改革

2025年10月31日

1517年10月31日、ドイツのヴィッテンベルクの城内に、マルチン・ルターが95ヶ条の論題を打ちつけたということから、宗教改革の幕が切って落とされた。歴史ではそう学ぶ。事の次第は、そう単純ではないに違いなく、歴史を深く研究する人は、当時のことを様々な、血眼になって探すことになる。しかし素人の私はそこには足を踏み入れない。
 
「宗教改革」と解答欄に書くテストは、中学生にも出題させる。問題の文に「プロテスタント」という語が見られることはあるが、解答欄にプロテスタントと書かせることは、「宗教改革」よりは少なかろう。
 
この「宗教改革」と呼ばれる歴史用語の原語は、ドイツ語では「die Reformation」とあり、英語も定冠詞が異なるくらいのものである。この一語は「改革」の意味しかもたない。だが、それだけで、16世紀の歴史的な動き全般を意味することになっている。
 
「宗教」というものが、それだけ視野の中央にある、ということなのだろうか。
 
ルターの勇気ある行動は、くすぶっていた様々な人の心を揺すぶった。宗教者たちもそうだが、諸侯など政治に関わる人々もそうだった。ルターは命の危機に見舞われていたとしても、歴史の――否、神の計画の――中で護られてきたのだ。
 
他に、名も無い人々の多くの気持ちが、「改革」を導き、造り上げた。歴史というものは、概してそういうものである。将軍や天皇の名前で日本史が記述されるように学ぶ野は、ある意味で錯覚である。無数の庶民が日本を支えてきた。確かに政治制度を直接動かしたとは言い難いが、為政者の衣食住を支えたのはその庶民であったし、人口の大多数を占めたのは、そうした人々であった。
 
日本の政治は、太平洋戦争後、少ししてからは専ら保守政治が政策を担ってきている。政権が変わったことはあるにはあったが、政治や制度が大きく変わったとは言えないままに流れているように見える。「改革」がなされたようには受け取れない。
 
「改革」があったのは、明治維新である。それを理想のように掲げて、「維新」という名をもつ政治家や文化的な動きもあろうかと思うが、なかなか現実にいまそうはならない。しかしともかく、明治政府のときは、日本が大きく変わった。朝の連続テレビ小説(朝ドラ)はいま、「ばけばけ」を放送している。ちょうどその頃のことではあるが、武士の精神にこだわる家族を滑稽に描いていた。が、政治制度をテーマにしたドラマではないため、文化的にどう扱うのか、それは殆ど期待できない。
 
もちろん、太平洋戦争後も大きな「改革」にはなったが、それは明治の改革を止める働きがあった、とも言えるだろう。
 
さて、本筋は、キリスト教の中でいま「改革」は必要なのかどうか、という点である。
 
旧約聖書では、歴史が長いだけあって、幾度か「改革」がなされている。アブラハムから神と人との関係が鮮明になってゆくことはカウントしないとしても、モーセの契約がひとつの「改革」であったことは否めまい。ヨシュアによる契約もまたひとつの区切りである。
 
申命記までのいわゆる「律法」の規定にも拘わらず、士師記の時代には、民族も信仰も、いわばちゃらんぽらんである。律法の書の成立云々に関わる問題ではあるが、記述の歴史の通りに見てゆくことにしよう。サムエル記の時代に、大きな「改革」がなされる。サムエルが詳細に語られるが、それは王制の始まりの準備であった。
 
ダビデという、非常に人間臭い王がイスラエルの基盤を建てたが、贅沢を極めたその子ソロモンのとき、異教へ逸れてゆくようになり、二つの王国に分かれたことで、ユダ王国に幾らかでも信仰らしい信仰が継続されてゆくようになる。それは、ダビデの子孫を神が祝福した故であろう。
 
