【メッセージ】復興

2025年3月11日

(エズラ記10章1節〜5節, マルコ16章8節)

恐ろしかったからである。(マルコ16:8)
 
2011年に生まれたメッセージ・復興


1.震災からの復興
 
2011年3月11日は、私にとり、1995年1月17日についで、忘れられない日となりました。
 
苦しみの中にある人の心に寄り添うことが大切かもしれません。子どもたちの心の疵を思いやることも必要です。ですが、私の置かれた立場からは、安易な言葉がけは却って痛みを増してしまうことになるかもしれません。
 
本日は、その「復興」に眼差しを向け、聖書の中での復興と言える事柄を読みとり、与えられた光を共に分かち合いたいと願います。
 
 
古来、大地震も津波も、世界各地で起こりえたことと思われます。問題はそれがどう記録に残るかということで、私たちが知り得るかどうかということになります。誰もいない山の中で木が倒れても、音はしないのです。
 
限られた記録の中で、近代世界を大きく変えた津波をひとつ取り上げることにします。それは、「リスボン津波」と呼ばれるものです。時は1755年11月1日。いわゆる万聖節の日でした。当時は大航海時代。世界の覇者としてスペインと並び称されたポルトガルの首都リスボンが、地震と津波により壊滅しました。推定死者は十万に迫るとも言われますが、これは人口の三分の一ほどであったと見られています。招いた火災が数日間も続き、壮大な建築物も文化的記録も失われました。
 
国王ジョゼ一世はなんとか無事で、そこから復興に努めました。世界初の耐震構造の建築がここに生み出されたとも言われています。しかし、ポルトガルは、日本と比べても面積は四分の一ほどでしかなく、資源に乏しく日本同様加工貿易に頼っていたため、この震災以後産業は十分な復興を果たすことはできませんでした。もはやかつての繁栄を取り戻すことはできず、今日に至っています。
 
しかも、精神的にもダメージを受けました。世界宣教を志した国が、カトリックの大きな祭のその日に震災を受け、廃墟となったのですから、神学者たちもこのことをどう説明するか、苦慮したといいます。「神よ、なぜ?」という問いが繰り返されました。
 
 
東北を中心とするこの震災において、「がんばろう日本」という合い言葉がさかんに飛び交っています。それは、被災者が聞くと苦しい場合があるといいますが、このかけ声はなくなることはありません。それは、被災地以外でも、この日本という国全体の産業や経済において、人々が危機感を覚えていることの現れもあるからでしょう。
 
ここで期待されているのは、「復興」です。「復元」ではありません。復元は、元に戻ることです。全く同じ元に戻ることはできないと分かっています。失ったそのものを取り戻すことはできません。けれども、せめて元のような活気を取り戻すこと、平たく言えば、かつてのような元気を取り戻すことを目ざしています。私たちは「復興」という言葉の中に、そういうことを願っているのではないでしょうか。
 
 
聖書に描かれたイスラエル民族も、復興の経験があります。イスラエルは、大きく二度の滅亡を経験しました。ひとつは、いわゆるバビロン捕囚。もうひとつは、ユダヤ戦争。イエスの教えが広まり始めたそのころ、ユダヤ人の祖国イスラエルは、ローマ帝国によって完全に国としての機能を失うに至ったのです。いわば、国家が歴史上消滅したのでした。
 
神がこの民を救うという言葉を精神的支柱にしてきた民族においては、これはまさに絶望でもありました。リスボンの壊滅を受けてキリスト者の誰もが戸惑ったのと同様、神の約束の言葉が雲散解消したかのように見える出来事でした。
 
しかし、「わが僕ダビデのゆえに」憐れみを持ち続けた神の約束は、決して死んでしまうことはありませんでした。いろいろ問題はあるにせよ、イスラエルは1948年、独立国家としてよみがえります。きっとそうなると信じ、千九百年近くをディアスポラ生活の中で待っていたイスラエル民族の信仰には驚嘆するばかりです。
 
 
2.マルコの復活記事
 
イスラエルはまさに「復興」したのですが、これをイスラエルの「復活」と呼ぶ人もいます。
 
ところが「復活」という言葉は、イエスの復活についての大切な言葉でもあります。
 
 
なにも、イースターでなければ復活の記事を読んではいけない、などというきまりはありません。キリストの十字架と復活は、私たちの信仰の根幹です。それを信仰の中心に燦然と輝かせたのはパウロの功績でもあり、パウロに同行したルカにも強い影響を与えています。
 
