タリタ・クム
2025年8月18日

マルコ伝の連続講解説教としては、3週間前に、同じマルコの5:21-43が開かれている。会堂長ヤイロが、瀕死の娘を助けてくれとイエスの前に現れ、イエスが向かおうとするが、途中で、十二年間長血に患わされている女が現れる。なんとか癒やしてほしいと思い、禁断のこととは知りながらイエスの衣に触れると、たちまち癒やされた。罰されるかと恐れた女が恐れていると、イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と声をかける。ところが会堂長の家から、娘が亡くなったとの知らせがそこへ届く。イエスは会堂長の家にそれでも向かう。そして死んだに決まっていると冷たくイエスを見る周囲の人々の前で、十二歳の娘は息を吹き返した。
死に打ち克つというテーマをもちながらも、前回は、どちらかといえば癒やされた女の方に比重が傾いたメッセージであったように思われた。実際長い箇所で、しかも二つの話が盛り込まれているので、今回はもうひとつの、生き返った少女の方に専ら寄り添うような語り方がなされるに至った。特に、イエスが少女に呼びかけた、「タリタ、クム」という言葉に焦点が当てられた。
説教者は、ゆっくりとカタカナの意義などを用意しながら、この「タリタ、クム」が、イエスが実際に話していたであろう、アラム語をそのまま筆記したことを指摘する。当時のコイネーと呼ばれたギリシア語は、かの地域に広く共通する言語であったから、いまで言えばELF(共通語としての英語)のような役割を果たしていたのかもしれない。その英語の中で、イタリックで「manga」や「haiku」と表記されていても、日本語の言い方そのままに通じるのが通例とされている。英語で説明したり訳語をあてたりするよりも、日本語の発音をそのまま用いるのである。
マルコ伝は、パウロ書簡のようなものを除けば、キリスト教会が後世に遺すに値することになった、初めての文書である。しかも福音書という、世界初のジャンルを開拓したもので、さらにそれを、ギリシア語で記した。イエスが直接語った言葉を、すっかり翻訳して遺したのが、福音書なのである。
だから時折、ヘブライ語あるいはアラム語の発音をそのままに置いている場面があり、「タリタ・クム」もその一つである。ではなぜ、それを原語の発音のままに伝えようとしたのだろうか。
説教者は、まずそれを「教会で大切に伝えられてきた言葉」であったに違いない、と指摘する。そして、これが実は大きな意味をもつと思うのだが、「イエスの肉声をまざまざと思い起こさせる」場面であるからに違いない、と推測する。イエスの語った言葉の、意味を伝えるということならば、翻訳してもよいかもしれない。しかし、イエスの口から零れ出た言葉そのものの響きや口調などをそのまま伝えようとするならば、アラム語をズバリとそこに置いておきたいと思ったのではないか。
山ア広子さんという、「声」についての研究をし、本やメディアを用いて広く発言している人がいる。若い頃に失声症を発症したことを契機に、音声に関する学びを始めた。音声そのものについて科学的に調べることをはじめ、聴覚や知覚の認知に関する心理学など、様々な方面で、声や音、そして脳についての研究を続けている。その本に触れて、私も「声」というものに関心をもつようになった。というのは、イエスがどのような声で語ったか、というようなことにも触れた記述を、その著書の中に見たからだ。
山上の説教はフィクションかもしれない。マタイが、折に触れイエスが語ったことをまとめた、というふうに考えるのは、的を外してはいないと思う。だが、そういう場面でも、背後に岩場などがあれば、声は反響して、多くの人々にも聞きやすかったのではないか、というように指摘されると、まことに聖書の場面がリアルに感じられてくるのだ。他方、舟の上から陸にいる群衆に語った、というのは、非常に困難に感じる。声が四方に発散し、陸にはさほど聞こえないのではないか、と思われるのである。湖面に音が吸収されるやもしれぬ。武士の戦場でも、よほど叫ばないと相手に名のりが届かないだろう、というようなことも、想像することが必要になると思われるのだ。
イエスが語った「タリタ・クム」という言葉が、そこにいた3人の弟子たちの耳に、よほど強烈に反響し心に遺ったのであろう。イエスの「肉声」が、ずっと心に響いていた。意味だけを伝えるのではない。イエスのあの声、あの口調に、自分たちはしびれたではないか。あの肉声をそのまま写し取って、ここにへ記しておくことが適当である、と思われたのである。
