質素であれかし
2025年7月15日

異例の梅雨明けを経て、九州方面は、6月末から真夏の様相を呈していた。太陽高度が高い分、照らし付ける日光の与える熱量も半端ない。
街行く人は、ハンディファンとでも言うのか、小さな扇風機を手に歩いている。とくに女性には多いように見受けられ、高校生にも流行しているようだ。
それから、ネッククーラーとでも言うのか、首に保冷剤を巻く姿で歩く人もいる。実質氷なので冷えすぎないか心配だが、暑い環境ではそう長くは効果はないらしい。少し前には、水に濡らしたものを首に巻けば、気化熱により涼を呼ぶ、というものが多かった。私もそれは求めて使ったことがある。
だが今、私が使っているのは、ただの手ぬぐい(博多では「てのごい」)である。しかも、百円均一のお店で買った、猫の絵のついた者を2種類使い、一日おきに洗って使っている。首に当たるところだけを軽く濡らしておけば、それだけで熱が体に溜まるのを防ぐことができるように思う。
なんとも安上がりだ。企業は、なんでもビジネスチャンスにし、それが便利であるように見せて、なんとか売ろうと画策する。それで助かる人がいることについて文句は言わないが、私は、できるだけ身近にあるものや、素朴な素材で賄おうとすることが多い。そういうもので賄えない電子機器については、そうけちくさいことはしないのだか、なんでもかんでも流行の既製品を買わなければ、という思いからは解放されているように思う。
大学生になって下宿し、自炊生活をするようになって、母がくれた料理の本を頼りに、いろいろなものをつくった。カレーはルウは用いたが、玉葱を炒めるところから始めた。トマトをじっくり煮込んだシチューも、時間があれば好んでつくった。一時は、黒豆を煮たりごまめまで手作りに挑戦したこともあったし、博多雑煮は自分でこしらえた。
そのような腕があったからではない。使えるお金が限られていたからだ。
ただでさえ高い学費を親に、無理に出してもらっていた。しかも、下宿までさせてもらっている。月の仕送りも限られている。すぐに家庭教師の仕事を探して、少なくとも家賃だけは自分で出せたが、食費は1日400円と決めて取り組むことにしたのだ。当時の物価はいまとはもちろん違う。だが、玉子や牛乳の価格は、いまとそんなに大きくは違わない。肉も、つい先頃までは、当時とあまり変わらない値段だと見ていた。だから、よくぞ生活費を計算してやっていたものだと思う。いまならできないだろう。否、いまでもそのような環境になれば、かなり計算してやっていく性質なのだろう、という気はするだろうか。
貧乏と感じることはなかった。そう感じさせないように育ててくれたのだろうと思う。お風呂は家にあったが、2日に一度という割合が当たり前だった。確かに、高価な食材が食卓に並ぶようなことはなかったと思う。でも不自由はしなかったし、贅沢を求める気持ちはさらさら起こらなかった。
いまも、おもに一人でつくり食べる昼ごはんは質素である。それでも、ひところに比べたら、立派なものを食べているように思う。しかし同じものを買うなら、やはり安い方を選んでしまうのは性である。
それから、結婚式の質素さは、ほかに類を見ないほどではなかったかと思う。それを許してくれた、妻の両親には、ずっと頭が上がらない。
お金のない暮らしを続けてきたが、「私は四十年の間、荒れ野であなたがたを導いたが、あなたがたの着ている服は擦り切れず、足の履物もすり減らなかった」(申命記29:4)というように、事欠くことはなかった。神に栄光を帰すしかない。
もちろん、妻のやりくりにも頭が上がらない。子どもたちに不憫な思いをさせた面があったかもしれないが、贅沢ではなかった、というくらいで辛抱してもらいたいと思うし、それは何らかの生きる力になるのではないか、と願っている。
また、最後になったが、多くの人に支えられてきたことを感謝するばかりである。