【メッセージ】何をしてほしいのか
2026年2月8日

(マルコ10:46-52, 詩編91:3)
イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、また見えるようになることです」と言った。(マルコ10:51)
◆どげんだっちゃいい
子どものころ、親から尋ねられます。「どれにする?」
食べたいものとか、どこに行くかとか、意志を求められるわけです。普通の子は何々と即答するでしょうが、私はしばしばこう答えました。「どげんだっちゃいい。」
つまりは「どうでもいい」ということで、優柔不断の現れなのかもしれませんが、気持ちとしては、相手に選択を任せることになります。相手がよいように選んでくれるもの、と思っていたのかもしれません。
相手が、自分の好みや、結果の良くなることを分かってくれる、というのは、よく言えば信頼です。選んでもらって喜ぶという、なんだか恵まれた環境にいた、ということなのでしょうか。贅沢な暮らしとは程遠いものだったので、親に負担をかけたくない、という思いも混じっていたかもしれません。
あるいは、自分で選んでしまうと、そこに責任が生じることにもなりますから、まずいことになったら責任を負うのが嫌だ、と考えていたのかもしれません。
どうであれ、自分は絶対にこれがいい、と強く言うのは、性に合わなかったのだと思います。誰かと欲しいものがかち合ったとき、自分がそれを手に入れたら、相手が悲しむことでしょう。自分は果たしてそれほどまでしてそれが欲しかったのか、と問われたら、たぶんそんなことはないのです。相手がめちゃくちゃ欲しかったのだとすると、自分が取ってしまったら悪い気がするではありませんか。
選択は、相手に任せる。それは、どこか奥ゆかしい美徳であるようにも見えます。男の私は、基本的に女性が選ぶというのが好ましいと考えています。「これが欲しい」とはっきり言ってほしい。それを叶えるべく自分が働くことができたら、こちらもうれしい。もちろん、女性がその相手でなくてもよいわけですが、私にはそういう面があるように思います。もちろん、それが美徳だなどと考えているわけではありません。優柔不断の極致だと言われたらそれまでですけれども。
◆名前がある理由
今日の場面で、イエスは「何をしてほしいのか」と問いました。それも、初対面でいきなり問うたのです。
マルコ伝の10章はなかなか長いのですが、それ以上に、出来事が豊富です。旅するイエスと弟子の一行に、様々なことが降りかかります。記者をマルコと呼ぶことにしますが、マルコはこの場所に、旅の記録をどんどん入れ込んだようです。そのため、この場面のテーマとかまとまりとかいうものは、見出しにくいように思われます。そこで、脈絡を気にしすぎることなく、この盲人との出会いの出来事に的を絞って味わうことにしましょう。
そこは、エリコ。ヨルダン川の西にあり、海抜高度が恐らく世界で一番低い町だとされています。世界でも最古級の町だともされ、ヨシュアがその町を攻略したという記録が旧約聖書に書かれています。尤も、考古学的には、時代が異なるという研究がなされていますが、町の存在は確実です。ルカ伝は、そこでザアカイとイエスとの出会いがあったことを描いています。
いずれにしても、ここでの記事には、固有名詞が並びます。エリコという町がはっきり教えられるのも、記録ないし記憶が定かだったからでしょう。このときイエスの周りには、弟子たちばかりでなく、「大勢の群衆」が取り巻いていたように書かれています。
ここでの物乞いも、没落したかどうかは分かりませんが、元来の物乞いではなかったことが推測されます。その理由は後で述べますが、聖書箇所をいまご覧になった方には、すでにお気づきの方もいることでしょう。当時の一種の福祉感覚がそこにあっただろうと思います。通常の仕事ができない者は、こうして物乞いをすることで、生活を支えられていました。律法でも、そうした人を助けるように仕向けられていますし、その伝統は中東ではいまも活きているのだと思います。
しかし、町の城壁の中での活動には制限があったのでしょうか、この人は門の外にいました。そして、どうして通常の仕事ができないかというと、この人は盲人だったと記されています。イエスが通るという話が聞こえたのでしょう。叫び始めました。「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と。
それは一度きりではなかったと思われます。周りの人々は、なんとか黙らせようとしました。「叱りつけて」とまで書いていますから、まるで子ども扱いです。それでもその人は「ますます」叫び続けるのです。「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と。
