湖の上を歩いてくる前に
2026年1月19日

11月23日以来、久しぶりのマルコ伝である。クリスマスなどを挟んで、マルコ伝の連続講解説教は、8週間ぶりに再開された。五千人にパンと魚を分けた直後のことである。マルコ伝では「すぐ」という語は、あまりにも頻繁に使うので、本当に時間的に直後であるのか、それは疑わしい場合がある。
説教者は、マルコ伝の筆者に、最大限に近づいてゆく。なにしろ、事件から40年ほどの時間が過ぎている。ペトロと親しかったという話もある。筆者の名をマルコと呼ぶことにするが、マルコがどこまで直接イエスの出来事と接しているのかは定かではない。それでも、とにかくイエスの出来事を書き記す使命が与えられた。
歴史上初めての福音書というジャンルを開拓したのは、ただの人間の知恵ではありえなかった。文字を綴る。だが、説教者はその心理をこう表現する。「もどかしさ」と。テキストとしての文字を生み出すのは、人の経験である。だが、文字という記号になったものを、また解凍するように元の経験に戻すということには、原理的にできないものである。
だか説教者は、そのような論理的なことを説明しようとはしなかった。ペトロの経験談を記録するという場面を想定してのことだが、「話す人の眼差しを書き写すことはできない」ために「もどかしさ」に包まれているというのだ。「でも、なんとかして伝えたい」気持ちが、マルコにはあった。
聖書を書く者のわくわくした思いに共感できるのが説教者の特性であった。それは、同じく神の言葉を取り次ぎ、神の言葉が出来事になる場の当事者であるからであろう。
本日開かれた聖書箇所、マルコ伝の6:45-56のおよその筋書きを、時折脇道に逸れながら振り返ってみよう。群衆を避けてかどうか、イエスは弟子たちを「強いて」舟に乗れと促し、ベトサイダへ先に行かせた。説教者は、疲労した弟子たちを慮ってのことではないか、という説明をしていた。私は、この後の出来事のための設定をしていたのではないか、とも見てみたい。
イエス自ら群衆の解散を担い、祈るために山に行く。さて、夕方になる。舟は湖の中央まで行っていた。イエスは陸地にいた。
イエスは、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜明け頃、湖の上を歩いて弟子たちのところへ行き、そばを通り過ぎようとされた。(マルコ6:48)
この後、弟子たちがイエスを幽霊かと思って驚くが、イエスが安心させる。そして舟に乗り込むと、風は収まる。弟子たちはパンの意味が分かっていなかったから、事の次第を理解できなかった、とマルコは記している。
こうして舟は湖を無事に渡る。ゲネサレトの地に上陸すると、人々はそれが噂のイエスだとすぐに気づいて、病人を運んでくる。そうしてあちこちでイエスは病人に触れ、癒やしの業を続けたという。
実は、幾つか注目すべきところがある。「強いて」舟に乗せる点は先に触れておいた。説教者が詳しく話したのは、湖の上を歩いてきたイエスが、弟子たちのそばを「通り過ぎようとされた」という点であった。これは冷たい仕打ちではなくて、そもそも旧約聖書からの伝統で、神が人と会うときにしばしばそのような表現をとる、というのである。人は神と面と向かって会うことはできない。神を見た者は死ぬとも言われ、恐れられていた。とにかく神と正面切って出会うということは、どだい無理なのだ。
「幽霊」も気になるが、日本人がこの語から連想するものとは違うだろう。「ゴースト」というのとも、たぶん異なると思う。イスラエルにとり海は気味の悪い場所であり、怪物や悪霊の住処のように見られていたことを、以前説教者は教えてくれた。ガリラヤ湖は湖ではないか、と思われるかもしれないが、言葉の上ではそれは「海」と差異がない。弟子たちが、得体の知れない存在を、超自然的な現象に対して見たと思ったのも無理はないだろう。
だがイエスは、「安心しなさい。私だ。恐れることはない」との言葉で、弟子たちを落ち着かせる。この「私だ」は、何気なく読むと、日本語で「オレだよ」と言うだけのように聞こえてしまうが、原文では「私はある」が見えてくる。ヨハネ伝だと強調されるのだが、要するに神の名である。「私はある」とここで宣言したのは、神の名を響かしめたわけではないとは思うが、私たち読み手の心に響いてもよいのではないだろうか。さらに言えば、「安心しなさい」言葉のニュアンスは、決して「平安」ではなく、「勇気をもて」の語が用いられている。「勇気」については、西洋思想の中に、全く目立たないままに実は確信を貫いている大切な概念ではないか、と私は睨んでいるのだが、いまここでそこに言及する暇がない。加えて「恐れることはない」との訳も、端的に「恐れるな」とだけ言っている。ギリシア語の単語5つで、このときのイエスの言ったことが賄われているのである。
