【メッセージ】死ぬのは奴らだ

2025年6月29日

(使徒12:1-11, 詩編124:1-8)

その時、ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。 主が天使を遣わして、ヘロデの手から、 またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、 私を救い出してくださったのだ。」(使徒12:11)
 
◆ヤコブ
 
これはまだ、教会が始まって間もない頃のこと。新約聖書特に福音書の文書自体は、イエスの十字架や復活から半世紀ほど経つ辺りで成立した、と見るのが、現在の研究の常識とされています。従って、すでに「教会」と呼べるものが成立しているのはもちろんのこと、マタイ伝などは特に、イエスの教えの中に「教会」という言葉を、勇み足のように盛り込んでいます。
 
でも、それでよいのです。福音書というジャンルは、なにしろ史上初めて成立したのです。イエスの伝記を、現代の感覚で綴ったのではなく、イエスの教えを保持してゆくために、信じる者が教育されていくことを視野に置いて作成された一面が強いのではないかと推測されます。「教会」という呼び方がそこにあっても、当たり前だと思うのです。
 
その教会という共同体が成立してしばらくの間、どのように運営されていたか、実際どのような活動が行われていたか、それは、おもに「使徒言行録」に描かれています。そこにある断片的な描写をつなぎ合わせると、ある程度の姿は浮かび上がってくるように思われます。が、いまそれをここでやろうというつもりはありません。礼拝の場におけるメッセージは、神の言葉を受け、また告げることです。ここから私たちは、何を聞きましょうか。何に従いましょうか。
 
しかし、そのためにも、最低限の了解は得ておく必要はあります。その頃まず、イエスの直接の弟子たちが、教会をリードしていたのは確かでしょう。ユダはもちろん論外ですが、ペトロがリーダーとしての役割を担っていたことは、容易に想像できます。だからこそ、福音書でもイエスの前のペトロの姿が、盛んに記録されていたことになるのです。
 
しかし、ペトロ以上に教会で表に出てきているように見えるのが、ヤコブです。ヤコブと言えば、イエスの側近とも言える弟子のうちの一人です。事ある毎に、ペトロとヤコブとヨハネがイエスに同行します。この三人が共にイエスに呼ばれるような場面が、共観福音書それぞれに描かれています。但し、ヨハネ伝にはありません。
 
このとき、ヤコブとヨハネとが兄弟とされています。いわゆる「十二使徒」の中の二人です。このヤコブは「ゼベダイの子ヤコブ」です。しかし、同じ十二使徒の中には、「アルファイの子ヤコブ」と呼ばれる人物もいます。こちらは「小ヤコブ」とも呼ばれることがあり、特別に重要な役割は果たしていないように見えます。
 
しかし、もう一人、ヤコブという重要人物が登場します。「主の兄弟ヤコブ」(ガラテヤ1:19)と呼ばれる人です。この人については、次のような言い方で登場していました。故郷の人々がイエスについて評します。
 
この人は大工の息子ではないか。母親はマリアと言い、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。(マタイ13:55,殆ど同じものがマルコ6:3)
 
これがイエスの実弟であると取るのがプロテスタント教会ですが、カトリック教会には、母マリアの永遠の処女性に固執する問題がありますから、親類のような扱いをします。このヤコブが、使徒言行録によると、後の教会の中心人物として振舞います。特に律法を守る派であったように見えるのですが、その点についてはいまは拘泥しないことにします。
 
それよりも、発足した教会に、一大事件が起こります。教会の役員、あるいは今でいう執事のような役割を果たしたステファノが殉教します。そのときには、えらく詳しい経緯や、ステファノの最後の証言がたっぷりと描かれていますが、ヤコブの死については、実にあっさりと記されているだけです。使徒言行録12章の初めの部分です。
 
1:その頃、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、
2:ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
 
◆殺伐とした世の中
 
イエスの十字架刑は、曲がりなりにも、法的な手続きに則ったものでした。しかし今回は、法に基づいてのことではないように見受けられます。ローマ帝国の支配があるところでは、ローマの名によるほかには、死刑が認められていなかったと言われています。そのため、イエスの死刑も、ローマの役人たるピラトを通してしか実現できなかったのです。
 
