ストーカー被害の相談の実態を
2025年5月8日

時折ニュースになり、いたたまれない気持ちになるが、今月も、ストーカーの被害者が無惨な姿で発見された。気の毒だという言葉では説明できないくらい、悔しさや憤りが湧き起こってくるが、ご家族の悲しみや怒りは、そんなものではないことだろう。
報道によると、ストーカー被害を警察に訴えていたのに、その対応が全くなっていなかったように伝えられている。被害者の父親を含む人々が、警察署に押しかけたくらいだから、よほど対応がよくなかったのだろう、というふうには推測できる。報道の仕方にもよるのかもしれないが、家族はむしろ、警察が命を奪った、というふうにまで声を出しているとも聞いている。こうした遺族としての憤りに対して、警察側がどう対応してゆくか、見守りたい。また、遺族の心が少しでも癒やされることを願わざるを得ない。
この事件そのものについては、これ以上変な口出しをするつもりはない。だが、警察も、法的には問題がない云々などという逃げ口上を検討せず、真摯に向き合って返答してほしいと願っている。そして、そのような向き合い方をしてもらうために、ささやかな提言をしてみたいと思っている。
それは、この件だけについての警察の対応を問題にするのではない、ということだ。具体的に言えば、そもそもストーカー被害を警察はどのくらい相談され、それに対してどのくらい被害を防いできたのか、明らかにしてほしい、ということである。
学校の教師が不祥事を起こす。その報道により、ワイドショーとそれを見た正義漢が、学校の先生が悪いと強調することがある。これに乗った正義の味方である一般市民たちがどうするかというと、必ずしもすべての先生が悪い、などとは言い出さないものだ。そうでないよい先生も多いのに、と困惑の表情を見せるのが一般的であろう。
警察官が犯罪で逮捕されたとき、警官なんて、と憂さ晴らしのように叫ぶ者もいるにはいるが、警察官のすべてを悪の組織だと突きつけることは、普通はしないものだ。それは、殆どすべての警察官が、犯罪者と闘ったり、犯罪や事故が起こらないように仕事をしていることを知っているからだ。
では、このストーカー相談についてはどうなのだろう。多くの相談があるだろうが、その結果、警察はどのくらい、犯罪を防いでいると言えるのだろうか。私のような一般人には、その「程度」というものが、全く分からないのだ。確かにそれは「見えない数字」であるかもしれないが、そこを知らせることで、大多数の警察は頑張っていると、いつかどこかで教えてほしいのだ。
以下、数字は全くのただの空想であり例えとしてご理解戴きたいが、このようなデータがほしい、という意味でお聞き戴きたい。
例えばだが、ストーカー相談が100件あったら、警察は加害者サイドには100%面会する。そしてうち95件はストーカーに該当し、警告をすべて与える。そうすると80件は、二度とストーカー行為はしなくなっている。残りの15件は、さらに二度目の相談を受けるに至り、警察は強く警告をなす。するとそのうち10件は、以後ストーカーの相談がなくなる。残りの5件のうち4件は、警察や法が強制力を以てはたらき、そのために事件は起こらず権力により未然に防ぐ形で治まっている。あとの1件は警察や法の力に逆らってストーカー行為が続いており対応が継続している――などというようなデータが、公表されないか、と言っているのである。
もちろん、プライバシーに関しては一切分からない形での統計とする。いま言ったのは勝手な数字であるが、そもそもストーカー相談をしたらどのくらい有効であるのか、警察がどのくらい力を以て犯罪を防いでいるのか、相談する側からすると、知りたいのではないだろうか。
小学生が朝登校するときに、地域のボランティアの方々が、交通安全のために日々労してくださっている。この人々は、報道的に脚光を浴びることがない。だが、事故が起こらないように未然に防いでいるという意味では、確実に貢献していると言える。このボランティアが配置されなかった場所で、時に悲惨な事故が起きているが、そうなるとまたその区域で係員が立つようになる、ということが必要になるだろう。
ストーカー被害の相談を警察署にもちかけたら、実際どのくらいそれに効果があるのか、私たち市民には見当がつかない。それは、被害を受けている人にとっても、知りたい情報ではないだろうか。相談したら殆どうまくいっているのであれば、警察への信頼度が増すだろうし、それだけよく防いでくれているのだという声を、もっと表に出したらよいだろう。それとも万一、多かれ少なかれ相談しても不安がなくならないような人が殆どであるのだとしたら、もっと社会問題として、未然に防ぐ方法を算段しなければならなくなるだろう。
事は、単に「相談に対応しました」とか、「法に基づいて対応しました」とかいう言い訳しか流れてこないようなことでは、その後なんの益もないことにならないだろうか。記者会見が弁解の場であったり、ただ頭を下げるだけの場であったりするのであれば、その後どうすればよいか、改善すらできないのではないだろうか。
相談に対して具体的にどのくらい警察が力になっているのか、明らかにして、そこに問題があれば、警察側の精神論のようなものに任せるのではなく、法的な改善をも含め、悪質な被害を未然に防ぐにはどうすればよいか、もっと社会全体で考えられると思うのだ。
もう犠牲者を出したくないではないか。