やみくもに歩かずに
2025年6月15日

私立中学校を受験する熱意は、一時ほどはなくなっているように見える。その一方で、中高一貫校を受験しようとする家庭は、さほど減っていないと思う。受験校はもちろん地域からして少ない。だが、通える範囲にあるならば、狙う価値はある、と見ているのだ。
地域の中学よりは学習レベルが高い環境に、子どもを置きたいという親のニーズがそうさせる。しかも、私立中学校に比べると格段に費用がかからない。不景気な時代にはもってこいだ。また、受験に必要なエネルギーがまた小さいことも魅力だ。
詰め込み式に、膨大な知識の学習を必要としない。子どもへの負担も、明らかに私立受験よりは軽い。学校の勉強の程度に近いことは間違いない。学習塾への時間負担も、私立受験組よりは明らかに少ない。子どもが作文を書くことに拒否反応を示さなければ、挑んでみてもいい。
ところが実際に塾へ来てその指導を受けると、本人は痛く驚く。学校ではけっこう勉強ができる側にいる、と思っていたかもしれないが、算数の基礎すら理解度が低い場合が少なくないのだ。
さらに、その算数というのがまた曲者である。昨今の大学入試にもその傾向が出てきているのだが、その場で文章を実に大量に読ませる出題の仕方をする。その中で、算数的な処理をするだけのことであって、見るからに、それは読解力の勝負である。
だったら、作文を厭わない子どもにとっては、まだましではないか、と思われるかもしれない。否、出題側もよく考えている。その場でルールを読ませながらも、しっかりと算数的思考法によって解明できるように、問題が作られているのである。
その場で計算処理を素早くしなければならないこともあるが、概して、算数について一定以上の知識と発想を求めているように見える。学校の勉強を受け身で学び、習得した、という方法とは全く違うものが求められている。
だから私は、必ず毎年「好奇心」という文字を板書して、いろいろなことに関心をもちなさい、という動機付けから話を始めることにしている。
さて、その算数であるが、学校で指導される学習内容の理解にはさほど不自由を感じない生徒たちは、学校の算数のテストについては、解き方がすぐに分かることが多いのだろう。暗算で片づけてしまう子が少なくない。また、学校のテストで要求されるからか、「式」と「答え」をきっちりと示すことを心得ている、よい子もいる。
少なくとも、問題を分析して、図や表を書いて挑もう、とすることはまずない。
お分かりだと思うが、「図や表、時にグラフ」を書くということが、中高一貫校に入試問題を解くためには、断じて必要なのである。だから、私は算数の授業で、必ずそうしたものを書く。式を仕上げましょう、というような教え方はしない。まずは思いつくことが大切なのであって、メモを重ねていく中で、問題の中に潜む本質的なことがようやく見えてくる、それを教えようとしているのだ。
だが、まとめの小テストをさせると、そんなことをする生徒は殆ど皆無である。式を一切欠かない強者もいるし、書く必要はないのに自分で「式」と枠を書いて、そこに数字をなんとか並べようと考え込んでいるいる生徒もいる。
一向に、私の「イズム」が伝わらない。いくら露骨にそれを毎回繰り返しても、小テストになると、することは全く変わらないのだ。『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』という本を読んでみたくなるほどだ。
ついに私は、小テストの最中に、板書した。
「地図を書いてそこに自分の位置と目的地を書くことなしに、やみくもに歩き回っても、目的地に行くことはできない。」
だが、このようなたとえでは分かるまい。注釈を入れた。「地図」に矢印を書いて、「図や表などのメモのこと」、それから「やみくもに歩き回る」のところに矢印を書いて、「ただ計算をしまくること」というように記した。
そして小テスト終了後、改めて、いつも話しているようなことを、しかし今度はかなりしつこく、その道の話をした。
さすがに、その意味は幾らか伝わったようではあった。しかし、この板書をノートにメモするのは、たった一人だった。一度できた学習習慣は、なかなか改善できない。問題の根は、相当深いようだ。