時間いっぱい戦え
2025年10月13日

40分のテストがある。中学生の中には、早く書き終わる生徒もいる。実はここからが重要である。見直しをするかどうか、である。
もちろん、それが習慣になっている生徒もいる。だが、それなりに勉強ができるタイプの生徒で、ずっとぼうっとしている場合も、少なからずあるのだ。見直しをするように、と呼びかけることもあるし、前に書くこともあるが、自分にはそのような必要はない、と主張するかのように、決して見直しをしようとしないタイプの生徒がいる。あるいは、その警告が、自分に対して言われている、というような気づきができない性質の子であるのかもしれない。
もちろん、これは試合時間である。40分のサッカーの試合で、リードしているチームが、もういいや、と立ち止まってしまうということはありえない。最後まで走り続ける。それが試合である。テストは相手がいないから、立ち止まってもいいだろう、などと理屈をぶつけてくるだろうか。では美術作品のときにはどうだろうか。与えられた時間を、できるだけ最後まで、手を加えてよい作品をつくろう、という気持ちにはならないだろうか。
だから、要するに、時間いっぱい戦え、とその生徒に伝えたいのである。
テストは、自分の答案という作品を仕上げる営みである。もちろん、勘違いをしていないか、見直しをするのは当然である。問題の読み違いがあるかもしれない。2つ答えよ、というのに1つしか書いていないかもしれない。正しくないものを選ばなければならないのに、正しいものを答えていないだろうか。
私は、きっと自分は何かやらかしているに違いない、という前提を心に掲げていた。だから、「これでもか」というほどに見直しをした。最後まで時間をそのために用いた。なにしろ与えられた時間が終わってしまえば、もう修正することはできないのだ。時間内であれば、気づけば修正ができる。チャンスはいましかないのである。そのチャンスを活かせるときに、活かすための行動をとるべきではないだろうか。
早く終わったということで、解答用紙を裏返しにする生徒が、いまでもいる。学習塾でそのような姿勢を許しておくわけにはゆかない。私には、その生徒が、「ここまで解いてやつたんだぜ。もう十分だ。これ以上考えることをしたくはないんだ」と考えているように思えてならない。そもそも、高い目標があり、なんとしても地域で憧れとなっている高校に合格したい、と思っている生徒は、やはり違う。終了の合図があるまで、片時も答案から目を離さないのだ。それでこそ、そういう成績を修めているのだろう、と納得できる。
ところで、人生は、限られたテストとは違い、それなりに長い。息抜きや休息も、もちろん必要である。だが、学校のテストと異なるのは、終了時刻が分からない、ということだ。思いがけず命を奪われる目に遭うかもしれないし、夜寝ている間に命が果てることも珍しくない。制限時間がないのだ。しかもそれは、無限に時間があるのではないままに、制限時間を自分は知らない、ということであるのだ。だから、時間は有限であるが、いまの自分にとっては無限であるようにも感じられることがある。だから、油断して時間を無駄にしてしまうし、そのことを自分に許してしまう。
自分の時間を、誰かのために使う。そこに幸福がある。そのように考える人がいる。テスト時間は、専ら自分のために使うべき時間だ。まだ管理がしやすいはずである。