独り暮らしを始めた(6)
2026年2月27日

これはもうずっと以前の話である。時代背景がずいぶんと違うことはご承知の上で触れて戴ければ幸いである。
大学では、生協にはぜひ入るべきだ。私の場合は、他の電器店を巡るよりは、もう生協に任せていろいろな物品を揃えるのが得策に見えた。実際、かなり安価であった。但し、電子レンジはどうやって手に入れたか、実はよく覚えていない。私より一年先に京都に住むようになった友人の家に、夏休みに泊めてもらったとき、「電子レンジはとにかくいいぞ」と教わっていたのだ。アルバイトで得たお金で、かなり早い時期に、それを購入したのは言うまでもない。当時は、確か何万円もしたと思う。それでいて、いまの電子レンジなら数千円で買える程度の機能しかなかった。だが、確かに食生活には有り難かった。
高価であっても、こうした初期費用については、惜しまないのがいいと考えていた。
トーストのためには、小さなオーブントースターが必要だった。これは安価に入手できた。憧れていたライティングデスクも生協だった。天板が収納できるタイプは、場所をとらなかった。書棚はスチール棚。これら本がいくらあっても収納できると思った。これはいまなお私の背中にいま利用されている。尤も、本はそこから溢れ、床に平積みにもなって大変なことになっているのだが。
タンスも最小限。但しベッドは最安値のものでも、あるべきだった。布団の上げ下げの手間もさることながら、京都の木造アパートの一階で畳の上に寝ることは、命に関わることだった。ストーブも極力安いのを探したし、夏は扇風機で十分だった。家から持っていっていたのかどうか、記憶にはない。
大きな鍋は、時折重宝した。母が荷物に入れてくれた。がっつり煮込むときや、作り置きのカレーをつくるのにもよい。お節料理も自分でこしらえたことがあった。おでんも素材を揃えれば、たっぷりと美味しくできる。実家にあって使わないから、と運んできた圧力鍋は、実は重宝した。短時間で熱をよく通す。当時の圧力鍋はいまのよりも重く、琺瑯性ではなかったかと思うが、使い慣れるとこれも重宝する。
こうした初期費用については、購入するものもいくらかまとまったものが必要だったが、そこまで甘えた。親にはずいぶん無理をさせてしまったのではないかと思う。家でも困り果てていたことだろうと思う。こちらも、毎日のやりくりはその後、自己責任として爪に火を灯してでもやっていかねばならない。スネかじりはその後、長く続くことになる。
いつから奨学金を借りていたかも定かではないが、当時は、たとえば教職に就くと返却免除の仕組みがあった。後に教授も、「武士のたしなみ」だとして、教職課程を薦めたが、そちらに力を注ぐ暇は私にはなかった。少なくともそのように考えた。だが、教授は、私がものにならないことをちゃんと分かっていたのだろう。結局研究者になるのでもなく、奨学金は大学院時代のものも含めて全額返却することになる。但し、それには意味もあった。この奨学金は、利子はつかなかったのだ。それで、利子なしで多額の借金をしていただけのことであり、後には殆ど手をつけることなしに生活することも可能だった時期もあったため、後に役立つこととなる。
さて、大学当時、研究室には、業者があれこれ売り込みに来ることがあった。ワープロのカタログもそこには来ていた。最初のワードプロセッサーは、部屋を占領するほどの大きさで百万円以上したように記憶するが、それが次第に、コンパクトになり、手の届く価格になってきた時期であった。こうした機器については、私は自分の稼ぎが許す限り、取り入れることにしていた。能率を良くする機器の価値を考えたからである。
尤も、それ以前に私が手に入れていたのは、タイプライターである。早く打つためには、電動式がよかった。しかも、カーボン式でなく、リボン式の方が経済的だった。ドイツ語のテクストを、ルーズリーフにがんがん打ちながら、講読に備えるスタイルをとったし、語学研究のためには私には必要だった。ドイツ語が打てるタイプで、こうしたものは慣れてくると激しく速く打てるようになるものである。
だから、それがワープロとなっても、同様にタイピングに苦労はしなかった。とはいえ、速く打てるという触れ込みで、私は富士通の「親指シフト」キーボードから始めた。ディスプレイは一行だけの液晶で、修正能力も乏しいものだった。しかし、とにかく速く打てた。当時のタイピングコンテストでも、親指シフトが全盛だった。もちろん、順応能力については問題がなかった。後に、シャープの優れたブラウン管デイスプレイが出てくると、編集能力の点でのメリットから、JIS式キーボードに切り換えた。よく、覚えるキーが少ないから、と日本語入力でローマ字入力に限る、と信じている人がいる(いまは大部分そうらしい)が、それは私にはかったるく遅いと思われた。第一、頭での思考はローマ字に変換するようなめんどくさいことをしないで、直でひらがなにしていく方が、思考の流れは途切れない。一瞬でもローマ字を経るような悠長なことは、私の打つスピードにはそぐわなかった。
ともかく、研究室に出入りしていた業者を通じて、こうした機器はいくらかの割引きを伴って入手できた。そうした業者の内には、洋書の書店もあり、哲学者の全集ものも揃えていた。アカデミー版のカント全集もそうやってすぐに手に入れたが、例の「髭文字」で書かれているため、そうした文字の習得にも役立った。