暗殺のようなものだったのでしょうか。恐ろしいことです。しかも剣です。何か事故を装っての事件だったのか、今でいう通り魔のような処理で片づけて、実は刺客を送っていた、という実態なのか、私にはなんとも分かりません。しかしそれよりも、次にもっと怖いことがここには書かれているのです。
 
3:そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、さらにペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。
 
ユダヤ人たちが、ヤコブの殺害を喜んだというのです。確かに、イエスの弟子たちは、ユダヤ教からすると外れたことを主張していたのかもしれません。キリスト教はいまとなってはメジャーですが、当時は明らかにマイナーもマイナーであり、しかも首謀者は最悪の死刑に処せられています。新興宗教の首謀者が死刑になることは、最近の日本でもありました。それを、市民が安心したというのはなきにしもあらずではあっても、さすがに法治国家の建前がありますから、「喜んだ」と称することは、マスコミにもSNSにも、普通見られないことだと思われます。
 
しかし、ヨハネの兄弟ヤコブへのテロリズムは、恐怖をもたらすどころか、市民が「喜んだ」とここに書かれています。なんという殺伐とした世の中なのでしょう。
 
当時はままあることなのかもしれません。時代的な意識もあるでしょう。だとしても、新興宗教の主要メンバーが、法的な措置ではなく殺されたことで、市民が喜んでいるとは、なんと冷たい社会なのでしょうか。
 
しかし、先ほどの例のように、現代でも、テロリズムを起こしたとなると、その新興宗教の主要なメンバーが死刑になることについて、世論は特に反対をするようなことが殆どありませんでした。死刑廃止論者は、発言をしていたと思います。しかし、あれだけの事件を起こしたからには、死刑やむなし、というのが一般的な空気ではなかったかと思います。
 
2018年7月6日、7人の死刑囚の死刑が執行されました。あるキリスト教の新聞の論評では、キリスト教系の「異端」あるいは「カルト」について問うことが必要だ、と述べられていました。そこには、正統的なキリスト教ですらそのようになる危険があるのか、という問いはありませんでした。まして、死刑制度の是非への視点など、多分あまりありませんでした。
 
キリスト教系のある大学教授は、その2年後ですが、そこに「信教の自由」の問題を絡めてインタビューに答えていました。伝統教団が、自分たちとその新興宗教とが無関係だと無関心でいたことの責任を感じて指摘しているところが、私は誠実だと思いました。また、キリスト教の内部でも、死刑制度についての議論をしなければならない、と提言していました。私は、それが必要な姿勢だと思いましたが、その後議論が起きているようには思えません。結局、そのときだけくすぶった火に過ぎず、立ち消えになっているということが、結局「無関心」だということのように思えました。
 
その「無関心」の背後にあるのは何か。私は少しだけ考えてみました。それは、「死ぬのは他人だ」という冷ややかな眼差しではないか、と思いつきました。「死ぬのは他人だ、自分ではない」ということが原理としてある見方、考え方に、特に現代人は、慣らされているような気がしてならないのです。それは「当事者意識の欠如」と言ってもよいかもしれません。
 
◆正義の名の下に
 
それとも、これはイスラムの指導者の例を挙げる方が、より相応しいかもしれません。アメリカがこれまでに何人殺害してきたことか、私は知りません。しかも、その都度その殺害を、「自由の勝利」だとして祝っているのです。
 
それは対岸の出来事ではないように思われます。日本がアメリカの同盟国であると言えるからには、イスラムへの攻撃を批判することはできません。即ち、かの殺害に加担している、と言うしかない立場にいます。そうした空気の中で、イスラムはテロ国家であるとか、残虐なことをするから、殺されても仕方がないのだ、というような感覚が育まれているのではないか、という気がしてなりません。
 
アメリカがイスラムの国を攻撃するのを、むしろ日本人はほっとするような眼差しで見てはいないでしょうか。ウクライナやガザの人々については、気の毒にという報道がなされているように思うし、世論もそういうふうではあります。が、果たしてイスラム諸国に対してはどうでしょうか。気味が悪いとか、よく分からないとか、理由は何かついてくるかもしれませんが、その指導者が殺されてよかった、という見方が当たり前のように歩いていないでしょうか。
 