教会では、多くの人を天に送ってきた。近年は、高齢化の影響であろうか、教会での葬儀は、高齢の方々の場合が多い。だが、中には若年にして亡くなるという場合もあった。同じ世代の仲間が、昨日までの友を送らねばならない。そのとき、棺の中の友に向けて、語りかける者がいた。「タリタ・クム」と。
説教者は会衆に語りかける。私たちは、死の力に取り囲まれて、過ごしている。生物学的な生命はまだ十分そこにあっても、魂に於いて死に至るような場合があるかもしれない。否、尤も救いというものは、私たちの魂の死を経た上でこそ、神からもたらされるものである。ただ、いまここで言おうとしているのは、意気消沈している人に対してである。
意気消沈している人にも、いまイエスが声をかけてくださる。そのことを、確信を以て語るのだ。「それを信じなさい」などと、野暮なことは言わない。説教者はただ語る。いまイエスが語りかけている、と。イエスの肉声が、ここに聞こえてくるのではないか。起きよ、さあ新しい朝が始まっている、と。という声が、響いているのではないか。
さて、ここでヤイロに注目してみる。説教者は、ヤイロの立場に、人々を誘う。会堂の管理者だと記されている。最近は、いわゆる無牧の教会が、本当に多くなった。それだけ、教会というものがそもそも多すぎたのだ、と言えばそれまでである。だがともかく、牧師が存在するだけ、まだその教会は恵まれているのだという。そこで、兼牧というのも全く不思議ではなくなったし、牧師不在のままに信徒が共に祈り、語るような礼拝を続けている教会もある。私の家に近いところにある教会も、長い間無牧であった。だが教会堂は健在であった。そこをずっと守る夫妻がいたからである。まことに、このお二人こそ、会堂長の役割を果たしていたことになる。皮肉なことに、後にそこに来た牧師のうちの2代目の人が、いろいろな面に於いて異常なものを教会にもたらし、この夫妻は教会にいられないようになっていった。その意味では、長年にわたる労苦は報われなかったことになると言えるのかもしれない。
ヤイロは、娘の命に危惧を抱いていた。昔のことである。近代医学のように原因をある程度究明した上で、特定の治療法が明らかになっているわけではなく、いうなれば病状は絶望的であると見えていた。しかし、イエスに事態を伝えることができた。一緒に来てくれるという。そこに、これて助かる、という信頼が生まれたことだろう、と説教者は推測する。
しかし、例の長血の女が、この場面にブレーキをかける。そして、そこへ悪い通知が来る。
説教者のプライバシーにも関わるので、詳述は避けるが、前回の説教から今回の説教の間で、肉親を喪っている。教会で牧師として、教会員やその家族を葬ってきたことは数知れないほどであるにも拘らず、ここへきて自らその当事者になると、全く違うものを覚えた、という思いを、正直に吐露しするのだった。自分は十分、遺族の思いについて知ってはいなかったのだ、というような告白をするその声は、私には涙声に聞こえた。もちろんそんなことはないと思うのだが、そのように感じるということには、意味がある。同じ経験をしないと、ひとの気持ちが分からない、などということはないと思いたいのだが、そういう感じ方を知ったことについては、宝のような輝きを有する出来事であっただろうと信じてやまない。
医師や看護師が、安易に、患者の気持ちが分かる、というようなことは言うものではない、と思われている。あんたに何が分かるか、と、患者が言うこともあるであろう。死にゆく者自身と、それを看取る側とでは、橋渡せないほどの遠い距離があるのは確かだ。しかし、福岡で開拓的にホスピスを営むキリスト者の医師がいて、本をいくらか読ませて戴いたが、その遠い距離を埋めるだけの覚悟と生き方を以て、ホスピス医として日々を送っている。ターミナルケア(終末期医療)の現場では、専らそういうことをテーマとして、ケアをしているのである。私の母は、聖書の信仰を受け容れていたわけではなかったが、ホスピスで最期を過ごした。そして、聖書の言葉と賛美歌とで、病院から送り出して戴いた。
説教者が挙げた例としてであるが、配偶者を失って5年経った人に、落ち着きましたか、と声をかけた牧師がいたのだとか。やはりそのような言い方をしてはならないのだ、ということのために挙げた例だが、本当にあったのかフィクションなのか、それは私には分からない。子をひとり亡くした親に、まだ弟がいますね、などと残酷なことを言うような無神経なことを、私もしたくない。まだよかったですね、などというのは慰めにはならないのだ。ただただ、そばで悲しむしかないのだし、その人の立場を精一杯、貧しい想像力で思うしかないのだ。
