インフルエンザにご注意
2025年12月18日

今でも新型コロナウィルス感染症は流行している。非常事態宣言が始まった頃よりもよほど患者は多いと推測されている。正式な人数は報告されていないが。
だが人々の意識の中では、もうコロナ禍は過ぎた、という認識であるように見える。一応正体も分かったし、死者が大量に出る報道もないからだ。マスコミが騒がなければ、それは無きに等しいと見なすのが常である。
コロナ禍の最初の頃には、世界中で死者が出るというニュースも飛び交ったし、なにしろ自分たちの生活そのものが制約された。それに比べると、インフルエンザは、ただの風邪のようにしか思えない。そう思う人がいることは、理解できないわけでもない。
塾でも、どこそこの中学は学級閉鎖だ、といった話が出てくる。塾は、地域のそうした情報を集約する場所でもあるのだ。友だちがそういう話を広めてゆく。学級閉鎖になると、学校に行かなくて済む、ということになるわけで、インフルエンザにかかりてぇ、などと口に出す子が現れる。もちろん冗談交じりだということは分かっている。だが私は、冗談でも言うものではないと思うから、すぐに戒める。
インフルエンザも命取りである点では、実は怖い。統計の基準によっても異なるが、直接関連する死者数は年間一万人以上いる、とも言われる。もちろん、高齢者の危険度が勝っていることは当然だと言える。
だからか、大人も、インフルエンザくらい、と高を括っている。
電車の中で、マスクなしで平気で咳をするし、それを腕で止めるようなこともしない。
コロナ禍では、そんなことはきっとできなかったはずだ。周りの目に殺されるような思いだったからだ。
物事の大切さや、他人への配慮などという原則でひとは動いていないことがよく分かる。それどころか、何が悪いのか、と開き直るつもりでいる場合も少なくないだろう。その咳により罹患し、仕事を休み給料が減る、あるいは辞めさせられる、というような立場の人がいるかもしれない、という想像力は皆無である。移された人が楽しみにしていた催しに泣く泣く行けなくなる、などという可能性は、頭の隅にも現れない。その自分の無責任な咳によって。
電車のように、長時間を共にする密閉した空間では、そうした危険性は益々増すわけだが、そういう想像力に欠けている者は、一定数必ずいる。配慮ということを知らない者がいることは、電車の中でずうっと喋り続けて他人の思考を絶滅させる苦痛を味わわせる者が必ず現れることや、優先席にどっかと座ってスマホをも覗き込み、だから周囲の高齢者に気づきませんでした、と言い訳を準備している者が絶えないことからも、明らかである。
妻の勤める病院でも、ものすごい患者が押し寄せている。日によって波はあるが、集団生活があると当然同じ時期にがばっと増える。医療従事者にとっては、コロナ禍のときと大きく変わらない危険性を抱えていることにもなる。
ともあれ、感染予防と、感染させない想像力とに、いくらかでも意識を加えて戴きたい。