2冊目の本
2025年3月29日

以前、聖書解釈の、けっこう高い本を、読みたくて買ったことがあり、全部読み終わって本棚に入れ込もうとしたら、そこに同じものがあった、ということがあった。買ったのみならず、読んでいるときにも気づかず、片付けるときに初めてダブったことが分かったという、残念な結果だった。先にあったほうも、ラインがしっかり引かれてあったので、自分が読んでいることは間違いない。もう、過去の自分は自分ではないのだ、と思うか、あるいは自分の記憶力が消滅しているか、どちらかということになるのだろう。
それに懲りたつもりだったが、また同じ本を買ってしまった。
だが、それは、重なってもいいというつもりでもあった。買ったのは、池田昌子さんの『14歳からの哲学』である。
プライバシーの問題もあるから、いくらかぼかした形でご紹介する。教えている生徒の中に、少し暗いような、やや反抗的にも見えそうな、理屈っぽい男子生徒がいた。少し危険な考えをもっているようにも見受けられたこともあったが、とにかく他の生徒とは明らかに違うものがあったのは確かである。
学校の休み期間前の、最後の英語の授業だった。ノルマも特になかったので、復習プリントの解説をする中で、英語を学ぶ「意義」について話をすることにした。すると一人の生徒が、英語が面白くなく、役にも立たないだろう、というような言い方をした。悪気があるのでもなく、深刻に言ったのでもなかった。ただ、自分が英語をしたくない理由を正当化しようとした、明るい言い方であった。そこで私が、ふだんの授業ではなかなか言わないような、英語についての少し突っ込んだ話をしたのだった。
するとその授業中、あの生徒が私のところに真っ直ぐにやってきた。ふだんは説教されても物憂さそうに応対しそうなところであったが、このときは、私に向けて、自説をまくし立てるような言い方で、自分の考えを述べ始めた。
短い休憩時間であり、私は次の教室に行かねばならなかったが、生徒が何かを言いたげなときには、それをまず聞くことを私はモットーとしている。まず何を言いたいのか、知るというわけだ。英語の話ではなかった。しかし、明らかに私の突っ込んだ話に刺激されて言いたくなったに違いなかった。
人間とは、世界とは……彼は、自分が哲学をやりたいのだ、と言った。ははあ、なるほど、そういうことを考えていたのだな、と私は心の中で思った。私は中学の頃には哲学というものを知らなかったが、この生徒は、どこかで哲学というものを知り、自分の考えていることと近い領域だと感じたようなのだ。
冗舌に彼はまくし立てた。不十分で偏った考えには聞こえたが、哲学のテーマにつながるものをところを見たがっているのだ、ということは、私には分かった。それで黙って聞いていたが、時折私は指針を出した。「真理とは何か」と「善く生きるとはどういうことか」、これが根本的な問題なのだ、というように。彼は、「心理ですか」と、やはりまだ的を射たところを考えていないことを暴露してしまったが、しかし私の言うことを心でしっかり受け止めようと努めていることはよく分かった。
これは嘘やポーズではなく、本当に哲学に関心をもっているのだ、と私は確信した。次の授業があるので、そのように考えることを大切にするように、そしてたくさんいろいろなことを学ぶように、とだけ言って、私は去ろうとした。そのとき、少しでも信用してもらえるように、と思って、私の専門は哲学なのだ、と告げた。
すると、いつも少し暗い表情をしていた彼の顔がぱあっと明るくなり、これまで見たことがないほど目を大きく円く見開いたのが分かった。
教室を出ようとする私を、彼が追いかけてきた。また今度時間があったら、ぜひ話をさせてください、と彼は言った。
私はその休み明けに、別の教室への異動が決まっていた。残念ながら、後は講習だけだ。その間に、それほど深くは話せまい。4月から、彼はがっかりするかもしれない。それで、何か本を薦めようか、と考えた。そこで思いついたのが、この池田昌子さんの『14歳からの哲学』であった。それで、確かこれは自分も読んだし、部屋のどこかにあったな、ということを確信しながら、その夜すぐに注文したのだった。
しかし、都合好く渡せるだろうか。学校の休み期間の講習に入り、慌ただしい時間ばかりがあっという間に過ぎてゆく。
講習の最終日、神はその機会を見事に与えてくれた。ふだんないような絶好の機会が訪れたのだ。このぎりぎりの時に。彼が独りでそんなところにいることは見たことがなかったし、私も、休憩の後のほんのわずかな瞬間だった。本を渡すことができた。
律儀に返すのかとか、何かお返しにとか、妙な儀礼ばかり言うが、断っている。これは古本でただ同然だったのだ、と。宗教のことも書いてあるが、池田さん自身が信仰者でないから、宗教について論ずるには限界がある。そのことに触れると、彼は言う。宗教には矛盾があります、と。いやいや、その「矛盾」という指摘そのものが、科学の見方でしかないのだよ、とやんわり諭す。
彼の中で、何かが溶けていった。結局、まずはいろいろなことを学ぶことだ、というのが私の結論だった。彼はそれを受け容れた。講習の最後の授業がそのクラスだったが、私が教室を出るのを彼は待っていた。そして目を輝かせて、これから懸命に勉強します、と宣言するのだった。
これまでの彼は、いつも独りでいて、塾へも親が行けと言うから来ただけだ、などという態度でいた。しかしいまは、明らかに違っていた。本当に、本が嬉しそうだった。よかった。もしかすると、彼の人生に大きな影響を与えたかもしれない。否、そうあってほしい、と願っている。