去年の秋、「文春オンライン」で、池上彰さんが書いた原稿のタイトルに、こういう言葉が掲げられていました。「最高指導者の殺害にバイデン米大統領は「正義の措置」」
 
そう、彼らが悪いことをしているから、殺されても当然だ、という論理です。自分が正義であり、相手が悪だから、相手は殺されてあたりまえだ、とするのです。悪に対して鉄槌を下すのは正しいことなのです。そして日本は、これを喜んだのです。
 
ガザのことに触れました。いまは、イスラエルがパレスチナを攻撃しています。軍人同士の戦争ではなく、民間人とその住まいを狙います。日本人は、沖縄戦を思い起こすでしょう。思い起こせない人は、ぜひ沖縄戦について関心をもってください。無知でいると、あなたが沖縄戦のときのように、今後酷い加害者になるかもしれません。
 
戦争は、互いに自分か正義だと考えることにより、起こります。どちらの側にも、必ず大義名分があります。それが戦争というものです。誰も、「我々は悪の組織だ」と名乗って戦うようなことはしないのです。
 
ガザに向けて、イスラエルが一般市民をも標的にし、兵糧攻めまで行っていると聞きます。少なくとも、そう受け取られても仕方がないような方法をとっているのは確かでしょう。日本は、そして私たちは、それを力ずくで止めようとしているわけではありません。自分は安全なところから、自分の正義をお気軽に口にして、私は正義の味方です、というような顔をして高みの見物をしているだけなのです。
 
こうした正義が蔓延しているのなら、聖書のヘロデ王の正義は、どこに問題があると言えるのでしょう。「ヤコブを剣で殺した」ことが「ユダヤ人に喜ばれる」のを見て、さらにペトロをも血祭りに上げようとほくそ笑んだヘロデ王の姿は、こうして二千年後にも同じように繰り返されているのです。しかも、私たちはそれを傍観しているばかりです。
 
私たちは、聖書を用いてでも、「歴史」を学ぶ必要があります。「歴史」を学ぶと言うのは、どういうことなのでしょうか。年号と将軍名を覚えて終わり、では空しすぎます。
 
◆死ぬのは奴らだ
 
ヨハネの兄弟ヤコブの殺害は、社会正義とされたのでした。それがいまでいう法に則ったものであったのかどうか、は分かりません。法を盾に構えるのはどうかと思いますが、法は時に秩序の安定だけを目的としています。政治というものは、そうやって権力の維持を図るものなのです。
 
社会にとり危険な分子は、排除して構わない。それが論理です。秩序を乱す者は、死んでも構わない。そういう背景を理解できない群衆は、うまく扱い、秩序の味方につけさえすればいい。そうして権力側が群衆と一体化さえすれば、異端者だけが死ねばいい。
 
明治維新の後、先進国となるために、国家を全力で築き強くしようとした日本。天皇を中心とした秩序は、国家神道という鎧と武器を身にまとい、これに異を唱える者を徹底的に排除しにかかりました。大逆事件、特高と治安維持法、といった言葉を思い浮かべるだけで、おぞましい気持ちになります。しかししょせん庶民はその側に加担したのでした。
 
伊藤野枝という人のことを、私は今年少し詳しく調べました。福岡の今宿出身の女性です。いま地元でも知るひとは多くありません。あのような者に関わることをタブーとしてきた歴史が、そうさせているのです。
 
発端は、平塚らいてうでした。女性のための月刊誌『青鞜』の編集長です。伊藤野枝は、自分に課せられた結婚生活を拒み、上京してらいてうたちの仲間になります。やがてらいてうは男との関係もあり編集長を降りることになりますが、そのとき伊藤野枝が編集長を継ぐことになります。
 
しかし伊藤野枝も、大杉栄との不倫生活に陥り、また論争での敗北もあってか、『青鞜』は発行を止めます。大杉栄はアナーキストでしたし、野枝もまた結婚制度を否定するなど、考えを評論や小説という形で著しました。これに目をつけていた憲兵隊が、関東大震災のどさくさの中で大杉栄と共に憲兵司令部へ連行され、筆舌に尽くしがたいリンチの末に虐殺されます。野枝28歳のときでした。
 
