知っているとの思い込み
2025年8月25日

旧約聖書のヨブ記は象徴的に引かれた模様で、特に説教の中では取り扱われなかった。そもそもヨブは、サタンが神にもちかけた企みに、神がまるでうっかり乗ってしまったようなところから、理不尽な不幸に見舞われたわけだが、友人たちとの論争の果てに、どこからか現れたエリフという若者に言いたい放題言わせておいて、主なる神が突如ヨブに対して、世界の創造の何をおまえが知っているか、というような、これまた理不尽とも言えるような嵐のような言葉をぶつけ始める、そのような場面が引かれたのであった。
「知識もないまま言葉を重ね」る、というのが、人間に対する神の警告である。つまり、このヨブは、ヨブという固有名をもった個人のことではない。私たちは、心して神の言葉を受けなければならないのだ。
マルコ伝による連続講解説教が続いている。6章に入り、イエスは故郷ナザレに帰る。カファルナウムを拠点として、ガリラヤ湖周辺で伝道活動をしていたイエスと弟子たちであるが、いまここへきて、イエスをよく知る者たちの犇めくナザレに戻ってきたというわけである。
「大工の息子」とイエスが呼ばれているのは、マタイ13:55である。しかしここマルコでは、「この人は、大工ではないか」と、イエス自身が大工であったように書かれている。この証言は、福音書の中でもここでしかない。
確かに、生業として家族を支えなければならなかったため、大工を営んでいたかもしれないのだが、このときに母マリアと、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンといった兄弟たちの名が現れるとき、父ヨセフが登場しないのは、不自然であるように見える。そこで、ヨセフはすでに亡くなっていたのだ、というのが定説となっており、そのためマリアと結婚した当時も、老人のようにイメージされることがあるほどである。
ここでイエスの家族が明かされているわけだが、当然カトリック教会の見解としては、「兄弟」という語がマリアの処女性を損なうために、親類を指す言葉だ、というような解説を施すことになる。女性が混じるとき、聖書協会共同訳では、「きょうだい」と訳す約束にしているが、確かにここではこの四人は男性であるから「兄弟」なのであって、別に「姉妹」がいることになっているから、「きょうだい」とする必要がなかったのだろう。そしてカトリック側としては、これらはすべて、マリアの子ではない、ということになるが、場面としては不自然な気もする。
また、父の名ではなく「マリアの息子」と呼ばれていることについては、村の人々が、マリアの不埒な出産のことを仄めかしているのではないか、という説もある。その意味では、マタイ伝の最初のイエスの系図の中に登場する4人の女性は、それぞれ曰く付きの女性ばかりである。村に於いて、イエスの母マリアが、どのような目で見られていたか、について示すポイントであるのかもしれない。
3:この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで私たちと一緒に住んでいるではないか。」こうして、人々はイエスにつまずいた。
結局、イエスはこの人たちに福音を語り、信じて救われるという経験をもたらすことができなかった。何もできなかった、とまでは言わないが、「ごく僅かの病人に手を置いて癒やされたほかは、何も奇跡を行うことがおできにならなかった」のだ、とマルコは記している。業を行わなかった、という意志的な言い方ではなく、業を行えなかった、と不可能性を表に出している。
神には、自分が持ち上げられない石を創ることができるか。神の完全性を証明した、などと論破気分になる者がいるわけだが、神にはできないことが幾らでもある。神を信じる者を救わないようなことはできないし、あの十字架から降りることもできなかった。
ひとの救いのためである。愛の故である。しかしまた、神の思いと神の業の意味については、私のような者が思いつく程度の浅薄なものではあるまい。ここで私が、「神は云々」と知ったような口を利いてはならない。――本日の礼拝説教は、そのことを教えようとしていた。
ヨブ記で登場した神は、ヨブに向かって「知識もないまま言葉を重ね/主の計画を暗くするこの者は誰か」と言葉をぶつけた。もちろん、「誰であるか」を知らないわけではない。ヨブに問いかけているのである。おまえは、「知識もないまま言葉を重ね/主の計画を暗く」しているではないか、と。
イエスについて、「この人は、大工ではないか」と言ったのは、故郷の人々であった。だが、イエスに付いて、一番何も分かっていなかったのは、そう言った面々であった。むしろそのように「知っている」という姿勢で臨んだ者たちは「不信仰」だとマルコ伝のイエスは評している。
