独り暮らしを始めた(1)

2026年1月30日

何年前とは定めまい。そもそも大学に合格できず、浪人生活か始まったことが、親不孝そのものだった。当時は、予備校にも特別に格安に見えるものがあったが、私は宅浪を決めた。家にそんな十分なお金があったわけではなかった。あるいは、あったかもしれないが、金銭で迷惑をかけたくなかった。どうであれ、とんでもないわがままであった。
 
もう一つ理由があった。高校では理系クラスにいた。数学が魅力的だった。数学には真理がある、そう信じていた。この世界の真理が美しく数学の世界にある、と思えたのだ。人の心が分からず、一意的な答えがない社会科学や文学など、何の魅力もなかった。ただ、高校3年のときに、「倫理」という科目があり、これは面白いと思っていた。数学とは違う形の真理がそこに見え隠れしている。もちろん、一意的な解答があるわけではない。しかし、人生の「まこと」のようなものを探究することが、学問なのだ、ということは分かった。
 
私には、そんな数学の才能などなかったのだ。高等数学を操る力量がないことは、薄々分かっていた。分かっていたのに、認めたくなかったのだと思う。中学程度の数学なら、造作なく解けたために、きっと勘違いをしていたのだ。
 
それに、英語ができなかった。高校の英語が始まると、これは中学とは別の宇宙のものだ、と驚いた。詳しく辿ることはいましないが、要するに、英文で書かれた人文科学の内容についての素養がなかったために、書いてあることが理解できなかったのである。
 
これでは、付け焼き刃的に学習を続けていても、秀逸した結果を求める高い大学のレベルの試験では、合格点に到達するはずがない。こうして、宅浪生活が始まった。そしてこのとき、自分の数学に見限りをつけ、倫理の方に真理を探すことに決めた。それが「哲学」であることが分かった。哲学の本を読むと、これが実に面白かった。肌で分かる、という感覚がした。これは、自分に合っていると知った。
 
こちらが真理だ、と方向転換した。いわゆる「文転」である。そうなると、文系の予備校にはついていけない、とも考えたのだ。その代わり、当時あった受験の国語雑誌『学燈』を頼りに、薦められた評論や小説を、片端から読み漁った。人間の思考を幅広く身に着けるための修行めいたものだった。
 
通信添削はさせてもらったものの、まともに模擬試験をも受けることもなく、無謀にも相当難関の大学を受験したのだった。但し、今回は私立大学も受験した。一番学費の安いところを探した。また、哲学というからには、京都というところに憧れを抱いた。家を出る決意をしていた。それは、ひとりで生活をするようにしないと、自分は駄目になる、と直感したからであった。家で料理はおろか、家事など生活に必要なことを、私は殆どしたことがなかったからだ。
 
親にしてみればたまらないだろう。実に親不孝だった。よくぞ怒鳴り飛ばして否定などせず、私の我儘を自由にさせてくれたものだと、いま親になって、驚くばかりである。結局、やはり高嶺の花の大学には手が届かなかった。比較的安いとはいえ、私立大学には合格できた。この辺りのことにも、陰には様々な事情があるのだが、説明は割愛する。学力的には、そこに入れないはずはなかったが、そういう安全策をとった、というわけではない。要するにそこには、哲学の伝統があったのである。私は完全に、やりたいことができるところを選んだ、それだけであった。
 
自炊ができるアパートを探した。浪人している間に、京都に先に進学していた友人にいろいろアドバイスをもらい、そこに泊めてもらい京都を歩くなどもしていたので、生活のひとつのモデルは理解していた。彼の部屋とは比較にならない粗末なアパートだったが、その分家賃も安く、自炊はしっかりできた。広さも十分あったので、満足だった。
 
学生が入るアパートであり、私はただ大学の紹介でそこを選んだだけであったが、大家さんのところに挨拶に行くと、えらく丁寧に迎えてくださったばかりか、そこの高校生のお子さんの家庭教師をしてもらえないか、との依頼を受けた。どうしてなのか、分からない。他にも新入居者もいたし、他の学生もあっただろうに、いま以て不思議である。
 
ともかく、これで払った家賃の分だけ、戴けることとなった。(つづく)



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