九州では、島原・天草一揆(島原の乱)もそうでした。幕府に刃向かう者は、徹底的に消されます。島原半島には、いまなおそのときの骨が埋まっているとも言われますが、キリシタンを撲滅した後、幕府はそこにいわば植民します。他の地域から人を住まわせ、キリシタンの欠片も遺さないようにしたのです。権力に逆らうとああなるぞ。権力への反抗は、忌まわしい出来事として歴史や生活から消してしまおうとしたことになります。
 
聖書でも、サマリアに異民族が入り、混血状態になったことで、純潔を自負するユダヤ側からは、もうあれは仲間ではない、とむしろ憎まれることとなります。これについては、聖書をよくお読みの方は、熟知していることでしょう。
 
権力側からすれば、異端分子は死なねばなりません。殺しても構らないとすら考えます。歴史の中から跡形もないくらいに消し去りたいというのが本音かもしれません。そのような者は死ぬべきです。死ぬのは奴らです。
 
死ぬのは奴らだ。ビートルズのポール・マッカートニー率いるウィングスのヒット曲を思い出す人は、もうかなりの年配の方でしょうか。スローな前奏めいた箇所で、「Live and let die」と繰り返される歌詞。「お前は生きろ。死ぬのは奴らだ」と物騒な歌詞ですが、これは「Live and let live」という諺をもじったものだとされています。「自分は自分、ひとはひと」というふうな意味でした。
 
怖い意味がこびりついたその歌のタイトル「死ぬのは奴らだ」が、ここまで私たちの見てきた「考え方」です。自分の中に、そのような考えが潜んでいることに、戦慄を覚えます。
 
◆ペトロは救われる
 
さあ、回り道をしてきました。些か気分の悪いお話が続いてしまったのではないか、とお詫びします。ここからは、聖書の記述に従って、神の言葉を受けましょう。
 
ヘロデ王はヤコブを、超法規的に殺害しました。これをユダヤ人たちが喜んだことで、さらに教会に遺った一番の指導者・ペトロをも捕縛しようと狙い、それを正当化しようとします。ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れます。これもまた、社会正義であったに外なりません。見張りは兵士が16人いたように書かれています。
 
ここに「過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった」と書かれていますから、過越祭のときに殺されたイエスの十字架を思うと、そのときから少なくとも一年は経過していることが分かります。教会と呼べるような仲間の共同体の暮らしも、一定期間続きました。そして「教会では彼のために熱心な祈りが神に献げられていた」といいます。
 
しかしその後、牢に天使が現れます。「急いで起き上がりなさい」とペトロの脇をつついて起こしたあたり、描写が細やかです。鎖がするりと手から外れ落ちます。「起き上がる」の表現には、復活のイメージが重なります。ペトロは夢うつつで天使の後に従い、難なく牢を脱け出ることができました。
 
エマオへの道の記事で、復活のイエスがそれまでそばにいたのに、2人の弟子たちは、イエスが消えたときに初めて、それがイエスだったと気づきます。このときのペトロも、天使が離れ去ったときに、我に返りました。そして「救い出してくださったのだ」と気づくのですが、さて、それでよかったのでしょうか。なぜなら、これは脱獄です。現実的に考えて、この後の罪状が重くならないか、心配です。
 
でも、起き上がり、救われた、この連鎖から、何か私たちに伝えたいメッセージがあるのではないか、と思う自由があってもよいかと思われます。
 
脱獄犯にされる心配については、ルカ伝は解決を図っていました。この後、ヘロデが死んだのです。神罰を受けたかのように、「蛆に食われて息絶えた」(12:23)というのです。ヤコブの殉教は気の毒でしたが、ペトロは救われました。そしてキリストの名の下に、教会が継続します。
 
◆御言葉を握りしめて
 
詩編124編はダビデの詩だとされています。「もしも、主が我らの味方でなかったなら」と繰り返し、自分は災難に襲われ救われなかったであろうことから始まります。ダビデは確かに、危ない橋を渡りっぱなしの人生でした。サウル王に取り立てられても命を狙われるし、敵のペリシテ陣営に潜り込んだ末、サウルにはしつこく追い続けられました。サウル亡き後、イスラエルの王として迎えられたのは幸いでしたが、息子たちには手を焼き、ついには息子に王位を奪われます。
 
