ギデオン◆15

2025年8月14日

 ギデオンの息子はついに七十人を数えた。奇妙なことに、オフラの地に残るこれらの息子たちの中には、突出した人物がおらず、皆で共同して士師を司っていきたい空気に包まれていた。合議制というのは、地元の後援者たちにとって、必ずしも悪いことではなかった。要するにマナセが、オフラが優位にあればよいのであって、個人的英雄が絶対的に必要なわけではなかった。
 人々は、エフォドのみならず、バアルを堂々と祀り始めた。ギデオンさえいなければ、主の声を直接聞いた者、主の指図を直接受けた者はいないのだから、バアルを禁ずる理由はない。もっと堂々と祀り、拝めばよい。
「バアル・ベリトが、我らの神だ」
 木像が彫られ、祭壇に掲げられた。エフォドはその偉大な神バアル・ベリトに仕える者の象徴となった。
「バアル・ベリトとはどういう意味だ」と尋ねる者があれば、カナンに通じた男が叫んで答える。
「契約の神という意味だ。イスラエルは神と契約したではないか。この像が、その神を表すのだ」
「しかしギデオンはそのようなものを神とは呼ばなかったが……」
「あたりまえだ。木が神なのではない。そんなことくらい、おれだって分かっている。要は、その木に神の宿るのであり、その木を通して、見えない神を見ることになるわけだ。よく、神でもないものを拝んでいると非難する者があるが、とんでもない誤解だ。おれだって、木を拝んでいるわけではない。木を通して、たしかにはたらかれる神を覚え、それを崇め、それに祈っているのだ」
 バアル・ベリトの祭がカナンの祭を参考にして、独自のイスラエル色に塗り替えられて育てられ始めた。
「それはそうと、ギデオンの後継者はまだ決まっていないのか」
「まだだ。しかし、ギデオンの七十人の息子たちが、合議制で町とイスラエル民族全体を治めようという方向で考えをまとめつつあるようだ」
「合議制か。それは理想的かもしれん」
「理想的だ。誰もが平等になっている。奇蹟や神のお告げに頼っているほうが、よほど危険で、自分本位のような気がする」
「しかし、それだけ粒が小さくなったということのようだ」
「その意味では、ギデオンという存在は大きかった」
「まったくだ」
 しかしながら、ギデオンの功績はしだいに忘れられていった。それは、ギデオン個人を、というよりも、ギデオンが仕えようとしたイスラエルの神、主のことを忘れていった、というほうが適当であろう。
「そんなことはない。われわれは、誇り高いイスラエル民族だ。イスラエルの民をエジプトから導き上って、乳と蜜の流れる地、カナンへと至らせてくれた神を忘れてはいない。それは、イスラエルと契約を結んだ神だ。契約の神、バアル・ベリトだ」
 これが、今現在のイスラエルの、通常の知識ある階層、それから知識はなくとも従順な庶民の、一般的な考えであるはずだ。
 長老は、沈んだ顔になった。
「そうだったんですか」とヤビアは、長い話を終えた祖父の前でため息をついた。「イスラエル民族には、そのような伝説があったのですね」
「伝説ではない……これは事実だ」
 長老は眼差しを上げて言った。
「でも、ギデオンに現れたイスラエルの神、主というのは、やはり嘘でしょう? ほんとうにそのような神があって、ギデオンに命じたというのは、ありそうにないことです」
「どうしてそう思うのか」
「だって、誰が信じるんですか、そんな話を。ギデオンが自分の立場を正当化するために作った話なんじゃないんですか」
 いつの間に、そんな穿った見方をするようになったのか。長老は、孫の顔を見つめた。大人になるためには、おそらく必要な段階。しかしまた、純朴な生き方を脱していくことの寂しさ。自分は汚れた者であっても、孫には清らかであってほしいという、かなり勝手な思い。
 複雑な、形になりきれない心をもって、長老は返事を渋っていた。ヤビアもそれに気づいて、話を変えた。
「とにかく、そのギデオンの七十人の子が、たった一人のアビメレクに殺された、というわけなんですよね」
「そうだ。乱暴者のアビメレクは、実に野蛮な奴だ。このシケムに来て、シケムに住むイスラエル人たちを集めて言ったのだ。『いったい、あのギデオンの息子七十人が全員この町を食い尽くそうとして治めるのと、このシケム出身の王子が一人で上に立つのと、いったいどちらがよいと思うか。選んでください。くれぐれも、この私はこのシケムの人間なのだということを忘れないように』などとな。すると、シケムの住人は、なびくわな、この男に」
