夏期講習と受験生
2025年8月28日

すでに「夏期講習」というものは、どこの塾でも終わっているものと思われる。「夏を制する者は受験を制する」などという格言に、どこまで信憑性があるかは知らないし、いま以てそんなことを真面目に掲げる塾があるのかさえ知らない。
通常は学校が終わってから、夕方から夜にかけての営業しかできないが、夏休みは朝から夜まで使うことができるため、経営上の問題がそこに関わっているのは確かだ。また、毎日それでは職員の身がもたないから、普段よりは多めの「休日」を設定することができるため、年間休日をカウントしやすいという大人の事情もあるだろう。
だが、学校の宿題というものがあるとはいえ、まとまった時間がある受験生にとって、夏休みというものは、確かに大きな意味をもつ。これが冬休みだと、余りに受験が近すぎて、せいぜいこれまでの「まとめ」をするしかないわけだし、とくに中学受検だと本当に直前である。「夏期講習」の時期をどのように過ごすか、ということには、確かに大きな意味がある。
中学受験は、親の受験だとも言われる。だから小学生の受験生の姿に対して、いまとやかく言うことはしないでおこう。いま注目したいのは、中学3年生である。
実際は3月に先輩が受験したときから、「あと1年」というカウントダウンは始まっている。だが、3月末の春期講習になっても、もうひとつエンジンはかかっていないように見えて仕方がない。そればかりか、4月になってしまうと、学校の教師の態度がかなり変わるであろうことや、新しいクラスや教師、それから部活動では残り3か月となって、するべきことが多くなる。中体連という目標に向かって邁進するしかないような生徒も少なからずおり、あと10か月で私立高校入試という切迫感は、まず感じられない。
それが、夏期講習になると、さすがに違ってくる。部活動も、基本的には終わったというところが多く、もう後は受験勉強しかすることがなくなるのである。下級生の面倒をみるという必要もなくなり、急に孤独感を覚えるのもこの頃である。
もちろんそれはひとつのモデルであるから、個人差は様々である。なにもすべての中3生がそうだと決めつけているわけではない。だが、夏期講習になると、かなり「顔つき」が変わってくる。「これしかすることがないんだ」というような気持ちが伝わってくることもある。それをとにかく「受験生らしい顔」と呼ぶことにしよう。
「受験生らしい顔」は、決意と意欲に満ちたものである。そう言いたいところだが、不安がいっぱいである、というのは本当だろう。一部の生徒を除いて、「受験」というものを、これから初めて体験することになるわけで、未体験のことについて不安を懐くというのは、当たり前すぎることなのである。
でも、やるしかない。踏ん切りをつけて、覚悟して、始めるしかない。いまはこうした塾が、かなり本気で気合を入れようと迫ってくれる。塾に行くのが当たり前のようになって久しいが、中3生にとり、自分で分析して自分で計画を立てて学習する、というようなことは、殆どなくなってしまったのかもしれない。それでよいのか、などと問うのは、当の塾関係者としては無責任極まりないことだが、正直そのようにいつも感じている。「何を勉強したらいいですか」「なんかプリントください」と迫る中学生に対しては、心の中では、「自分で決めてほしい」と思いつつ、もちろん寄り添う対応をする。
夏期講習が終わったら、あと半年で受験である。3月に公立高校の入試があることを想定しても、半年なのである。私はよく、夏期講習の間に、中3生に告げる。「まもなく雪が降ってくる」と。ぽかんと聞く生徒が多いが、一部の生徒には、しみじみ分かっている。あたふたしている間に、すぐに受験が間近に迫ってきてしまうのだ。
受験という目標に向けて、とにかくやるしかない。不安もあるが、決まっている目標だ。だが考えてみれば、この目標には、明確な期限がある。突然受験が明日に、というようなことはない。期限が定められた目標のために、彼らは努力するのである。
いつという期限の決まっていない目標というものがあったら、どうだろう。期限が分からない目標というものが設定されていたとしたら、どうだろう。もしかするとそこには、自分の計画というものが無力であること、自分の力が足りないどころか、何もないということに、不安のほか、何もないようなことになりはしないだろうか。
人の命の行く末について、いつ来ると知らぬ目標があるはずなのだが、そんなものを考えても仕方がないよ、と気楽な顔をして笑っているのが世間というもののようだ。「ひと」とはそういうものだ、と指摘した哲学者もいた。
そんな目標などないのさ。そう嘯いてみても、果たして心の内はどうなのだろうか。本当にそのように悟りきったようなものである、というのが日本人の死生観なのだろうか。しかし、目標があるものとして、走っていたい、というのが、なんだか私には合っているような気がしている。