この人には、「バルティマイ」という名前まで記録されています。これは福音書ではとても珍しいことです。この後イエスがその目を見えるようにするのですが、福音書は、癒やされた人の名前までいちいち教えはしないものです。ナアマンとかヤイロとかコルネリウスとか、一定の地位のある人は名前が出されることがありますが、病気や障害者の治癒に関して、一人ひとり名前を挙げることはないのです。
ヤイロなどもそうですが、こうした名前が残された人は、その後教会に加わり、教会で何らかの仕事をしたとか、証しをして有名だったとか、そうした役割を果たした人ではなかったか、と私は想像します。イエスの証人として、よく話をした。そうなると、教会でも記録をつくるときに、あの誰それさんが、と書くことになるのです。
もちろん私の想像ですから、これ以上詮索はしないことにします。
叫び続ける盲人をイエスは、呼んで来させます。「あの人を呼んで来なさい」と呼ぶのです。私たちも、そうやって呼び出されたに違いありません。
◆河原町のジュリー
「物乞い」とは違いますが、「ホームレス」と呼ばれる方々のことを思い浮かべます。思い浮かべる、などということ自体、私がその外にいて、贅沢な身分で呑気にしていることを意味するだけで、本当に無責任というか、失礼なことであるように思います。いまこの凍てつくような冬の夜にも、外で寝ている人のことを、いったいどう言えばよいのでしょうか。
「ホーム」がないのか、ただ建物の「ハウス」がないだけではないか。そうした話をする人もいますが、いまは通称の「ホームレス」という呼び方を便宜上することをお許しください。生まれつき「ホームレス」だという人は、殆ど考えられません。屋根のある家で暮らしていたことが、きっとあったのでしょう。家族がいた人もいますし、いまの私とさして変わらない生活をしていた人も少なくないでしょう。元々貧しかった、という人はいるかもしません。それでも、生まれてからずっと外で寝て居た、というような暮らしではなかったものと推測します。
ですから、一度いわば普通の境遇で生活しておきながら、物乞いをするような立場に変わるというのは、いっそう辛いものではないか、と想像します。
「河原町のジュリー」という名前をご存じの方、いますか。福岡では殆ど知る人はいないと思います。京都にいた人で、私も見かけたことがあります。1984年2月5日の朝、祇園の円山公園で凍死しているところが発見されました。京都はその冬、特に厳しい寒さで、朝の気温は氷点下だったと記録されています。
河原町というのは、福岡でいえば天神に相当します。景観の関係で、高層ビルは建築できませんが、百貨店やお洒落な店が並び、一筋裏の新京極通りや寺町通りは、修学旅行のお土産店で賑わいます。「河原町のジュリー」と呼ばれたその人は、ただその辺りを歩いたり、世間を眺めたりしていました。ぼろぼろの恰好をして、「ホームレス」には違いありませんが、その中でも見かけも何もかも、最低の姿をしていました。
でも、悪いことはしません。積極的に人のいるところを歩きます。私の友人は、握手をしたことがある、などとも言っていました。この人の登場する小説を、いま読んでいるところです。『ジュリーの世界』、とても読みやすい小説です。河原町のジュリーについては、その後伝説となり、様々なメディアで取り上げられることにもなりました。
何らかの形で、人々に愛されていたのだと思います。ただ、その愛が、彼の生活を現実に支援するという形にはならなかったのです。それは、彼が何か過去を抱え、自らその生活を選び、自由に生きていた、ということとも無関係ではないでしょう。聞いた話では、元軍人だったとか、配偶者もいたとかいうことですが、本当はどうだか知りません。京都では歴史の中でたくさんいたという、「世捨て人」の一人であったということなのかもしれません。
愛されていた。私はそう申しました。援助をする人はいなかった。でも、愛されていた。その理由は、人々が彼を正に「河原町のジュリー」という「名前」で呼んでいたからです。名前で呼ぶということには、何か意味があるに違いないと思うのです。
「抱樸」というホームレス支援活動を営んでいる牧師が、北九州にいます。時々NHKで意見を述べる機会もあります。国会で参考人として提言することもありました。そうした話をするときには、必ず誰かの名前を挙げて、エピソードを語ります。ホームレスと一括りにされがちな人を、一人ひとり名前を呼ぶからこその活動です。だからこその支援なのだと思います。
