思い出の本や機器

2025年6月5日

もともと、本を読むというのは、私には面倒くさいことだった。頁をめくるのに、一定の時間を費やさねばならない。もし1頁に1分を使うとすれば、200頁ある本を読むのには、3時間を要することになる。そんなに集中できないし、そんなにまとまった時間はなかなかもてない。子どもの計算ではあるが、やっぱりどうしても、それは面倒くさいことだった。
 
だが、本そのものに興味がなかったわけではない。何かを教えてくれる。自分では知らない世界を覗くことができる。一番都合がよいことに、本という相手は、こちらの都合にすべて合わせてくれる。夜中でも嫌がらないし、どこへ持っていっても不満を言わない。便利な友だちではある。
 
姉が、日本の詩歌というシリーズを購入していた。時折、それを開いて読んだ。そう、「詩」であれば、空白が多い。読む時間が短縮される。これなら、比較的短時間で、一冊を読み終えることも可能だ。また、えてして「詩」の言葉は、子どもにも分かる言葉が多い。尤も、その「意味」がすんなり理解できる、というものでもなかったが、中には「意味」だけでなく「リズム」や「口調」といったレベルで、心地よく感じるものもあるわけで、理屈よりも感覚というふうに捉えると、悪い友だちではなかった。
 
中原中也や高村光太郎、萩原朔太郎といった人たちの詩もたくさん見た。草野心平は、たぶん一番好きだった。曲がりなりにも、こうした詩にたくさん触れていたことは、後々貴重な財産のようになったと思っている。
 
中学のときの数学では、分からないことは何もなかった。高校に行く頃には、数学には真理があると考え、数学者になりたいと思うようになった。だが、高校の数学は、味気なかった。そして、魅力が少し薄れてくると、分からなくなった。だから、大学の数学科を受験したけれども、駄目だった。当然と言えば当然のことだった。
 
高校の科目では、「倫理」が面白いと思った。だが、当初は数学に囚われていて、倫理が哲学に通じるということに、気づいていなかった。それが、哲学者のことを、たぶん梅原猛だったとは思うが、知ったことで、真理というものを、数学ではなく、哲学の方に求めるのがよいと考えるようになった。
 
理系クラスだったため、文系科目には自信がなかった。特に実は英語には興味がなくなっていた。しかし、必要を感じると、興味も出てくるものである。特に、英語をただの言葉としてしか感じていなかったそれまでの愚かさから、思想というものに関係して意識することで、取組み方も変わった。つまり、高校からの英語は、語学だけではできないのであって、日本語でしっかりと思想や思考を大切にすることによって、初めて英語で書かれた思想というものを解するようになるわけである。これは、中学英語がただなんとなくできるという程度に留まる生徒には、ぜひ考えてほしい点である。
 
ところで、文系に転ずるとなると、そのように何か本をたくさん読まなければならなくなる。当時、受験の国語ということで「學燈」という雑誌があった(当時既に「学燈」と表記されていたっけ)。これを頼りにした私は、そこに、読むべき50冊というようなリストがあったので、それを全部読むことに挑んだ。挑戦である。これが、私の見識を拡げた。自分の選択するものではなく、識者の挙げたリストである。様々な分野から満遍なく推薦してあったので、いろいろな世界を知ることとなった。
 
まだそのときには、付け焼き刃であったと思う。英語にしても、語学的な知識は未熟だった。再び国立大学に蹴られたことは悲しかったが、それでも哲学という看板がしっかりと伝統の中にある大学で学ぶことができた。無理をして送り出してくれた両親には、感謝してもしきれない。全く家事などしたことのない者が、独り家を出て、世の中を知ることとなる。徹底的に自炊を試み、一日400円という食費でやり通した。もちろん当時はいまより物価も安いが、牛乳や卵、パンなどはそんなに値段はつり上がっていないと思う。肉も、100グラム100円くらいのものだったから、とにかく食費を抑えるためにできることは何でもやった。
 
大学の生協では、1割引きで本が買えたのは嬉しかった。が、中古本を巡っても欲しいものが手に入るとは考えにくく、本代は、いまと変わらないか、それ以上使っていた。研究室に、洋書の業者のお兄さんが出入りしていて、原書の全集を買うこともあった。これは何万円もすることがあったが、アルバイトに比較的恵まれていたため、そういうことにはお金を使った。
 
また、パソコンやワープロという、むしろ今よりも高い値段で売られていたような時代に、いち早くそれを購入して使いこなした。富士通の親指シフトは強烈に速く入力することができた。その後、殆どなくなってしまったのは残念だったが、そもそもその前に電動タイプライターでテキストをルーズリーフ用紙に打ち込んで演習に挑んでいた私は、JISキーボードに移ってもすぐに慣れた。一時はコピー機も自室に置いていた。
 
実はいま、松本侑子氏の、『赤毛のアンの翻訳物語』という本を読んでいる。これがまた、私以上に、ものすごいコンピュータ物語となっているのだ。赤毛のアンに惹かれてこの本を開いた人は、驚くに違いない。実に細かな、コンピュータについての殆どオタク的な、当時の有様が綴られているのだ。当時のマニアがパソコンをどう改造したか、というようなことが、一つひとつ経験したままに報告されている。実に珍しい本であり、当時のパソコン事情の貴重な記録となっていると思う。というのは、私にはお金がないので彼女のような装置やソフトその他を導入できなかったが、当時はパソコンの雑誌もよく買っていたし、書かれてあることがリアルに分かるのだ。
 
さて、一つひとつのことを思い出して綴れば、際限がなくなるかもしれない。今回はここで筆を擱くこととしよう。



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