冷たい自分の思い出

2025年5月20日

いまも生々しく覚えているというのは、どうしたわけだろう。当時、まだイエス・キリストに出会っていなかった。高校生のときのことだった。そのときの自分の状態をいま細かく綴るのは避ける。ただ、女友達と歩いているときのことだ、とだけ説明しておく。
 
具体的に何があったのか、は覚えていない。ただ、小さい子が飛び出したかぶつかったか、私たちの前に現れたのだ。何か迷惑煮なるか、あぶないか、そうしたところだったかと思う。確かに、客観的にはその子が悪かったのは確かなのだ。
 
お母さんがそこにいた。お母さんは、その子を叱った。「危ないじゃないの」と。
 
しかし、私たちのほうへは、視線をも向けず、子どもを叱ってそのまま去って行った。それを見て、私は口に挙げた。別に怒ったような言い方ではなかったはずだが、「まずはこちらに謝るのが先じゃないだろうか」と言ったのだ。
 
彼女の反応は特にどうということはなかった。が、私の中では、何か拙いことを言ってしまっただろうか、という思いが走っていたに違いない。だからこそ、いまなお心の隅にこの発言のことを、覚えているのだろうと思う。
 
いまで言うと、モラハラに相当することかもしれない。このように相手に厳しい断罪めいたものをすることは、彼女にとっては意外というか、冷たい人間だということを露呈してしまったことになったのではないか、という痛みが、いまも心に走るのだ。
 
客観的に見て、このときの私の言明は、間違ったものではない。自分の子に、「だめじゃないの」と叱ったことにより、母親はこの事態の責任を、子に負わせたことになる。いつも自分はちゃんと指導している。それなのに、いまこの子は悪いことをした。いつも教えているでしょ、どうして守れないの、あなたが悪いのよ。そのように、被害者に対して主張したのである。だから私には責任はないのよ。そのように弁明することによって、この場の出来事について、母親は謝る必要はない、としたのだろう。
 
多分、その通りなのだろう、といまも思う。また、このような現象は、実はいまなおしばし起ることであり、出会うことである。だが、私はこの一瞬を記憶の中にしっかりと刻み込んでいた。
 
私は正しくなかったのだ。こうしたことで、その母親を責めることは、よくなかったのだ。何かしら、そのような痛みを感じていたからこそ、たわしはいまなおこのときのことを忘れることができないのである。
 
その後、イエス・キリストを信じた。だからまた言うが、確かにこの母親の態度は欺瞞である。まずは相手に、すみません、と頭を下げるべきである。いまの事態になり、思うに、このようなことがあまりにも当然視されるようになってしまっている。自分は何も悪くない。だから、自分の子どもが何かしようとも、相手に頭を下げる必要はない。こういう考え方がまかり通っているのは確かである。
 
子どもが、食料品売場でパックを一つひとつ触り押さえながら歩くのを見ても、注意する親がいない。走り回る子どもたちを、「だめよ」などと、周りに親としてちゃんと指導していポーズは示すものの、どうしても留めようとする本気度は全く見えない。子どもが食べたり飲んだりしながら店の中を歩いても、止めるようなことは思いもよらないらしいし、売り物のソファで跳びはねている自分の子を、止めさせるなどという発想は全くお餅会わせていない、そんな親が、当たり前になってしまった観がある。
 
親が、子どもを教育できなくなっている。それはもうよく分かる。そして子どもが何か悪いことをして学校で叱られれば、叱る学校が悪い、と文句をつけにゆく。それがもう当たり前になっている。小学校の先生方に、心から同情する。
 
お客様は、神さまです。そんな半世紀以上前の流行の言葉を、いまもなお教条として信じているような社会なのだろうか。子どもの態度か悪いのは、全部学校が悪い野であって、先生の指導が間違っているというのだろうか。
 
二十年前であっても、より若いママさんたちの奇妙さに戸惑った私である。いまは、きっともっと理解しづらいことが起こっているのてはないかと危惧する。
 
しかし、私自身の問題に戻って考えるならば、私が他人の不手際にに対して、それではいけない、などという考え方から入っていたというのは、私の心の貧しさであることは間違いない。ひとの罪を赦すつもりはない。ただ、罪を犯した人を赦すことは必要なことなのだろう、とも思う。
 
ここの違いは、小さなことのようで、実は大きい。



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