「それで、あのむごいことをやった……」
「そうとも。しかも間接的にそれをやったのはシケムの人間の一部でもある」
「シケムの人が?」
「誰か、世話役の何人かか集まってな。それことについては自分も知らなんだ。だが間違いなくシケムの人間が、バアル・ベリトの神殿から、そのアビメレクに銀七十を渡したのだ。つまり、資金援助だ。七十人を殺すために、アビメレクはそれでならず者を雇った。奴隷でも二、三の数しか買えないような額で、ギデオンの息子七十人を血祭りにあげおった。恐ろしい奴だ」
「しかし、たった一人、末の子のヨタムが、生き延びた……」
「そのとおりだ。ヨタムは、一度だけ人前に姿を現したことが分かっている。いつだったか、シケムの石柱脇のテレビンの木のところで、アビメレクの即位式が行われた。おまえがたしか西の方に出かけていたときだったと思う。出席したのは、シケムの住人と、隣のベト・ミロの町の人間くらいのものだったが、アビメレクはその仰々しい一つの儀式を終えて、ひとかどの王になったつもりでいた。そのことがヨタムに伝わると、ヨタムは神の霊に感じて、ゲリジムの山に登り、大声で辺りの人々に聞こえるように叫んだのだ」
「それが、最初に聞いた、あの呪いだったのですね」
「そうだ。詳しくいうと、次のように、シケムの首長たちに向かって呪いの言葉を吐いたのだ。
  木々が、誰かを王に立てようとした。
  まず、オリーブがいいと思い、
  オリーブに頼みに行った。
  『王になってください』
  オリーブの木は答えた。
  『私は神と人に誉れを与える存在。
  木々の誉れは欲しくありません』
  木々はイチジクの木のところへ行った。
  『王になってください』
  イチジクの木は答えた。
  『私は甘い実を結ぶ。
  木々の誉れは欲しくありません』
  木々は、ブドウの木に頼んだ。
  『王になってください』
  ブドウの木は答えた。
  『私は、神と人を喜ばせる存在。
  木々の誉れは欲しくありません』
  木々は困り、茨に言った。
  『あなたが王になってください』
  茨は答えた。
  『あなたたちに誠意があり、
  私に油を注ぎ、王とするなら、
  ここへ来なさい。
  私の陰に身を寄せるがいい。
  そうでなければ、
  この茨から火が出て、
  レバノンの杉を焼き尽くす』」
「つまり、茨とはアビメレクのことなのですね」
「そうだ。ヨタムはさらにそのことをこんなふうに長々と説明もしたらしい。
『おまえたちは、アビメレクを王としたが、それでよかったのか。誠意ある行動、正しい行動と言えるのだろうか。よく考えてもらいたい。ギデオン、すなわちエルバアルとも呼ばれるあの英雄と、その一族に対して正当な遇し方をした結果と言えるだろうか。ギデオンのしたことに相応しく報いを施したことになるのだろうか。わが父ギデオンは、おまえたちのために命を懸けて戦った。かのミディアン人から、おまえたちを守ったのはギデオンである。ところがその後、おまえたちはどうしたのか。私の父の家に背いて立ち上がり、その息子七十人を一つの石の上で殺したあのアビメレク、女奴隷の子に過ぎないアビメレクを、ただシケム出身、すなわちおまえたちの身内だというだけの理由で、シケム全員で讃えて王として立てたではないか。もしも今、おまえたちがエルバアルとその一族とに対して、誠心誠意正しく報いていると本気で思うのならば、どうぞアビメレクと共に喜び祝うがよい。だが、もしもそうだと言えないのであれば、私は誓う。必ずやアビメレクから火が出て、シケムとベト・ミロの町を嘗め尽くすことになるであろう。逆にまた、シケムとベト・ミロの町からも火が起こり、アビメレクを嘗め尽くすことになるであろう』
 そう言ってヨタムは、逃げ去ってどこかへ姿をくらましてしまった。噂では、ここからマナセの領地を横切って、北の端の方を目がけていったとも言われているが、とにかくその後の行方について確かなことは誰も知らない」
「それはいつのことですか」
「今から三年前のことだ」   (続く)



沈黙の声にもどります       トップページにもどります