この礼拝説教を、私は1週間遅れでやっと知ることができた。仕事のためにライブで礼拝に参加できなかった私の許へ、動画が届いたのだ。その今日は、福岡では、この19年間、毎年悲しみを思い起こし、心に戒める日となっている。志賀島方面に、香椎から会場を車で快適に走ることのでかる、海の中道大橋が開業して4年、8月25日の夜、夏休みの休日を楽しんだ、4歳以下の3人と両親の乗る車に、100kmで走っていたクラウンが追突した。5人は博多湾に転落し、両親はなんとか脱出したものの、3人の幼子は亡くなった。ぶつけた22歳の男は、飲酒を繰り返しナンパに出かけた、福岡市の職員であった。さらに、現場から逃走し、隠蔽工作を働いていたことも発覚した。この事件により、飲酒運転とひき逃げの罰則が強化されることとなった。しかしいまなお、特に若者に目立つ飲酒運転は後を絶たない。
さて、娘の死を宣告されて、ヤイロは泣き崩れたかもしれない、と説教者は語った。イエスの顔を見上げたのかどうか、そんなことは誰にも分からない。ただ、「イエスはその話をそばで聞いて」いた、とマルコは書き記している。そこに注目した。そう、イエスはそばで聞いていてくださるのだ。いま置かれた私の辛さも、あなたの絶望も、その宣告をイエスはそばで聞いているというのだ。この方は、私たちの悲しみを自分の悲しみとしてくださる方だ。説教者はそのように告げた。
ヤイロと違うのは、私たちが、イエスのこの後のことを知っているという点だ。イエスは十字架を通った。復活もあった。私たちは、それを知っている。私たちのそばに、そのイエスがいるではないか。
説教者は、イエスが娘のところに着いたところで、泣き女とでもいうのか、多くの人が泣き喚いていたことを、そういう文化であるものだという説明などをしたが、「眠っているのだ」と言ったイエスを、人々は嘲笑った。イエスはしかし、その「死の家」に入ってゆく。そして、特別な呪文ではないであろう、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味のその言葉、「タリタ・クム」という言葉を投げかけた。イエスは、少女を起こした。少女は、目を覚ます。いわば、復活したのだった。
イエスは、死と戦ってくださる方である。憐れみ深い方である。罪を取り除いてくださった方である。安息を与えてくださる方である。説教者は、そのように畳みかけた。それは、「タリタ・クム」という言葉で呼び起こされる恵みだった。説教者は、その情景を具体的に「朝が来た」と囁いた。象徴的だった。
少女は、起きて食事をする。この食事は、伝統的に、聖餐と重ねて理解されているという。古代の教会員たちの葬儀についての、細かな説明がなされた。実のところ、イエスもそのように葬られたのであった。しかし、蘇った。注目すべきことに、葬られる前に、そして復活した後に、イエスは食事をしている。晩餐に加えて、復活した後に、魚とパンを準備していた。
「タリタ・クム」とは、教会に与えられた言葉である。それは「戦いの言葉」である。説教者は強調する。いま世界に飛び交う武器とそれに命を落とす人、悲痛な叫びを日々繰り返す人、そこは、「死の力」の中にある。もちろん私たちとて例外ではないが、綱渡りのような現場の人々のことを、想像せざるを得ない。そんな戦いが必要だとヒステリックに叫ぶ者たちがいる。そのような権力者自身は、決してミサイルの飛んでこない場所にいる。それは何だろうか。皆、寝ているのだ。寝惚けているのだ。説教者は、怒りの声を挙げる。
だが、それに対して、教会は戦うのであり、戦い続けているのである、と囁く。そこにはイエスの言葉があるのだ。イエスの声が聞こえるからだ。苦しみと悩みがあるままに、だがそこに「起きよ」という声が響いてくる。「タリタ・クム」というイエスの肉声が、ここに確かに聞こえるではないか。
私たちは、そのイエスと、この朝、出会っている。そのイエスの声を、聞いている。「タリタ・クム」という声を、私たちは確かに聞いたのだ。
なお、説教途中で、説教者は、「Pie Jesu」という曲を紹介してくれた。早速調べてみると、美しいソプラノの声で、憐れみ深いイエスへの祈りの声が響いてきた。「永遠の休息を与えたまえ」というレクイエム(鎮魂歌)は、サラ・ブライトマンによって広く知られるようになったという。モーツァルトやフォーレとはだいぶ違う印象を与える、美しい声を味わうことができた。