確かに、「ボランティア」という活動は、ただ何か援助をする、というのではないのでしょう。誰だか知らない人のために助けた、というのではなく、助けた相手の名前を、必ず呼ぶのがボランティアだと思います。一人ひとりの人格と対面しながらでなければ、救援活動をしていることにはならないのだと思います。救援に幾らカネを出すということで胸を張る誰かのように、数字の話しかしないようなこととは違うのです。
◆福祉
さて、エリコの外の場面に戻りましょう。先ほど、障害者を助ける律法や文化がある、というような話をしました。ユダヤでもそうですが、イスラムでも「喜捨」といって、なすべき「五行」の一つとして、困った人を助けることが日常化しています。ユダヤでは、もてなしの精神が徹底しています。少なくとも旧約聖書はそういう姿勢で貫かれています。
盲人に施しをするというのは、たんに神からの命令であるというだけではありません。そうすることで、自分が神に祝福されることでもあるわけです。だから専ら自分のためにやっている――でも、そのような見方はやめておきましょう。
ともかくこうした社会規範があるために、物乞いをしても一定の収入が期待できる、ということになります。一種の福祉政策のようなものです。体の不自由な人を、いつもの「仕事場」に運ぶ人の存在が、福音書から窺えることがありますが、もしかすると、中にはピンハネをするような者もいたのでしょうか。あまり考えたくはないのですが。
差別的な言葉と見られたら申し訳ありません。諺があります。「乞食は三日やったらやめられない」というような言葉です。主語は「乞食と坊主」とか「乞食と医者」とか、役者とかなんとかが付くこともあるようですが、「乞食」は常駐しています。言葉の意味自体は、悪習は止まらない、というような場で使われることがありますが、たんになかなか抜けられないことがそこで強調されています。
今回イエスが、バルティマイの目を見えるようにすることになるのですが、私たちは、それがたんなる癒やしであるとか、奇蹟であるとかいうようにしか見ない傾向があります。生まれつき見えない人が、その見えないが故に幾らかの収入があったこと、そしてそれがもしも見えるようになったら、次は誰も同情してくれなくなり、収入が途絶えるかもしれないことなどは、予測しないものです。何の技能も知識もなく生きてきた人が、急に見えるようになったら、もう憐れんでもらうことができませんから、逆に生きてゆけなくなるのではないか、という心配はしないのです。
◆イエスと出会う場面
目の不自由なこの人は、ギリシア語から、男であることが分かります。物乞いをしていた男は気づく。なんだか騒ぎがする。この騒ぎは何なのですか。周りに人に尋ねたのでしょう。すると、あれはナザレのイエスだ、と教えてもらいました。知っている。奇蹟を起こす方だ。メシアかもしれない――と男が考えたてしたかもしれません。これはチャンスだ。
「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫び始めたところ、うるさいからか、「叱りつけて黙らせようと」しました。いえ、本当のところはこうだったのではないでしょうか。――障害をもつ者は、汚れており、清い人に近づくことはできない。おまえがラビたるイエスにコンタクトを求めるなど、してはならないことなのだ。
しかし男はめげません。「彼はますます、「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と叫び続けた」のでした。いっそう度を増して、イエスの名を呼ぶのです。しかもそれは、「ダビデの子」という呼び方をしました。これは、やはりメシアという告白だと捉えても差し支えないようなものでしょう。
イエスには、確かにその声が聞こえました。ただ、群衆に囲まれているものと思われます。イエスの方からそれを抜けて、かの男のところに行きづらかったのではないか、と推測します。ともかく、イエスは言います。「あの人を呼んで来なさい」と。イエスが命じたのであれば、人々は動きます。盲人を呼ぶ。呼んだのはイエスの弟子たちだとは書かれていません。その場にいた人なのでしょう。
物乞いのために地べたに座っていたであろう男を呼ぶ。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」この「立ちなさい」には、ピンとくる人がいるかもしれません。聖書ではしばしば、「立つ」とも訳せる言葉を、「復活する」という意味で使うことがあるからです。それどころか、「イエスが立ち上がらされた」と書かれてあるところを、私たちはたいてい「イエスが復活した」と訳して理解しているのです。