説教者はこのことから、「人がものを知る」と自ら宣言することについての検討を始めた。もう少し柔らかく言えば、「私は知っている」と口にすることについて、である。マルコ伝のテキストには、「知る」という語がひとつも使われていないのであるが、そこから、「知っている」と人間が思い込むことについての過ちを指摘するのは、まことに活きた説教であった、ということになると私は感じている。
「知る」ということは、「分かる」ということと類似しているものとしよう。「私は分かった」と言うとき、私たちは新たな世界に感動する。それまで開かれなかった扉が開けられ、経験したことのなかった風景をその視覚は見、聴覚は聞き、嗅覚は嗅ぎ、味覚は味わい、触覚は触ることだろう。キリスト者にとり、神に救われたということは、そのような感動に包まれ、喜びに満たされることを意味するものであろう。
だが、「私は知っている」と言うとき、その全く逆の結果をもたらすということもあり得るのだ。それは、せっかく新たな光がそこを照らそうとしているのに、自分の認識に満足し、新しい光を受け容れないことである。自分の中の常識、自分のこれまでの経験の記憶が真理であるものと疑わないとき、ひとは新しいことを受け容れない。自分の知っていることを覆す真理はないものと考えている。あるいはまた、それは自分の「知」を絶対化していることにもなる。要するに、「思い込み」に支配されているのである。
ある人が、何かを知っていると思っているなら、その人は、知らねばならないように知ってはいないのです。(コリント8:2)
説教者は珍しく、哲学の歴史を少し繙いた。17世紀前半に、数学や科学、そして哲学という領域で、人類史上に強烈な足跡を遺した哲学者である。ラテン語のままに知られるようになった「コギト」、つまり「私は考える」という哲学の原理を見出したことについて、説教者は簡単に説明を施した。
デカルトは、神に基づくのではない、明晰判明な世界の原則について、思考実験した。何でも疑おうと思えば疑うことができるではないか。神ですら、自分を騙しているものだと想定できるとして、方法的に疑うことをとことんやったものの、そのように疑うことを含めて「思考している」この「私」が「存在」していることは事実ではないか。
デカルトは結局、神を援用するような形で、自分がその原理から打ち立てる一筋の思考の道を肯定してゆく。ただそれは、「私は考える」というところに根拠をもつのであり、いわば理性と論理が世界を支えてゆくヨーロッパの思想史の基盤をつくることとなった。それは、主観と客観の対立を前提とする世界観を生み、基礎づけることとなり、以降の歴史の中に、人間が自然を支配する凶暴な現実を正当化し、推進するようになった。
だが説教者は、哲学史を批判しようとするのではなかった。むしろ、キリスト教に於いても、自らの信仰を絶対視し、自己義認することによって、「暴力的」な振舞をするようなことになっていないか、という批判の矢を垣間見せたようであった。キリスト教の場合、その歴史はデカルトをさらに遡っている。政治と結びついた教会が何をしてきたか、聖書の思想はこれだと断定して不適切と見なした人々を悪魔に仕立てて殺してきたか、さらにデカルトのいた時代ではあるが、世界の文明を破壊し、いまや世界の存在を破壊するだけの力をもつものを手にするに至っているのである。
もうひとり、説教者はヴィトゲンシュタインの名を挙げた。『論理哲学論考』の最後の有名な言葉が紹介された。「語りえないことについては、沈黙しなければならない」というものである。これが出されるまでには、この本において、ヴィトゲンシュタインはその後の言語哲学の展開に決定的な影響を与えたとされ、哲学の扱うべき領域を規定しようとした。逆に言えば、その範囲の内で、哲学は体系を構築することができるはずである、と考えた。非常にユニークな人物であるから、関心をもたれた方は、少し調べてみられたらよいと思う。オーストリアに生まれたが、20世紀前半、イギリスに於いて不思議な人生を送った。
人間の認識の限界については、18世紀ドイツのカントも、線引きを行おうとした。そして20世紀、ヴィトゲンシュタインも「言語」を軸に、人間の思考のできる範囲を見つめていた。尤も、彼は晩年は新たな光の下で「言語ゲーム」と「生活形式」といった方向へと関心の的を移してゆくのであるが、「言語論的転回」と呼ばれるその哲学は、現代にも強い影響を与えている。
