12月8日

2025年12月8日

もはや歴史の中の出来事であるかのようだが、12月8日という日付けを、日本人が忘れてしまうとすれば、残念極まりないことのように思う。開戦の通告がどうのこうのという背景は専門家にお任せするが、とにかくここから連合国との戦争が始まったのである。
 
先に手を出した方が悪いなどという理屈も、たとえば挑発に応じたなどということを言い出すと問題が逸れるから、いまは気にしないでおく。ただ、とにかく攻撃を仕掛けたことには違いないわけで、それをもう気にしない、というようであれば、また起こすことも危惧されて仕方がないであろう。
 
日本の高度経済成長の理由のひとつに、朝鮮戦争があることは否めないと思われる。これを単に喜ぶべきこととして捉えているのならば、その恩恵を受けている一人であるが故にまた、悲しいものを覚える。よく、「死の商人」という言葉で、人殺しのために金儲けをする者を軽蔑するような場合があるが、それとどこが違うのか、頭の悪い私には分からない。
 
戦争の正当化のひとつに、「相手も悪い」という姿勢がある。それは、自分からは謝らない、という宣言であるように聞こえる。キリスト教は「悔い改め」ということを重んじるはずだが、国家云々というスケールでなく、個人レベルでも、考えなければならないことだと思う。キリスト教会が「悔い改める」という言葉を呈することも稀であるが、自分たちは正しいのだぞ、という姿勢が根幹にある限り、イエスが敵視したユダヤ教のエリート層とどう違うのか、やはり私には分からない。
 
同じ12月8日という日付けに、ジョン・レノンの死を重ねる人もいるに違いない。あのときニュースが世界中を駆け巡り、まさか、嘘だ、という声がわんわんと鳴り響いていた。音楽は、人の感情を揺さぶることがある。ジョンの場合は、歌詞が中心にあったのかもしれないが、その歌詞が非常に世界に訴えるものをもっていた。物議も醸したし、キリスト教会に対しては宣戦布告のようなものもあったかと思う。「イマジン」は、アメリカの戦闘態勢のときに放送禁止になったそうだが、既成の宗教を完全に踏み潰すような歌詞でもあった。
 
楔を抜いたら、接合は外れるだろう。楔が腐っても、歯止めが利かなくなるだろう。忘れてはいけない、という戒めを、12月8日の中から聞くことは、私たちにできないことなのだろうか。



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