猫の日というが
2026年2月21日

犬だってペットのメインに、猫と同じように位置するはずなのに、犬の日はわりと地味だ。だが、猫の方は、やたらお祭り騒ぎのように感じられる。猫の日が2.22であることに異議を唱えるつもりはない。世界では全く別の日であることが多いし、「にゃんにゃん」という日本語に由来している点も、別に悪いとは思わない。そうして世間は猫キャラクターについて、喜んでお金を移動させるから、経済効果はなかなかのものである。
猫当人はどうだろう。まあよく分からずに、ちゅ〜るを特別にもらうなどして、飼い猫はご機嫌かもしれない。
世間は、可愛い動物に癒やされる。あるいは、可愛い動物を金儲けの手段にする。
パンダ当人がどう思っているかは知らないが、動物園周りの商店はパンダの故に整形が賄われていたかもしれないし、企業も大いに潤っていたかもしれない。しかし、パンダは絶滅が危惧されている動物である。
カエルも、愛すべきキャラクターである。商品にも用いられるし、絵本でもおなじみだ。だが、現実にはこれも絶滅が懸念されている。福岡県では、もはや殆どトノサマガエルを見ない。私もずいぶん前に見たっきりだ。
ブタをキャラクターにして映画もつくられるし、子ブタのカフェもある。ブタは絶滅危惧の対象ではない。が、私たちは毎日ブタを食べている。西洋人が、家畜は人間の食材のために生まれた、と断言するのを見て、日本人は「なんてことを」と憤慨もするが、その日本人もブタを結局食べている。
私の家では、こうした動物を、順次アイドルにしてきた。そして、コロナ禍に、地域猫により医療従事者たる妻が癒やしを受けたことから、すっかり猫の世界に入っていってしまった。私は猫との接触は以前からあったが、妻は初めてこのときに肉球に触ったのだ。
猫に対する啓蒙活動も芽生えてはきているが、相変わらず猫は、特にその子猫が、「殺処分」されている。殺すことを「処分」と言い換えることで、それは正義となる。地域猫も、幾度「野良猫」と罵られ、一部の人間により謀殺されたことだろう。私の身近でもそれはあった。しかし、その猫は、可愛いニャンニャンであり、猫の日で人間たちは盛り上がる。
綺麗事を言うつもりはない。可愛いじゃないか、と弁護するのも引っかかる。だが、人間のこの仕打ちを、正義とするままでいいのかどうか、考えてもよいのではないかと思う。