そのダビデが、どのように敵から救われたのか、たいへん印象的に述べた言葉がここにあります
 
7:私たちの魂は小鳥のように救い出された/仕掛けた者らの網から。/網は破れ、私たちは救い出された。
8:私たちの助けは/天と地を造られた主の名にある。
 
京都の牧師が証しを聞かせてくれたことがあります。トラクトをアパートに配布しただけでしたが、そういうのを禁じた表記が見えなかったのか、と怖い人に絡まれたのでした。若かった当時の牧師は、その人の言いなりに、身の回りの世話を、言われるままに黙々と続けます。そのときに、この詩編の言葉を以て祈りつつ仕えていたのだったと思います。
 
確か病気だったのだと思います。その人の命が尽きるときが来ました。牧師の献身ぶりに感動したのか、報酬を持って応えることとなった――そんなふうな話だったと記憶しています。もうだいぶ以前のことなので、かなり違う話になってしまったかもしれませんが。
 
罠から、「小鳥のように救い出された」という詩編の言葉に縋るように、恐怖の中、不条理な奉仕を続けていた。ここのところは確かそうだったと覚えています。よく、「御言葉を握りしめる」と言います。神の言葉を「握りしめる」ということです。気のせいか、近ごろはそのようなことを聞かなくなりました。「信仰」とはそういうものではなかったでしょうか。神の言葉は実現する。神の言葉の通りになり、自分は救い出される。それを信じるということにこそ、「信仰」の真髄があるのではないでしょうか。
 
御言葉を握りしめることの大切さを、改めて思い起こします。ペトロが救い出された話は、遠い昔の出来事でしかないわけでなく、いまも私たちが頼りにすることのできるものです。また同じ力をもつ神がいまも生きて働いてくださることを、私たちの信仰によって、証ししたいではありませんか。
 
◆人を救う福音
 
しかし、かと言って、聖書の言葉で祈りさえすれば、誰もがそのように助けられるのだ、と御利益的に公式化することは、慎みたいと思います。そんな保証があるわけではないのです。私は直方の墓地で、泥にまみれて動けなくなっていた亀を発見し、拾い上げて池に帰したことがあります。しかし、竜宮城へ案内されることはありませんでした。浦島太郎のようにはなれませんでした。尤も、玉手箱を開けた結末のようになるのもどうかしら、とは思いますが、こうすればああなる、というふうに物語を受け止めることは、確かにできないものです。
 
けれどもまた、聖書の物語は、それを信じても絶対にそのようなことは起こらない、と決めつけるのも、どうかしています。聖書と距離を置いた人から見れば、それは昔話かもしれません。ただのお伽噺のように見えても当然でしょう。
 
しかし、キリスト者は、聖書が神の言葉として迫り、自分を造りかえたという経験をもっています。自分が思った存在のように変えられたのではないでしょう。突然に、上からの力が及んで、思いもよらなかった姿に変えられたのではなかったでしょうか。ただ、救われたいという願いと求めがあって、それが実現したのだ、という図式であれば、基本的にキリスト者は、聖書の言葉で変えられたという経験をしているのではないかと思うのです。
 
必ずしも、主の天使が現れて救われるのではないでしょう。しかし私たちは、今日「ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから」救い出されるという言葉を受け止めました。その言葉は、あなたの脇を通り過ぎただけに過ぎませんか。それとも、その力ある言葉を握りしめて、自分の祈りとして、自分と神との間に置くことができるでしょうか。確かに自分が救い出されたことがあるならば、それは確かな現実です。
 
もしいま、救い出されたい事情の中にある人であれば、改めて救い出されることを求めて、神が与えた言葉を頼りに祈ることができるでしょう。もしも、まだそうした神の力を体験したことがない人であれば、神の言葉が自分の上に及ぶように、と祈り求めることができるでしょう。
 
今日私たちは、人を殺すことに、いつの間にか加担している可能性について、振り返るひとときをもちました。死ぬのは奴らだ、という思いに、いつの間にか支配されているかもしれないことを問われました。しかし、キリストが死にました。殺されました。私が殺しました。そして、キリストは復活しました。私の罪を赦し、私を救いました。それは、罪の私が死んだことに基づきます。死ぬのは私であり、それを神が生かしました。この福音が、人を救うのです。



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