独り暮らしを始めた(3)
2026年2月5日

家で何もしていなかった者も、いざ独りで全部しなければならないところに追い込まれると、それなりにやるものだ。それはよい社会勉強でもあった。但し、とにかく金銭だけは明瞭にしていて、毎月報告することだけは、怠ることをしなかった。
ところで、肝腎の勉学の方はどうだったか。これも金銭的な面であるが、書籍が、生協で少し割り引いて購入できたのはうれしかった。京都には古書店もそこそこある。だが、欲しいものを求めて行くということは稀で、一応探してはみるものの、期待はできなかった。いまはインターネットで全国の古書店から在庫を探すことができるし、価格も比較できる。さらにそれを家まで届けてくれるというわけで、夢のようなシステムである。
古書店というのは、基本的に掘り出し物がないか見に行くものだった。何軒か並ぶのは、寺町通や丸太町通辺りがターゲットだったから、近くにも一件あったので、大学の帰りに立ち寄る機会は多かった。しかし、そこで見つかるのは、哲学の本当に古いものだった。私は旧字体には慣れていたので、「哲學」と書いてあっても何の違和感もないし、「舊字體」とか「實」「禮」「當」とかあっても普通の感覚で読めるわけで、古書を読むに困ることはなかった。古びた岩波書店の函入りの本など、高価でなければ喜んで買った。書籍については、1か月に一万円を超えないように計画していた。つまり、そこにはお金はかけたのである。
生協で割引きで買えたのはうれしかったが、それでもよくよく考えて購入していた。但し、憧れの本や専門として扱うものについては大胆に購入することがあった。理想社のカント全集は商売道具であったし、後に幾らかでも買える力があればということで、プラトン全集やデカルト選集のようなものも、邦訳だが揃えた。こうした全集を、この度のコロナ禍で家に籠もらなければならなくなったとき、全部読み直したのは有意義であった。
三回生辺りからだったか、専門性が高まると、こうした全集も原語のものを必要とした。ズールカンプ版でもよかったし、後にレクラム文庫でもカント書は幾らか手にしたが、やはりアカデミー版は魅力だった。あの髭文字の名版である。ペーパーバックではあったが、洋書を扱う業者が研究室に出入りしていたために、学生相手には全集ならば割り引いて提供してくれた。また、時にセール品があると紹介してくれた。こういう場合には、清水の舞台から飛び降りるつもりで、購入することに吝かではなかった。
また、能率よくするための機器にも、金銭は惜しまなかった。ワープロが出始めたときにも、またパソコンがなんとか手に入る価格になってきたときにも、早い時期に手に入れた。いまではノートパソコンのかなり高級なものが十分買えるくらいの価格で、当時スペックの小さなワープロを購入することも、自分としては、賄える限りはどうということはなかった。食費の2年分近くでも、出すべきときには出したのだ。もちろん、その頃には、アルバイトを増やしていたわけで、細かな過程は省略するが、幾つかかけもちで、かなりありがたい助けを受けていた。
テレビはいつ購入したか覚えていない。最初はなかった。生活にリズムができてきて、家計簿がその購入を許可する程度になってから、計画的に、物品は増やしていった。たとえば、実は最初に何を買ったかというと、電子レンジだった。これは生きてゆくために実に役立つことを、一年先に京都に行っていたあの友人が教えてくれたのだ。
とにかく最初の一年か二年は、生活費に余裕はなく、たいへんケチケチした暮らしを余儀なくされたのは事実である。それでも、栄養についても学び、食生活は、たとえ安価でも、健康を考慮した献立を考え、購入をしていた。これが全部外食だと、きっと体によくなかっただろうと思う。野菜はもちろんだが、牛乳と卵、肉タンパクと海藻に茸といった食材は、必ず取り入れていた。夕食は自炊で米を炊く。味噌汁をこしらえる。
正月のお節も自前でこしらえていたことがある。黒豆を煮たり、田作りに挑んだりもした。母が教えてくれた雑煮の作り方は、我ながらいい感じにできたと思う。京の雑煮の真似はしなかった。できなかった。博多風の雑煮だが、鰤までは入れられなかった。それと、かつお菜が入手できなかったのは仕方がなかった。