しかし、ここで盲人に呼びかけている「立ちなさい」は、復活を意味する語とは違います。復活を意味するために使われることはないようです。但し、文学的に、「目を覚ます」というようなニュアンスで使われることがあるとの解説が辞典にはありました。何かしら気持ちが萎えた状態のところへ、息を吹き返すことも意味するケースがあるのかもしれません。また、男にかけた「安心しなさい」は意訳のようです。言葉そのものは、「勇気を出せ」です。
いい誘いです。私も噛みしめたい。「勇気」を出せ。私は、この「勇気」という概念にいつもアンテナを張っています。西洋の本に(もちろん翻訳ですが)、この「勇気」という概念が、実に頻繁に登場するのです。しかも、特に説明を必要としないが何にしても説明するために必要十分であるかのように、当然のお決まりの語として出てくるのです。
それはともかく、盲人にかけられた、この「勇気を出せ」という言葉は、同時に「暗い気持ちから目を覚ませ」との言葉と並べて告げられました。
もうひとつ、ここの訳で気をつけたいことがあります。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」という、この「お呼びだ」です。ギリシア語にははっきりと、「あなたを」という語が添えてあるのです。これは訳出してほしかった。軽いものだと訳者は考えたかもしれません。しかし、「あなたをお呼びだ」だと、読者の一人として、私は「あなた」と呼ばれることによって、イエスの言葉をまともに受けることができたはずです。ぜひ入れてほしかったと思います。
まだ、見えるようになったわけではありません。だのに「盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た」のです。上着を脱ぐとは、尊い方の前では失礼な行為です。でも、嬉しかったのです。躍り上がったという語は、他の箇所では、「急いで飛び入る」のような場面で使われている言葉です。盲人は喜んで、急いでイエスのいるところに飛び込んだのです。見えないのに、危険ではなかったのでしょうか。
51:イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、また見えるようになることです」と言った。
気づかれましたね。盲人は「また見えるように」と言ったのです。原文には、「また」という副詞はありません。ただ、「視覚を受ける」とでもいうような意味合いの一語があるだけで、それは必ずしも「再び」をも意味しているとは限りません。しかし視力の回復を指しているのであろう、と考えられています。かつては視力があったという想像です。
生まれつき盲人ではなかったのではないか、というのは、そういうことです。最初は晴眼であったものと理解します。物乞いが天職なのではなく、ホームレスが生まれつきなのではなく、かつて見えていたときの自分に戻りたい、と願ったと捉えるのです。
それは、大袈裟に言えば、神の光が見えない、霊的な盲目から回復することにもつながります。人間が罪に陥り、神の楽園を去らねばならなかった。しかしその罪から解放され、神の国が分かるようになる。そのことを願うのです、と私たちが告白したとしたら、とても信仰深い証しとはならないでしょうか。
◆再び
「何をしてほしいのか」というイエスの問いかけに、「また見えるようになること」と盲人はすぐさま答えました。この男の立場に立つと、イエスにはそれができる力をもっていたと聞いていた故でしょう。それがいま近くを通りかかっている。これは千載一遇のチャンスではないか。
そしてイエスの側からは、このバルティマイの願いを聞き入れたわけで、そのとき「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」という言葉を発しています。信仰が救う。ほかでも聞いたことがある言い回しです。
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。病苦から解放されて、達者でいなさい。」(マルコ5:34)
マルコ伝では他にはこれだけですが、ルカ伝にはイエスは四度同様のことを口にしています。マルコの信仰を拡張しているかのようです。が、この「信仰」という言葉は幾らか膨らみを以て受け止めた方がよいかもしれません。思い込みが激しいと、「俺は神を強く信じている。その信仰が立派だから、救われたのだ」というような勘違いをしてしまいます。「信仰」が「神に委ねること」「神への信頼」というところで捉えられるべきことと、さらに言えばこの語は、他の場面では「真実」とも訳されますから、「神に対する真面目な思い」を尊重したことを含ませることもできようかと思うのです。