本日目を向けてみたいのはマルコです。マルコは、パウロの書簡をどれほど知っていたのか分かりません。パウロ思想とは区別される考え方がうかがえるとされ、少なくともパウロの影響をあまり受けることなく福音書をまとめているように見えます。また、私たちが常に頭に置いておきたいのは、史上初めて「福音書」という形式の文書をマルコが記した、ということです。私は、人類でまだ誰も試みたことのない形式の文学をマルコが著したことに、勇気と驚きを感じざるをえないのです。
 
そのマルコは、イエスの復活についての証言として実に不思議な書き方をしています。マルコより十年、十五年と時を経て、教会の資料がさらに増え整ってきた時期に復活の記事をまとめたマタイやルカは、復活のエピソードをふんだんに盛り込みましたが、マルコの福音書を見る限り、この復活についての具体的な言及は何もない、と言わざるをえません。
 
 
この復活の16章については、古来様々なことが言及されています。つまり、ぷつんと尻切れトンボに終わった形で福音書が終了していることに、信仰者は誰もが首をかしげざるをえなかったのです。もしかすると続きがあったのが紛失したのではないか。マルコに何か事故があって絶筆となったのではないか。様々な想像が尽くされました。どうにも収まりが悪いので、続きを後世の人が書き足しました。明らかに、他の福音書等の記事を読み、それを適度にまとめて付け足している文書が今残されています。それは写本の上からもマルコ当時のものとは認め難いという意味で、現行聖書でもいわば括弧に入れられて、付加と見なされているほどです。
 
マルコ本来の残された復活の記事は、ある意味で不自然です。しかし逆に言えば、だからこそ、つまり不自然であるにせよそのまま残されているという意味で、信頼性があります。ここにある、マルコ伝の最後の言葉、「恐ろしかったからである」(マルコ16:8)の一言を、今重く受け止めたいと思うのです。
 
 
マタイやルカの福音書を知る私たちにとり、確かにこれは「物足りない」の一言に尽きます。しかし、この史上初の文学形式である福音書としてのマルコ伝が出現したとき、これを見た人は、マタイもルカも知りませんでした。彼らは、映画でも見るかのように、ドラマチックに目の前に描かれるシーンを期待する必要はありませんでした。イエスの復活の後、二十年か三十年か経ての編集でしょうか。私たちがたとえば少なくとも1987年の大韓航空機爆破事件が印象に残っている程度に、復活の出来事の記憶は、強い印象が残っていたことでしょう。昔の人のことですから、もっと生き生きした記憶があったかもしれません。
 
マルコが筆を置いたであろう、「恐ろしかったからである」の一言だけでも、弟子たちは十分復活を語ることができたことでしょう。そして、より重視して捉えたいのですが、復活の場面に遭遇して、実際、「恐ろしかった」に違いないと思うのです。
 
 
この目撃者は、女性たちでした。当時、証言者としての資格のない女性によって、この復活の記事が証言されています。証言としては社会的には意味をなさないのです。証言資格のないのですから。女性たちが何をどのように証言しても、価値がないとされていた時代なのです。敢えてたとえてみますが、今幼稚園での事故について、幼児の証言は全面的にその通りだと採用されにくい面があります。そもそもイエスは、そうした女性たちの立場に画期的な価値を与えたことが福音書から分かりますが、マルコも精一杯その女性の復活証言を尊重したはずです。が、文書にするときに、この復活については、「恐ろしかったからである」を以て語るにとどめるのが当然だと思われたという可能性すらあるように思えます。
 
亡くなった人を葬った。三日目の朝そこに行くと墓が空いていて、誰もいなかった。それどころか、神を見た者は死ぬと恐れられていた時代に、天使のような存在を見て復活を告げられた女性が、考えてみると、恐ろしくなかったはずがないでしょう。この「恐ろしかった」には、実にリアリティがあると私は受け止めます。私には、へたに劇的な演出をするよりも、この「恐ろしかった」の一言には、人間の感覚の真実が、確かな証拠として表されているように思われてならないのです。
 
 
3.十字架なくば復活なし
 
今の時代は、この恐怖というものがあまり歓迎されていないように見えます。恐怖の最たるものとしての「死」は、身近なところから切り離され、医療関係者と葬儀業者にすべて任されるようになりました。また、時に、その恐怖を強調して、そこから救われるにはこれしかない、と迫るのが、洗脳の一つの手段ともなっています。詐欺商売やカルト宗教の常套手段です。逃れ場をなくして、これしか残された道がない、と追いつめられると、人はとんでもないことにものめりこんでしまうのです。
 
それほどに、人は恐怖を現実としない、または現実としたくない精神状態で生活しています。安全と平和があたりまえと思いこむ中で生まれ育った人々は、不条理を現実と認めることができません。恐怖のないのが当然としています。少なくとも、できれば恐怖を避けて暮らしたい、と感じています。そのひとつの象徴が「癒し」の流行かもしれません。聖書で「癒し」は病気を治すことですが、今の世の中で「癒し」というのは専ら心の癒し、精神的安らぎのようなものを意味することになっています。
 
