秒速5センチメートル
2025年10月27日

実写映画を観てきた。以下、もちろんいわゆる「ネタバレ」はしたくないと考えている。
新海誠さんは、とくに「君の名は」以来、すっかりアニメ映画の最先端に立つ存在となった。その映画の手法のひとつに、原作の小説があることは、ファンなら皆知っている。「秒速5センチメートル」は、そんな小説として綴ろうとしたものが、ひとりの主人公を軸につながると気づいたことでまとめられた、連作的な作品である。
それはアニメーションとして、2007年にまとめられた。統合された小説としても、同年に発行されている。私はそのコミックス版を半分だけ読んだことがある中で、今回実写映画を味わった。
決して引きこもったというわけではないが、他人に対して本音を出さないという形で心を閉ざした主人公の遠野貴樹が、小中学生の頃に経験したことに、ずつと心が引っかかっている様を描く。
同じように転校生だった篠原明里とは、宇宙のことなどを含め、何でも語ることができた。明里は小学校の卒業時に東京から栃木へ引っ越す。文通を続けるが、やがて貴樹も、鹿児島の種子島へ引っ越すことが決まることで、二人は一度だけ逢うことができた。
貴樹の高校時のエピソードは、種子島でのこと。澄田花苗は貴樹に恋をするが、貴樹は心をついに花苗に向けてはくれなかった。
大人になり、貴樹は東京で会社勤めをしている。知り合った水野理紗と交際しているが、やはり心を開くことがない。ただ、貴樹の中には、明里とのことがずっと重みをもって居座っていたのだ。
物語の華については、ここでは明かさない。ただ、貴樹はそれなりにモテるのであるが、自分の心を女性にも誰にも開かない。明里との思い出が、強烈に心に刻まれていたからではないか、と推測する。かといって、その明里を30歳になるいま追いかけようとするわけでもない。もう交わることもない二人の道がそれぞれに描かれるわけだが、実写版では、大人になっての明里のことを、たぶん原作よりも大きく描き出していたと思われる。二人は奇蹟の出会いをするのではないか、と映画はたくさんの伏線をつけておいた。
映画が、とても心に残った。というより、自分を見ているようであった。神を知らず傲慢に生きていた私だったが、私にも小中学生のときに、強烈な経験がある。貴樹にとっての明里のような存在が、あったのだ。必ずしも交際が続いたなどということもないし、結果的に言えば私は「幼なじみ」ではあっても、「男性」にはなれなかった。私から仕組むようにして近づいたことも、彼女には偶然のことのようであったようだ。
離れてはまた接点ができるなどしたが、私はついに大学生になるときに、福岡を離れ、京都に出た。幾度か手紙をやりとりしたが、貴樹たちのように、立ち消えになった。しかし、私にとっては、彼女のことが心の中に大切に仕舞われていた。それを「心のふるさと」と勝手に名付けていた。いまから会いに行ったり、探したりするつもりはもちろんなかった。だが、オフコースの歌になぞらえれば、「そっとそこにそのままで/かすかに輝くべきもの/決してもいちどその手で/ふれてはいけないもの」であった。
もし神と出会うことがなかったら、貴樹と殆ど同じような姿であったかもしれない、とも思った。しかも貴樹のように、歩み始めることもできなかったのではないか、と想像している。しかし、現実は別の人生となった。私に与えられた「速さ」は、別のきみに会えるためのものだったのであろう。
映画は、アニメーションとも違う描き方をしていた、新海誠監督も、構成を変えた実写映画に涙した、と感想を漏らしていた。コミックスはさらにそのアニメーションでは描かれず難解な様相を見せていたところを、よく説明してくれていた。私は2日間で、それら三つを味わい、あの「心のふるさと」のことを、また思い浮かべるのであった。