。