おトキさん危うし

2026年2月9日

先週の朝の連続テレビ小説「ばけばけ」は大荒れだった。ご覧になっていない人にも伝わるように、いくらか説明をさせて戴きたい。
 
トキは、松江にいた、明治になり没落した元武士の家に暮らすが、父親が大変な借金を背負っていた。松江に来た中学教師ヘブンの女中となり、多額の給金を得ることができ、借金を少しずつ返すことができるようになった。いろいろあって、二人は互いに相手を必要としていることが分かり、祝言を挙げる。
 
ヘブンは町でも注目の異人。地元の新聞記者が毎日、ヘブンのいるトキの家に来て、何かと話題を探して新聞に連載している。それで町ではトキはすっかり有名人になり、憧れの女性としてもてはやされていた。
 
そしてついに、借金を全額返済できた日、家族は喜んでいた。それを新聞記者が記事にした瞬間、町の人々の態度が変わった。借金のためにトキは異人に身を売った「羅紗緬」だと理解された。特にこの場合、異国人の妾という意味をもつ。家の庭には激しい悪口を書いたものが散らかされ、トキの家の者は町を歩けなくなった。
 
買い出しに出たトキが、投石により怪我をするに至り、珍しくヘブンは新聞記者に激しい怒りをぶつける。いいだけトキを持ち上げていた人々が、憎さ百倍とばかりに攻撃を加えることはなかなか止まなかった。
 
視聴者は、基本的に、トキの味方をしたのではないか。トキが悪くないことは、視聴者はよく分かっている。だから、町の人々が理不尽だという思いになり、トキを助けたいと思うのであろう。物語としては、そのように受け止めて差し支えないことは、私も十分分かっている。
 
だが、である。私は、人間は――私自身を含めて――、あの町の人々なのだ、というふうにしか思えなかった。誰かが後で、あれはSNSなどで炎上するこの世相を描いて居るのだ、というふうに述べているのを私は見た。そう見た人は少なくないと思う。その意図を、制作側はこめているのだろう、とも思う。
 
しかし私はキリスト者である。同じように信仰をもつ方は、きっと私と同じことを考えたはずである。人々を癒やし、神の言葉を語って慰め歩いたイエスを慕い敬った人々が、いざ権力者がイエスを悪人呼ばわりしたとなると、イエスに向かって「十字架につけろ」との怒号を繰り返したのである。そして、イエスにより救われる前の自分は、その群衆の一人であり、先頭に立って罵声を浴びせ、また石を投げていたのだ、と自覚していたはずなのだ。
 
これは信じたくはないことなのだが、こういう自覚を全く知ることなく、クリスチャンと自称したり、あまつさえ説教まで語ってそういう肩書きをもっていたりする人が、実際にいる。ドラマで描かれた松江の群衆の姿が、かつての自分だ、と見ていて苦しくなって然るべきではないだろうか。
 
ドラマでは、ある朝、トキのところへの攻撃がすっかり消えた場面が描かれた。新聞には、別の有名人のスキャンダルが――ちょっとしたミスだったのだが――書かれたため、町の人々は一斉にそこに集まって騒ぎ始めたのだ。さらにその後、別の事件が話題になると、その攻撃もなくなった。
 
少し笑いをとるような流れで、視聴者の気持ちを洗い流した効果はあっただろう。それはドラマ制作側としては、当然とも言える。だが、現実に世間で誰かを根拠なく攻撃している人々のうち、どれほどの人が、あの人々の中に自分がいる、と痛感しただろうか。それを罪だと気づき、イエスを殺せと叫ぶ自分を覚えただろうか。率直に、知りたいと思う。



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