吉野作造の民本主義
2026年2月17日

吉野作造の民本主義。中学生には必修の歴史上の名前である。大人も、恐らく聞いたこともないという人はいないだろう。だが、その著作を読んだという人には、あまり出会わない。かくいう私も、読んだことがなかった。それを意識したとき、思い立って、読んでみることにした。近年、新しい「訳」が出ている。つまり文語調を、口語的に直したものであり、読みやすい。たとえ文語でも私は厭わないが、確かに口語の方がよりスムーズに読めるのは確かだ。私が手に取ったのは、光文社古典新訳文庫シリーズの『憲政の本義、その有終の美』である。
吉野作造にキリスト教信仰があった、ということも、学校で覚えた後に知ったことであった。というより、自分が信仰をもつようになってから初めて、あの人物がクリスチャンである、といったことに関心を寄せた、と言った方が適切であろう。
関心をもったのはその信仰の故であった、とも言えるが、それよりもなお、近年の「民主主義」信仰が誤った方向に走っているという感覚に基づくと言った方がよさそうだ。そう。吉野は、「民主主義」を否んだのである。そして歴史で学んだ通り、「民本主義」を主張した。「民本」は、「民主」を修正して、より相応しいあり方として唱えた考え方なのである。
吉野自身は、当時の時代的制約もあり、欧米の政治のあり方や当時の世界情勢から見て、いまならアウトであるような差別的な議論も展開している。だが、それだけで吉野の考え方はけしからん、と終わってしまうのはもったいない。それほどに、現代にも通ずる批判の眼差しをもっていた人ではないか、と私は見ている。まだお読みでない方はどなたも、ぜひ機会を見つけて、著書に触れて戴けたらよいが、と願う。
ところで「民主主義」について徹底的に非難の声をぶつけたのは、古くはプラトンであった。プラトン自身、政治的野望をもち、あわよくば、と幾度も政治運動に挑戦したのだが、実現する道は閉ざされた。その鬱憤を哲学的著作の中で晴らしたようなところがあるのだが、徹底的に「民主主義」のダメなところを指摘している。つまりそれは「衆愚政治」に陥ることが必至である、としたのである。
古代の雄がプラトンならば、近代の雄はカントであろう。カントもまた、「民主主義」というものに信頼を置いていない。
私は、現代無条件で善とされることが多い「民主主義」なるものに、かつての知恵から、釘を刺す必要があるのではないか、と思っている。誤解なさらないで戴きたいのは、だから独裁政治がよいのだ、全体主義が貴い、などと言おうとしているのではない、ということだ。少なくとも「民主主義」が大前提として「善」であるという大前提を掲げることに、反省の思考を加える必要がある、と言っているのである。
そのように、万人が「正しい」と出してくる考え方に何か罠が潜んでいるのではないか、そのように考えるのが、哲学者であると私は考えている。
吉野作造は、その代表作の最初に、「憲政」ということについて検討している。「立憲」という概念に基づく政治のことである。ここで実は、ちょうどいま日本で話題になっていることに関わってくる領域がある。いま日本の多くの人が、流されそうになっている点についてである。時折、SNSで流れてくるのだが、憲法は国民を縛るものではなくて、政治を縛るものである、ということを、吉野は熱く語り、説明しているのである。
憲法は何のためにあるか。かつての王政や専制政治でありがちなこと、つまり政治権力をもつ者が、自分で都合の好いように法律をつくり、あるいは改変して、権力支配を強くすることができにくいための基準を設けるためである。歴史はそのような経緯で動いてきた。
但し、世界初の民主的な憲法ともみなされたドイツのワイマール憲法は、ヒトラーによりものの見事に悪しき利用を正当化した。これはドイツの責任というよりも、民主主義を標榜する世界の人々の反省点である。そのヒトラーを、民主的に選んだのは、ドイツ国民であった。国民が、民主主義は完全だと思い込んでしまったことが、簡単に利用されてしまったのである。たとえば、緊急事態条項を用いるのは合法であるから、として、独裁体制が正義だと宣伝された、というように理解することもできる。但し、いまのどこかの国の話をしているつもりはない。
私たちは、歴史を学ばねばならない。歴史の中に埋もれた良心の声に、耳を傾けねばならない。賃金を上げるとか、景気を良くするとか、そういう餌にだけ反応して、憲法さえ改変することに手を貸してしまうと、どういうことになる可能性が高いのか、考えねばならないのである。私はいまの社会の空気に、非常に危ない臭いを感じている。「民主主義」を盾にして、それを都合好く利用し、正義の名の下に自我を通そうとする者と、それに安易に同調する群衆がいる図式と重なるところが多いように思えてならないからである。よく言われていることだが、ヒトラーを選んで正義としたのは、多くの国民であったのだ。