「あんぱん」と「波うららかに、めおと日和」

2025年6月17日

戦争を論ずる資格はない。「戦争を知らない子供たち」であるのと共に、それを間接的にでも聞いたり、何らかの影響を以て体験したりするようなこともないのだ。さらに、何かを関心を以て調べたというわけでもない。ただの思いつきでしか語れないのである。
 
だから、戦争を描いた映画やドラマについても、その作品そのものをとやかく言うことはできない、と考えている。だから以下でも、作品を評価したり批判したりしているつもりはないことを、予めお断りしておく。
 
戦前の時期を、ちょうど描いた二つのドラマが、それぞれ好評だ。連続テレビ小説の「あんぱん」と、「波うららかに、めおと日和」である。後者は、見ている方が恥ずかしくなるほど、うぶな若夫婦の姿をコミカルに描いていて、口コミもあって、人気が高まっているようだ。
 
だが、いわゆる朝ドラの「あんぱん」は、雲行きが怪しくなってきた。やなせたかしをモデルにした人物が徴兵されて、軍隊に入ったところから、軍隊のシーンが殆どとなったが、そこでの暴力的な描写が、朝ドラとしては非常にしつこく描かれ、視聴者が見るに堪えないようになってきている、という噂がある。
 
確かに、それは暴力である。軍隊が本当に描かれたようなものだったのか、それを議論する力は私にはない。だが、肉体的にもそうだし、精神的にも、暴力的なものが当たり前であった時代であることは、否定できないだろう。
 
精神的に、ひとつの方向に強いられてゆくさまを、私たちは遠い過去を見るような思いで見ているかもしれない。あれは昔の話だ。いまからそんなことがあるはずはない。そんな構えで見ている人が多いのではないかと思う。
 
しかし、言葉の暴力はいまも世間を、あるいはネット空間を、飛び回っている。論証するつもりはないが、恐らく多くの方が肯いてくださるだろうと思う。しかしまた、その暴力を揮っているのは、誰か他人であるのではなく、自分でもあること、そこに気づくことは、恐らく至難の業である。
 
だからこそ、一度風が一方向に吹くと、それに一斉に靡いてゆく。奔放な発言をしている人物がウェブ世界で注目されていることがあるが、彼らがその風に逆らうようには、私には到底思えない。自由な発言ができるときには奔放に語るが、その自由が圧せられると、たちまちその声はなくなるであろう、と予言してもいい。
 
「あんぱん」の方では、軍隊の流れに入ったら、そこには「死」が背中合わせであることを、ドラマが描いていることが明確である。それは、やなせたかしさんの根柢にあるのが、その戦争に関することであるからであり、それを理解してドラマが制作されているからであると思う。それを強く意識した形で、すべての場面が撮影されていることが、よく伝わってくる。
 
しかし、「波うららかに、めおと日和」の方は、同じ時期を描き、しかも夫が帝国海軍の軍人でありながら、「死」がどこにあるのか、というような空間ばかりが画面に出てくるように見える。少なくとも、「死」を描こうとはしていない。私はそのコミックスも知らないが、知っている人の発言だと、そもそも物語がまだ連載中であるし、戦争の話は直接出て来ていないらしい。あくまでも、軍人が登場するラブコメのようなのだ。尤も、今後そういう場面が出てくるだろうとは思うけれども。
 
ともかくいまのところ、視聴者はその二人のメロメロの様子を愉しんでいる。しかし、「あんぱん」はなかなか正視していられない、と口にする人が多くなっている。
 
どちらも、描いている時代はほぼ同じなのである。私たちが目を背けようとしていることは、果たしてどういうところなのだろうか。
 
ウクライナへのロシアの攻撃がもう私たちの見える視界から消え、ガザへの攻撃も遠い世界の話に過ぎないような構えの中で、後者の当事者であるイスラエルが、今度はイランへ激しい攻撃を仕掛けた。
 
本当にそれは、遠い話なのだろうか。



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