独り暮らしを始めた(4)

2026年2月11日

とにかく生活費は限られている。誰かに泣きつけば使える金額が増えるというものでもない。袋の中に生活費を入れておき、そこから出して生活するしかない、というような生計を立てていた人が昔はいたようだが、キャッシュカードなど縁のなかった学生の私も、似たようなものだった。
 
贅沢なことにお金を使うことはない。それを消し去ることはできるかもしれないが、食費はなくす訳にはゆかない。しかし、切り詰めことはできる。あるいは、工夫することができる。そのためには、まずは食材から考えねばならない。何々を食べたいからそのためにこれこれを買う、という発想はしないことだ。買いに出て、安いものを買うことにし、それを使うと何ができるか、というふうに考えるのである。食べたいものを、安く仕入れられるものから決めるということになる。
 
自炊は、いろいろなものを買うから合計すると却って高くなる、と言う人がいる。だがそれは、私にしてみれば嘘だ。いまの一食ならばそうかもしれないが、継続する食生活では、自炊の方が、外食や中食(惣菜を買って自宅で食べること)よりもきっと安い。高くなると言うのは、自炊をするのが面倒と思う人の言い訳だろう。
 
安いものを買うことに徹する。そして無駄にしないように使い尽くす。キャベツの芯も食べる。鶏肉が安ければそれを唐揚げにしたり煮込んだり、変化をつければ同じものを食べているような気はしない。カレーにも使える。また、鶏皮を醤油とみりんで煮込むというのは、度々作るレギュラーだった。鶏皮は、抜群に安かったのだ。
 
変化もつくる。食費が安く済んだ月の月末には、長く使える調味料を揃える。調味料は、多くの食事に利用できるし、食材を美味しく変える働きがあるから、少しばかり高くても美味しい、気に入ったものを使うことにするのだ。また、保存できる乾麺などを仕入れておく、というのもよい。
 
コンビニ弁当やレトルト食品の方が楽だ、と思う人を否定はしない。確かに非常時のためにあったらよいこともある。だが、自炊よりは確実に出費が増える。栄養が偏るリスクも背負うことになる。自分で作れば、海藻でも茸でも、少しずつでも入れることができる。
 
料理をする時間がもったいないのではないか。そう指摘する人がいるかもしれない。確かにそうだが、学生には、金はなくとも時間はあるのが通常だ。20〜30分の料理がもったいないほど、時間管理に追われているような生活をしているわけではない。
 
たまにはレトルトも……という甘えも、断ち凝ることが肝腎だ。蟻の穴で堤も崩れる。やるからには、徹底的に自炊を貫くのがいい。一度楽を覚えると、あのときしたから今度もいいや、とずるずる繰り返してゆく可能性が高い。私がそうだ、というだけのことなのかもしれないけれども。
 
むしろ、毎日自炊していると、それが当たり前になってくる。ルーチンワークのようになると、心理的負担はなくなってゆく。歯を磨くことを面倒に思う人は稀だろう。着替えなければならないのは時間の無駄、などと考える人はいない。自炊も、自分の生活のただの習慣のように捉えることができるかどうか、が肝要である。むしろ、それを楽しいと感じる思いが生まれれば、よいではないか。
 
食費ではないが、光熱費も、どうすれば安くなるか、気にすべきであった。何をどのくらいの時間使ったら、電気代が幾らかかることになるのか、概算ではあるが、計算するのだ。たった10円ではないか、との思いも、実は時間と共に積み重なってゆくと、ダメージを受けることになる。湯を沸かすガスについては計算は不可能だが、沸かす水量から不必要な分まで、絶えず気にしていた。それでいて、煮込み料理にはこだわるなど、使うべきところは使う気持ちは持ち合わせていた。
 
電気代の請求が来たときに、ガッツポーズをとることを楽しみにすることだってできるわけだ。もちろん、やせ我慢をして健康を崩すようなことまではしなくてよいわけで、そこのバランスは重要なのであるが、暖房のエネルギーを、厚着で減らすことなど、調節できることは確かにあるものだ。
 
吝嗇家だと見られる可能性はあると思うが、万事にケチになれと言いたいのではないし、実際そんなことはしていない。考えなしに節約しているのではなく、考えをもって倹約するのである。現にこれだけしか使えない、という限界の中にいる意識があるかどうか、そこが大切であろう。いまはキャッシュレスの時代だから、それを実行するためには、よほど思慮深くなければならないかもしれないけれども。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります