熊本地震から9年

2025年4月14日

熊本地震から早くも9年になる。14日と16日に、二度にわたり震度7が記録されたような地震は、これが初めてとされる。福岡から比較的近いこともあって、何度か現地に通うことがあった。仮設住宅の、とくにお年寄りに、憩いの場所を提供するという形の企画に参加した。
 
教会として動いたが、キリスト教にいて何かを伝えるという意図は一切出さなかった。こうした働きは、その前には、東日本大震災のときにも、いろいろな教会でなされていたことだろう。
 
災害は、突然襲う。洪水のように、いくらかでも予期できる場合があるタイプの災害もあるが、地震はどうしようもない。地震に備える、という言い方はあるが、それは避難経路とか救援方法などのシミュレーションに過ぎず、災害の発生そのものは、全く突如のものである。
 
もちろん、人の命を奪うということについては、悲しいことこの上ない。他方、建築被害も甚だしく、復旧には時間がかかる。熊本地震のその後の復興は、それなりに進んでいるけれども、完全に戻ったとは言えないことだろうと思う。
 
『くまモンの ボクのきもち』という本を読んだ。一冊、くまモンの語りと写真がたっぷり載っており、決して深刻な話が始まるわけではない。だが、そもそもくまモンの登場の晴れ舞台が、前日の東日本大震災の発生により暗いものになったことに始まり、その後この熊本地震、またそれから四年後には、人吉と球磨地方での大水害があった。さらにその四年後には、能登半島地震の大きな被害を見て、くまモンも能登に向かっている。
 
愛くるしいゆるキャラであり、人々に「サプライズとハッピーを伝えること」を職務とする公務員なのであるが、その働きには、人々の痛みや悲しみがつきまとっている。
 
それでも、何か笑顔が少しでももたられるなら、と、自分にできることを探し、今日も歩いている。健気な姿に、勇気をもらった人もいるだろうと思う。よい働きをしてくれていることが、嬉しく感じられる。
 
熊本には「肥後もっこす」という言葉がある。「頑固者」という説明が一番近いだろうと思うが、決して暗い性質のものではなく、自分の信じたことについては妥協しない、という方向性をもっていると言える。腹を探り合うような営みをせず、ストレートにぶつかってゆく。
 
クリスチャンといってもいろいろあってよいが、肥後もっこすの性格は、クリスチャンのひとつの姿でありたいと思うものでもあるだろう。確かに、明治時代、「熊本バンド」と呼ばれるクリスチャンのグループがあった。キリシタンとしての歴史も深い。江戸時代初めの「島原の乱」と呼ばれた事件は、いまは普通「島原・天草一揆」と呼ばれている。迫害というと島原の長崎が際立っているように見られるかもしれないが、天草は熊本県である。
 
海老名弾正、小崎弘道、金森通倫など、熊本や熊本バンドには蒼々たる名の先人たちの名が並ぶ。先輩方を崇拝するのもおかしいが、鑑とする意義はあるだろう。自分本意ではなく、その時代に健闘した人々にリスペクトを払いつつ、同様にまたこの時代の歴史をつくる自分というものに対して、責任を負う者でありたいと願う。
 
しかしまずは今日、熊本地震で傷ついた人々の心に、思いを馳せることにしたい。



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