さらに言えば、「救った」は、もちろん「救った」でよいのですが、「癒やした」あるいは「護った」というようなニュアンスも持ち合わせているかもしれず、薄っぺらな言い方になりますが、「うまくいった」という感覚も含んでいるとも言えるでしょう。「あなたのその神への一途な思いのために、あなたは立ち上がるのだ」というように受け止めるならば、たとえ読者たる私が現実に盲目でなくても、そして何か大切なことが見えずに迷っていたとしても、立ち上がり歩み始めることへの一歩がイエスにより備えられる、と感じてもよいと思うのです。
52:イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はすぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。
マルコの口癖のような「すぐ」を伴って、「すぐ見えるようになった」と書かれています。訳では「また見えるようになること」を望んだことに対する、イエスの計らいでした。見えていた経験をもつ者が、視力を取り返したのならば、初めて見えたのではありません。回復したのです。神に祝福されて想像された、アダムのいた世界、いわば神の国に、戻ることが赦されたのです。
バビロン捕囚から、イスラエルの民の一部が戻ります。自分たちの生活もままならぬ情況だったことでしょうが、力を合わせて、神殿の修繕へと労します。かつてソロモンが、多くの贅沢を極めて築き上げた神殿とは程遠い出来であったかもしれませんが、そのときとはまた全く違う感動を、その苦労は呼びました。かつての栄光を知る者の鳴き声が、遠くにまで響き渡ったことが、そこに証言されていました。
でも、かつての栄光と比べる必要はありません。それを懐かしむ必要はありません。いまここから、新たな光に照らされて、新たな歩みが始まります。「また」輝くのです。
◆従うことができる
52:イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はすぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。
まだ注目すべき結末が待っています。バルティマイは、「なお道を進まれるイエスに従った」のです。癒やしを受けた者は、従いたいと願ったのにイエスに拒まれた、という例がある一方、このバルティマイのように、イエスに従ったという結果になる場合もあります。ここで、最初にバルティマイの名前がわざわざ記されている理由を推測したことを思い起こしましょう。私は、「その後教会に加わり、教会で何らかの仕事をしたとか、証しをして有名だったとか、そうした役割を果たした人ではなかったか」と推測していました。この「イエスに従った」という記録は、その傍証となるように思えてなりません。従ったからこそ、後の教会へと加わり、イエスの証人として働いたのではないか、と。
バルティマイに対してイエスは、「何をしてほしいのか」と呼びかけました。バルティマイは、「また見えるようになることです」と応えました。「どげんだっちゃいい」という態度ではなく、自ら求め、また問われれば応えました。そして、その願いが叶えられたところで「めでたし、めでたし」と終わるのではなくて、そこからイエスに従って行ったことが描かれていました。
イエスはなお道を歩まれました。十字架で殺されるという予告もしていましたから、十字架に近づく歩みを進めたのでした。そのイエスに従うことを許されたバルティマイは、特別な役割を担うことになっていたのではないか――いえ、それはもうどうでもいいことです。
問題は、私もバルティマイだということです。イエスから名前を呼んで、「何をしてほしいのか」と問われたのです。いま何か見えない状態に陥っていたとしても、求めるならば、癒やされて、また見えるようになる、ということです。イエスにここから従って歩むことができる、ということです。
また見えるようになったでしょうか。神の愛が、慈しみが、見えたでしょうか。イエスの勇気が、感じられたでしょうか。なおもイエスは十字架へ向けて歩みます。そのイエスに従うというのならば、私もまた自分の十字架を負って歩むのです。
そこには、まだ困難が待っていることでしょう。どんな罠が仕掛けられているか知れません。しかし、恐れる必要はありません。
まことに主はあなたを救い出してくださる。/鳥を捕る者の網から/死に至る疫病から。(詩編91:3)
だからイエスに従おうとするならば、きっと勇気が与えられるでしょう。イエスがいま「何をしてほしいのか」と問いかけます。マタイ伝では「求めなさい」とイエスが告げました。それに対して「どげんだっちゃいい」という態度は、あまりにも無責任かもしれません。でも、思います。神に選択を委ね、神に従うという決意の表明であるのなら、その答えも、まんざら悪いものではないのかもしれない、と。