好奇心とボキャブラリー

2025年7月27日

夏期講習というものがあるわけだが、一学期が終了し、夏期講習が始まるまでに、少し間があることがある。その間、受験生はどうやって過ごしたらよいだろうか。
 
いま対象に考えているのは、いわゆる中高一貫校を受検したいという小学六年生のことである。通常の中学受検を狙うのであれば、五年生以前から塾に入ってくるのが普通である。しかし、中高一貫校受検は、六年生からスタートという教室が多い。この場合、特別な宿題を用意しないことがある。だから、夏休みを前にして、ちょっとした訓示を垂れることになる。
 
まず、学校の宿題を手がけることが第一だろう。昔は「夏休みの友」というものがあり、あっという間に終わる仕組みになっていた。ところどころ工作や書道など、別の日に落ち着いて取り組まねばならない課題もあったが、その気になればすぐに終わるような宿題だった。いまどうだろう。ドリルやらなんやらあるようだが、やはり極端に多いということはないように見える。
 
学校の宿題をしておきましょう。しかしそれでは、塾で指導する意味が見えない。私は小学生たちに、「好奇心をもつこと」を第一に掲げている。実際、出題は非常に広い視野と掘り下げた理解を必要とするものが多く、たとえその場で読んで理解したとしても、元来知識のある子にとってのほうが、考えがスムーズにいくことは間違いない。
 
それは、問題解法のテクニックというものとは、少し違う。そこで必要になるものは、「好奇心」というものだ、と私は捉えている。私がそうだった。別に学校で教えてもらうのでもなく、図鑑や辞典を見るのが好きだった。学習雑誌もその付録も、隅々まで読んだ。好奇心の塊だった。そうすると、何をどうするというときにも、関連事項が思い当たり、立ち向かうことができた。もちろん何でも、というわけにはゆかないが、ニューロンのネットワークに引っかかることが少なくないという意味で、問題解決の糸口が掴めたし、こうやって考えたらうまくゆくのではないか、という道もつくりやすかった。
 
具体的に言うならば、子どもたちには、「社会」と「科学」について関心をもってほしい、というものだった。世の中のこと、また科学に関する話題について、子どもに伝わるような解説番組もある。世の中の問題について首を突っ込む、ということを求めていることになるが、「社会」と「科学」というふうに、少しでも意識に映りやすいような形で提示したのであった。
 
それから、言葉を増やすこと。私が国語辞典をすぐに引くということを伝え、とにかく言葉をすぐに調べることの積み重ね、これが大きな意味をもつことは間違いない。私は小学四年生のときに国語辞典を引くのが面白くてたまらなくなり、国語の予習として意味調べはもうノート何頁にもわたって書き綴ることを繰り返した。語彙を増やす。これはどんな子どもにも必ず訴えることである。
 
語彙の貧困は、いま危機的な情況である。一部趣味の合う人との会話ならできるが、「他者」とのコミュニケーションができなくなってきている。本を読まないから言葉を知らないのか、言葉を知らないから本が読めないのか、それはもうどちらもそうだとしか言いようがないほど、危ないと思っている。
 
他方、とてつもない語彙を知る子どももおり、文章を書かせれば大人も舌を巻くような子どもがいる。若い文学者も登場しているが、ごく一部は天才的に言葉をよく知っている。二極分化が甚だしいように見えるのである。
 
本を読むことにより、いつでもどこでも付き合ってくれる友をもつことができる。いまは世にいない人物とも対話ができる。ただそのためには、豊かな語彙が必要である。が、本を読んで辞書を引くことによって、語彙を増やすことは可能である。
 
子どもを産むつもりで結婚したお二人には、図書館の近くに住むことを協力にお薦めする。親も図書館からいつも本を借りているという習慣があり、家で本を読んでいる姿があれば、子どもはきっと本を読むようになる。親が家でいつでもビデオゲームに明け暮れ、子どもにだけ勉強しろ、と圧をかけるなど、最低の姿ではないかと私は思っている。子どもに、勉強などしなくていいぞ、と教えるのもどうか、とは思うけれども。
 
もちろん家庭によっては、教育についての考え方が違う。画一的にお話しするつもりはない。ここでは中高一貫校受検を目指す小学生を対象として綴ったが、それぞれのニーズや環境に合わせてお考えくだされば十分であろうと思われる。
 
算数については、基礎の計算と公式など基本的な考え方についてぬかりがないように、とだけ話した。どうせ今後、信じられないようなこみ入った文章を読解してゆかなければならなくなるのだ。まずは基礎だけは身に着けること、それだけを意識させることにした。
 
さしあたり、好奇心とボキャブラリーへの着目をしておけば、いざ講習が始まったら、そのときにぐいぐいと迫り、引っ張ってゆくだけである。



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