説教者が指摘したのは、現代科学の姿勢である。ひとは、語りえないものについても、語っていはしないか。自然について、何もかも分かっているような顔をしていないか。「知っている」と思うからこそ、支配する人間様は、何でもしてよい権利があるのだと勘違いしていないか。その人間世界でも支配する側に立つ者が、他の人間や他の国に対して、何でもしてよいと思い込んでいないか。
なお、これだけ「知」についての哲学の生み出した捉え方に触れられたのであれば、そもそも現代へ通じるソクラテスについてもここで触れたおいた方がよいのではないかと思い、付け加える。以前はよく「無知の知」という名で広まっていた。いまは「不知の自覚」という表現をよく用いる。ソクラテスは、自分は知らない、つまり「不知」だということを自覚している、そこに哲学のスタートがあるのだ、という点を思索の基板としたのであった。それは、「自分は知っている」と自負している人にいろいろ問いかけることにより、実はその者たちが、本当には知っていないことを次々と暴露していったからである。思索ということを、そのように勘違いしている一部のエリートだけのものではなく、万人が「不知」というスタートから始められる、ということを示した意味で、ソクラテスの功績は甚だ大きいと言えるだろう。そして、自分は本当は知らないのに、「知っている」と思い込んでいることこそ、「無知」と呼ぶべきなのだ、と新しい語を使う人は区別するのである。この「無知」の方こそ、今日の聖書箇所を理解するためのキーワードとなるものと思われる。
「知っている」という「思い込み」は、人間の本質の部分にまで入り込み、人間の考え方をコントロールすることがある。さらに怖いのは、自らそのことに気づかないことが多い、という性質があるのだ。「洗脳」されていてもなお、「自分」の意志でそれをしている、と当人が口にすることがあるため、「法」に於いて当人の意志を以て正当とすることしかできない以上、非常に厄介な問題を生むことになる。
この負のスパイラルに陥ることは、しばしば避けられない。だが、逃れの道はある。その道は、自分の力で拓かれるものではない。それは自分の外から拓かれる。もしもそれを、自分の思い込みの中に見出そうとしたのであったら、大変な勘違いをすることになる。聖書の中に自分の正義を見出そうとするならば、聖書はむしろ人間の罪を増長させる道具として用いられることになる。そして現に、キリスト教の歴史の一部は、そのような足跡を刻んでしまつた。
イエスは言われた。「見えない者であったなら、罪はないであろう。しかし、現に今、『見える』とあなたがたは言っている。だから、あなたがたの罪は残る。」(ヨハネ9:41)
だが、私たちはそうならないようにしたい。そうならないように願い、祈りたい。聖書の中に自分の罪を体験させられた者は、イエス・キリストが閉ざされた扉を開き、新たな光を射し込ませ、新しい世界を私たちに示すのである。それまで自分だけでは知ることのできなかった世界へと続く道を、イエス・キリストが見せてくれる。
あるいは、そのイエス・キリストこそが、その道なのである。説教者は、マルコ伝の十字架の場面へと私たちを連れて行く。
イエスに向かって立っていた百人隊長は、このように息を引き取られたのを見て、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マルコ15:39)
この百人隊長の言葉の意味については、いろいろな解釈がある。説教者はここでは、善意にとった。というより、マルコ伝の初めに、(文献上異議を唱える人がいるものの)「神の子イエス・キリストの福音の初め」と掲げたのはともかく、悪霊の類いではなく、普通の「人間」がイエスを「神の子」と読んだのは、やっとこの十字架の場面に至ってからだった、と指摘したのだ。
イエスについては、もちろんこの百人隊長は何も知るところがないはずであった。しかも異邦人であったことだろう。しかしその百人隊長が、イエスを「神の子」と告白したらしい。そのイエスの姿は、ぼろ雑巾のように杭の上に晒され、ずたずたになって死んだ直後の遺体であった。イエスは、そのような姿を以て、「神の子」であることを示さなければならなかったのである。神は、このような形での救いを示す以外のことは、できなかったのである。
イエスは、ただの人として生活していた。自分を救うことはできないで、ひたすらに人々を癒やし、救った。神にはかくも、できないことがあったのだ。
だが、ここにこそ、新しいことが始まった。説教者は、その新しい光の中へ、私たちを誘(いざな)うのだった。
そこでは、思い込みの「知る」ではなく、人格や命が経験的に出会う意味での「知る」という出来事が、待っているはずなのである。