加藤常昭先生も、この箇所の説教から、イエスの十字架へ続く道を見出していたが、説教者もまた、それを踏襲していた。私たちが、弟子たちと同じように「逆風のために……漕ぎ悩んでいる」という人生を抱えている中で、そこにもイエスは立っているし、私たちの脇を通り過ぎようとしている。そのときのイエスは、ただ私たちに向き合うことを避けただけではなく、通り過ぎてひたすら十字架へ進もうとしているのだった。
また、舟に乗り込んだイエスの姿は、私たちの生活の中に乗り込んでくださるイエスの事実を保証する。説教者は常に、聖書に書かれた出来事が、いまここで私たちの生きる道に於いて生じていることを確認させようとして語る。イエスが舟に乗り込んだとき、私たちの内にイエスが来てくださったことを感じるといい。すると、逆風云々の問題も、「風は静まった」という成り行きを信じようではないか。
怯える弟子たちに対して、ここでもマルコらしいのだが、「イエスはすぐに彼らと話を」した記している。私たちは、神の助けがなかなか現れないことを嘆いたり、不安に思ったりするかもしれない。だが、神の時計では決してそれは長引かせているものではない。「すぐに」という効果を信じたいものである。あるいは、私たちが信じたならば、たちどころに神の愛が平安と幸いをもたらす、ということが信仰の事実であるならば、確かにそれは「すぐに」であったことになるはずなのである。
さて、こうした読み方であれば、これまでの私も気づいていたことに近いのではないかとも思う。だが、今日、強く教えられたことがある。ノーマークだったのだ。もう一度、先の句をここに繰り返そう。
イエスは、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜明け頃、湖の上を歩いて弟子たちのところへ行き、そばを通り過ぎようとされた。(マルコ6:48)
人生で漕ぎ悩む。オーケー。湖の上を歩く。そう、イエスが湖の上を歩くのかどうか、巷ではしばしば話題に上る。それは錯覚だったとか、実は小さな舟に乗っていたとか、なんとか私たちの科学の領域で説明できるようなことを考えるのが流行った時代もあっただろう。そしてその点についての学者たちの議論をあれこれと並べる説教もあったかもしれない。いまでもあるのだろうか。さらにまた、「通り過ぎる」件については、確かに説教者は旧約聖書の世界観と共に説明してくれた。
だが、私がハッとしたのは、説教者が指摘した、次の点である。「イエスは、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て」と書かれている。主語と述語を取り上げると、「イエスは見て」である。イエスは弟子たちを見て、弟子たちのところまで来たのである。湖の上を歩いてくる前に、まず弟子たちの困難を、見たのである。
湖の真ん中にいた舟を、イエスはどこから見て、弟子たちが漕ぎ悩んでいることまで認識したのだろうか。陸ではないのか。陸からガリラヤ湖の真ん中までが、見えていたのである。さらに、それは「夕方になった頃」であった。闇とまでは言わないが、夕暮れを想定してよいのではないか。照度が落ちた中で、私の感覚では、福岡の中央から、近くて能古島、恐らくは志賀島辺りまでを見通す距離感である。
説教者は、私たちからもしイエスが見えなくなっていても、イエスは私たちのことを見ているのだと告げた。確かにそうだろう。私たちが自分の立ち位置から、困難のために、労苦や世の煩いのために、イエスが見えなくなってしまうことがあるかもしれない。だが、そのようなときにも、イエスが私たちを見ていないはずがない。見えないはずがないし、見捨てるはずがない。
それは確かに、詩編の詩人が言うように、私たちが立つのも座るのも神は知るということなのかもしれないし、それはある意味で厳しいことでもあるだろう。しかし、それが怖いというような感覚は、ただ監視されていると思う場合である。イエスは私たちを見ている。見えている。そして、魔物の住む海の上をも歩いて、ここへやってくる。そうして、私たちの人生の舟に乗り込んできて、共に漕ぎ出すように力を添えてくれるのだ。
尤も、弟子たちが漕ぎあぐねているのを見たのは「夕方になった頃」であったが、イエスが弟子たちの許に行ったのは、「夜明け頃」であったという。弟子たちは不安な夜を過ごしたことだろう。少しばかり時間がかかることもあるようだ。うまくゆかない時間がしばし続いても、私たちには、待つことも必要なようだ。できれば、このときの弟子のように、イエスがいない虚しさの中で、イエスがまさか姿を表そうとは思ってもみなかった、というような具合ではなく、イエスは必ず救いに来る、という信仰を以て、待つようでありたい、と願いたい。