特にヨシヤ王による宗教改革には、大きな意味がありました。が、アッシリアやバビロニアという大国によってイスラエル王国もユダ王国も滅亡に追い詰められ、有能な数千人の人々は、捕囚となってユダヤの地から連れ去られます。これは否応なしの「改革」であったのかもしれません。人々は、国が壊滅的な打撃を受ける中で、神は正しいが民が罪の中にあるという信仰をも育んでゆくことになった。これも一種の「改革」であるのかもしれない。
 
その後、バビロンからの捕囚民の帰還により、貧相な神殿再建が為され、異民族を徹底的に排除するという「改革」がなされた。さらにいわゆる「旧約聖書続編」には、ペルシアやマケドニア、ローマという歴史の大変革の中で、愛国精神を育む戦いが描かれるようになり、その意味での「改革」がなされた。その流れが、イエスの時代、ローマ支配の中ではあるが、イスラエルの民の信仰や社会組織へとつながってゆく。
 
新約聖書は、イエスによる「宗教改革」の証言の書である。このとき、実権がローマ帝国にある以上、それに傅くしかなかったわけだが、一部はチャンスを睨む過激派もいたが、ローマ支配に対してうまく振舞う政権こそが適切だというのが、公的な機関の主流だった。そういう政権らある祭司やサドカイ派とはやや意見を異にするが、ファリサイ派には、精神的宗教的にユダヤの民を導く使命感があったはずである。
 
愛国の思いから、信仰深い生き方を導いていたファリサイ派などは、本来ユダヤの人々にとり、重要な支えであったはずだった。精神的な「改革」によって、人々を護っていたと言ってよいと思うのである。だが、それを徹底的に批判したのがイエスであったことについては、もはや説明を加える必要はあるまい。
 
しかし、ファリサイ派の人々は、悪の動機から成り立つ悪の組織を成していたのではない。ユダの人々を精神的に支える役割を果たしたのである。そして、それはよかれと思ってやっていたことなのである。ただ、イエスから見れば、それは神の思いとは離れたものだった、ということでイエスの「改革」がなされたのである。そのために、イエスは命を一旦失わなければならなかった。だが、復活という裏技が、イエスの「改革」を「永遠の命」につなげることになった。
 
要するに、ファリサイ派などは、よかれと思って、福音書に書かれていたようなことをしていたのである。しかし、イエスの「改革」は、それを良しとはしなかった。
 
さて、イエスの弟子たちは、いわゆるカトリック教会をつくり、組織を以て生き残り、1500年の時の中で、西欧を中心とした文化文明と共に聖書を伝え続けた。だが、そのカトリック教会の中に、不備あるいは堕落が生じたという。それは、カトリック内部では気づかないものだった。否、内部で気づいたルターやカルヴァンその他の面々によって、キリスト教が生まれ変わるきっかけが始まった。いわゆる「宗教改革」が歴史の中に生まれた。プロテスタント教会の始まりである。もちろん、カトリック側でも「改革」がなされた。いまそれは立ち直り、それぞれに教会史を続行している。
 
言いたいことは、こうである。「改革」したそのプロテスタント教会の教義に不備や堕落はないのであろうか。教義が硬直し、あるいは信仰の上で問題に包まれた、と500年前にカトリック側に突きつけたことが、今度はプロテスタント自身に於いて突きつけられて然るべき状態になっていない、という保証は、本当にあるのだろうか。
 
プロテスタントの学者の中には、カトリックを悪魔のように呼ぶ人もいた。カトリックの学者の中にも、同様にプロテスタントを徹底的に誤りだと糾弾する人もいた。いまも一部いる可能性はあるだろう。
 
その一方で、キリスト教そのものが、瀕死に向かっている、という見方をする人もいる。教勢にしろ実態にしろ、その方が客観的に真実に近い、と考える方が妥当であるようにも感じられる。果たして、いま「改革」が求められているのだろうか。必要なのだろうか。それは、誰によって気づかれ、あるいは動いてゆくのだろうか。
 
「改革」は、決して過去だけのものではないのではないだろうか。



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