ギデオン◆16

2025年8月15日

 ギデオンのもとを逃れた末の子のヨタム。ヨタムは、あのゲリジム山から、このシケムを呪った。ただ呪っただけではない。神からの言葉としてはっきり告げた。
「シケムの指導者たちを、アビメレクから出た火がなめ尽くす」
 長老は、いや今ではおそらくシケムの有力者たちは皆、あのときの判断は間違っていたと考えていた。
 アビメレクは、ただ自分だけの力で兄弟七十人の殺戮劇を演じたのではなかった。アビメレクは、父ギデオンの死後、母親の親類たちを集めて相談した。
「シケムの有力者たちにもちかけてほしいのです。シケムの人々は、ギデオンの息子たち七十人すべてに支配されることを望みますか。それとも、シケム出身のただ一人の男がシケムを治めるようにするのがよいですか。よいですか。私はシケム出身です。なにかとシケムのために配慮しないわけがないではありませんか。そこのところをよく心に留めてから、判断してください」
 それに対してシケムの長老たちは、この相談を親類たちから聞いて、顔を付き合わせて考えた。
「アビメレクがよいに決まっているではないか」
 シケムのバアル神殿から、アビメレクに金が渡された。それを渡したことを、老人は知らなかった。当時の神殿管理の長だったヘルカイという男が、銀七十をアビメレクに資金として提供していた。アビメレクはその金で命知らずで良心のかけらももたないやくざを何人も雇い、兄弟たちの住むオフラに戻り、兄弟たちを脅して集め、撃ち殺し、さらに焼き捨てた。
 ヨタムがその難を逃れたのは、まさに奇蹟と言わざるをえない。それもまた、ギデオンに恵みをかけた主なる神の思し召しだったのだろう。
 だが、だとすると、ヨタムの口から出た言葉もまた、ほんとうに起こることになるのではないか。主なる神は、言葉をもって真実を示す。人が語る言葉はただ風の中に消えていくだけかもしれないが、この活ける神の語る言葉は、空しく地に落ちることはないという。言葉はそのまま実在となる。言葉は現に起こるものとなる。ヨタムの言葉が神の言葉であるならば、このシケムの町は、煙の中に滅びていくことになるのだろうか。
 長老は背筋が寒くなった。
 現に、アビメレクの軍がこちらに近づいている。アビメレクに反旗を翻した以上、いつかこの日がくることは避けることができなかった。この戦いのために、ガアルというどこの馬の骨か分からない男も雇った。この際、力になるものは何でも利用しなければならない。生き延びるとは、そういうことだ。
 バアルに対する礼拝の声も、町の各地で大きく鳴り響いていた。
「戦いの神は、我らに味方する」
 バアルの祭司が叫んだ。
「バアル万歳。バアル万歳」
 日が暮れても、各地で祈りが続く。事態が深刻だからだ。
「問題は、ゼブルですね」と夜、長老の息子が口を開いた。「アビメレクの僕のゼブルは今、どこにいますか」
「まだシケムにいる。シケムが奴の職場なのだから、容易に出ていくわけにはいかない。だからガアルのことはまだアビメレクには知られていないはずだ」
「そうでしょうか」と息子は訝しそうに言った。「もうすでに、アビメレクにこの町の状況は伝わっているんじゃないですか」
「うむ……」と長老は進まない顔で答えた。
「多少の包囲も、関門も、アビメレクの情報網から逃れることができるわけではないでしょう」
「心配性だな。そんなことで大丈夫かね……」
「しかし、それは事実だと思います」
「どうして分かる?」
「主なる神がヨタムを通じて語ったからです。シケムが焼かれる、と」
 老人は孫の顔を見た。澄んだ眼差しをしていた。深い色を呈している。真実を見つめる若者の目は、つねにこうした輝きをもっている。まともに見つめられると、ついそらしてしまう。長老とて例外ではなかった。
「で、どうする?」
「……戦うしかないでしょう」
「ガアルが、か」
「われわれも、です」
 眠れない夜になりそうだった。案の定、その夜のうちに動きがあった。ガアルが町の門の入口に立って、外の様子を調べていた時だった。周りの山が奇妙なふうに見えたのだ。兵が、シケムの周りの山を取り囲んでいるのではないか。ガアルは怯えた。
