青のオーケストラとサムソン

2025年11月18日

「青のオーケストラ」の第2期放送が2025年10月から始まった。青野一くんを主人公として、おもに高校を舞台に、オーケストラ部での活躍を描く。「響け!ユーフォニアム」が吹奏楽部を綴ったものの、男性版という感じがする。いずれにしても、質が高い。音楽ものの小説やマンガをアニメ化するには、どうしてもその演奏を表現しなければならないが、どちらも一流の楽団が担当している。それも、練習して巧くなる様子を示すのに、よくない演奏も演じなければならないなど、大変なことだろう。
 
それはそうと、もともと父親に仕込まれて天才ヴァイオリニスト少年と騒がれた過去をもつが、世界的なヴァイオリニストの父親が母親を不幸にしたことから父親を憎むようになり、一時はヴァイオリンを離れてしまっていた青野くん。だが周囲の人や出来事によって、オーケストラ部の名門の高校に入学し、いまは高校2年生。模範的な3年生が抜け、今年は出来がよくない(ユーフォニアムの展開も似ている)。
 
今年のコンクールでは、サン=サーンスの歌劇『サムソンとデリラ』より「バッカナール」を演奏する。今週の放送では、幾ら演奏しても、その中から湧き上がる心というものが表現できていないことで、何か物足りない演奏となり、部員が悩む場面があった。11月16日の放送、第7回である。
 
キリスト者として注目したのは、やはりこの「サムソン」の登場である。曲の解釈がうまくできていないというストーリー展開であるため、サムソンの話が紹介され、幾度も問われ続けることになる。もちろん、それは旧約聖書士師記に登場する、怪力サムソンである。
 
信徒の方には説明不要であろうが、概略だけは記しておこう。イスラエル民族が約束された土地に入り、いまのイスラエルの土地に定住し始めて間もない頃のこと。まだ周辺諸民族との争いは度々あったのだが、とくにペリシテ人たちは、イスラエル人からすると、宿敵のライバルだった。当時イスラエルはまだ統一国家の体を成しておらず、小さな民族がそれぞれに生活しては、何かあれば同盟を結ぶような形をとっていた。そのとき、リーダーとして立ち上がった者を士師と呼ぶ。サムソンは、その一人であった。
 
しかしこのサムソンについては、戦いの指揮を執ったというよりも、その女性関係だけが描かれている。とにかく力が強かったので、単独でペリシテ人たちとやりあっては勝ちまくっていたわけだが、それは、サムソンにはある神との誓いが成立していたからだった。その母マノアに子どもが産まれなかったため、その子の髪に剃刀を当てないといった約束を神と交わし、このサムソンを産んだのだった。サムソンは、髪があるかぎり超人的な力を発揮するものとなった。
 
何人かのペリシテ人の女に惹かれては、ペリシテ人に裏切られ、怒り心頭に発すサムソンであったが、最後にデリラという女を愛するようになる。しかしデリラは完全にペリシテ人たちと通じており、なんとかサムソンの怪力を封じる方はないか、とサムソンを騙そうと努めるのだった。サムソンは幾度も嘘を言い、急襲したペリシテ人たちをやっつける。デリラは最後には泣き落としにかかり、サムソンはつい、自分の髪の秘密を明かしてしまう。
 
サムソンは捕らえられた。ペリシテ人たちはサムソンの目をえぐり出し、連れ去って見世物にして嘲笑う。だが、少しずつ伸び始めた髪は、サムソンに元の怪力を幾らか与え始めていた。サムソンは祈る。主の名を呼び、今一度だけ力を与えて復讐をさせてください、と祈ると、ペリシテ人たちが集まった建物の2本の柱を片手ずつに当て押し倒す。サムソンは、大量のペリシテ人を殺し、自らも息絶えた。
 
オーケストラ部の高校生たちは、この物語を聞くが、なんとなくテクニックに走り、ちゃんとした演奏はするのだが、何かが足りないと指摘され、悩む。その中で青野くんは、挑発的な先輩の言葉に湧き起こる怒りを覚える。そして、独りその怒りのままに演奏したが、周囲とはずれていた。但し、聞く耳をもつ何人かは、青野くんが何かを掴んだことに気づいた。
 
ミーティングで、ふだんは引き気味の青野くんが、皆の前で口を開く。復讐の気持ちの表現には、サムソンが最後の最後まで我慢をして復讐心を溜めこんでいたことがあり、その溜めの次に全力を注いだことだ、というようなことを説明し、演奏にも、その「溜め」を意識して、復讐心を表現してはどうか、と提言したのだった。
 
聖書の中のサムソンの忍耐については、確かに考えたことがあった。だが私もまた、サムソンの理解には、どこか醒めたものがあったような気がした。女に現を抜かし、最後には情に絆されて自滅への道を啓き、ある意味で自業自得のような目に遭ったわけだ。また、サムソンの活躍はすべて非常に乱暴で、道徳のかけらもないような有様であったために、必ずしも尊敬すべき人間像には見ていなかった。
 
しかも、「復讐させてください」との祈りが、新約聖書のキリスト教からすると、反面教師のようにしか見えないのではないだろうか。
 
だが、青野くんに教えられる。サムソンは溜めていたのだ。人間、おとなしかった者が鬱憤を溜めこみ、あるとき「キレる」というようなことはよくあるが、同じ「キレる」にしても、ある意味で計画的に、機会を待つ忍耐を続け、復讐の一心を胸に、自らの命をも差し出すということは、神の力を表すものとして偉大なものとなり得るのだ。
 
もちろん、イエスは、復讐をしたかったわけではない。だが、命を棄てる覚悟をして、人間の救いのために忍耐し、溜めていたものがあったとすれば、その復活の力は如何ほどであることか。
 
青野くんの声に何かを掴んだ部員たちは、来週の放送で、いよいよコンクールに挑む。ストーリーの先は知らないので、いまから楽しみにしている。



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