 アビメレクと自分のことを馬鹿にされて、ゼブルはそうとう頭にきていた。ガアルの実力を大したことがないと睨んだゼブルは、すぐに使者をアビメレクのもとに送り、シケムの実状を知らせておいた。夜のうちに行動を起こし、オフラやその近辺から兵を集め、シケムの町の外の野に待ち伏せしておくように、と指示をした。ガアルが率いる兵たちが出てくるだろうから、そこを一気に叩きつぶすことができる、と付け加えて。
 アビメレクの軍は、四つの隊に分かれてシケムに現れた。ガアルは、その姿を月明かりに見たのだった。
 ゼブルは、すべてが作戦通りに進んでいることを確信すると、城壁の上からガアルに呼びかけた。
「ガアルよ」
「なんだ」とガアルは声を見上げて答えた。「おまえは誰だ」
「私はゼブルだ。ガアルよ、そこで何をしているのだ」
「アビメレクの手下のゼブルだな。いやなに、外の風景が妙なことに気がついたのだ」
「どう奇妙なのか」
「山々の頂から、人々が降りてくるように見えるのだが……こんな夜に、不思議なことではなかろうか」
「山の影ではないのですか。怯えていれば、人間のようにも見えましょう」
 ゼブルは平然と言った。
「いや。高いところから降りてくるのは、たしかに人だ。あの辺りの道は、おれもよく知っている。エロン・メオネニムの道の辺りは、あんなふうにはここから見えないはずだ。あれは部隊だ。軍隊だ。きっと、アビメレクの軍だ」
「アビメレクとは何者だ、とあなたは馬鹿にしていたではありませんか。そんな奴に仕える必要があろうか、と豪語していたではありませんか」
 皮肉たっぷりにゼブルが言うと、ガアルは何も答えることができなかった。
「軽蔑した相手でしょう」とゼブルは続けた。「さあ、すぐに出て行って、戦ったらどうですか」
 しかし、夜中にシケムの民兵は駆り出せない。すぐに集まることができるのは、仲間うちの兵士たちではないか。それでも、せいぜい多くの味方を募ろう。
 ゼブルの相手などしている暇はない。ガアルは走って仲間に知らせ、またシケムの闇に向かって、敵軍が近づいたことを知らせた。
「みんな、起きろ。寝ている場合ではない。アビメレクだ。アビメレクがこちらに近づいてくるぞ」
 すると、シケムの役人やら指導者やらが、次々と集まってきた。
「ではガアルよ、戦いに出てもらいたい。このときのために、あなたを大将として立てたのではないか」
 ガアルはそれを聞き、何かを言う気力を失った。もう、戦うしかない。
 夜の出陣となった。ガアルは、山賊としてこういう夜の仕事には慣れている。それでも、急に相手が恐ろしくなった。
「どうした。臆病風に吹かれたか」と冷やかす者もいたが、ガアルとその仲間たちは返事をしなかった。
「さあ。シケムの兵士も、ここに来るがよい」
 ガアルが言うと、何十人かの威勢のいい若者が集結した。しかし、先に兵として登録した人数よりは、ずっと少なかった。ガアルの顔がこわばるのが分かった。ゼブルはその様子をも、城壁の上から眺めていた。そして、どのようなタイミングでアビメレクの一群に合流するか、機会を窺っていた。
「では、迎え撃つ」と、ガアルは鬨の声をあげて、町の門を出た。「かつてギデオンは、三百人の兵だけに絞って、戦いに大成功を収めたというではないか。ここには、三百をくだらない兵が揃っている。カナンの神に祈るがいい。ここに備えられた強者たちは、必ずやアビメレクを倒すであろう」
 町の城門は、兵士たちがすべて出ていくと、堅く閉ざされた。そしてすぐに、今後の対応が議論された。エバル山の麓で、住民は不安な顔をして集まった。
「アビメレクが来る」
「あの『大地のへそ』の丘に軍が集結している。いつ動くか、見張っていなければ」
「しかし『占い師の樫の木』のある道を通れば、あっという間にこのシケムまで押し寄せてくるはずだ」
「誰だ。町の周囲の山々に、例の関所を設けようと言ったのは。あれがアビメレクの怒りを買ったのではないのか」
「そうだ。アビメレクに反抗さえしなければ、こんなことにはならなかったはずなのに」
「責任者、出て来い」
「ばか。いまさら何を言っても始まらない。事態をよく見るがいい」   (続く)



沈黙の声にもどります       トップページにもどります