たしかに、癒しが必要なケースは存在します。しかし、原因は何かと訊けば、しばしば「ストレス」と答えます。自分の思うとおりにならないことを「ストレス」と呼び、世の中が悪いことにしておいて、癒されない、とねだるケースがかなりあるのです。ストレスとは緊張のことです。ストレスは必要なものです。過度のストレスが問題なのであって、ストレスそのもののない精神というのは、単なる思うがままの世界です。のんびりだらだらするだけの生き方です。「煙草が吸えない場所が増えたからストレスだ、癒されたい」という考え方を、皆さんどう思われますか。
 
 
福音は、一方では、人間が自分の力で救われようと努めることから解放してくれます。「あるがまま、そのままで神の前に出でよ」が基本です。そこから、神は自分が何をしても赦してくれる、と思い始めると、だんだんおかしくなる場合があります。パウロもそういう声に困惑したようで、手紙の中で触れていると思われますが、「聖書が正しい」のではなくて、「聖書を理解する自分が正しい」というように、「ずらし」が起こると、厄介なことになるものです。
 
イエスは、自分をそのままに受け容れてくれる。いつも自分に寄り添ってくれる。聖書の中でも都合のよいところを読み、「心が洗われる」などと安心する。「教会に来るとほっとする」と口にするのは、結構なことではありますが、それがすべてではないでしょう。それではまるで、ストレスも何もない世界です。教会で自分の意見が受け容れられないと、「あの教会はだめだ」と、あちこちの教会をさまよう人も少なからずいるということです。
 
しかし申命記29:19には、自分の頑なな心のままに歩いても自分には平和がある、と心の中で自分を祝福する者の例が挙げられています。恐るべきことに、神はこのような者を決して赦そうとはしないと厳しい対処をすると書かれているのです。
 
 
では、この復活について、何を見失ってはいけないというのでしょう。福音書の復活のメッセージはすばらしい知らせです。しかし、復活したということは、一度死んだという事実を経ていることを忘れてはいけません。明るいと感じるのは、暗さの中から抜け出た時です。十字架という最高に惨い死を迎えたのでなければ、罪は贖われることができず、そして復活が起こることはありませんでした。
 
むしろ弟子たちは、その逆で、当局に狙われる先生たるイエスを心配していました。当然と言えば当然です。イエスが十字架の予告をしたとき、ペテロは、そんなことがあってはなりません、と熱心に意見をぶつけました。イエスは、そのときこういうことを言ったのでした。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならない」(マルコ8:31)と。ペテロには聞こえていなかったのです。イエスは確かに「よみがえらなければならない」と言ったのに、その部分が耳に入っていなかったのです。
 
私たちは、もっと悪い傾向にあります。十字架という経過をできればスルーして、復活という結果だけを喜んでいるとなると、ペテロどころではありません。「あるがままでよい」というのは、自分で自分を救おうともがく必要はない、神に委ねよ、ということです。「あるがままでよい」というのは、神がすべてをなすということです。神が主人であるということです。私たちは、神の前にひれ伏さなければなりません。神の足下にくちづけをしなければなりません。実に「礼拝する」という意味のギリシア語は、神の足もとにひざまずき、口づけをもって服従を示すという言葉のイメージで語られた言葉だったと言われます。その主人たる神の意志により、私たちは癒されるのであって、好き放題にやって楽になるのが癒しなどでは断じてないのです。
 
復活は、十字架あってこその復活。この事実を私たちは忘れてはいけません。
 
 
4.イスラエルの十字架
 
さて、今度は旧約のイスラエルの民の歴史に視点を移します。これはまさに「復興」そのものです。なにしろ、王国が滅亡し、精神的支柱であった神殿は破壊され、知識人を中心とするおもだった人々が遠くバビロンに連行され抑留され、そのようにしていわば国が壊滅したところから、奇蹟的に再び国が再建されたのです。
 
元来、イスラエルは小さな民族でした。アブラハムですら、異教の地から呼び出されたほどの立場でしたが、その子孫は、神に選び出されたという自負とともに、胸を張って生きてゆきました。部族がそれぞれの地域でまとまり、統一国家という形態をとらなかったせいでしょうか。文明という点でも後れをとり、鉄器を操るペリシテ人の圧力を受けるなど周辺諸国に絶えず脅かされていましたが、ダビデにより統一王国が整い、ソロモンの時代は栄華を誇りました。しかし、それはどこかバブル経済のようでもありました。その後王国は北イスラエルと南ユダとに分裂(BC926)。北イスラエルはクーデターの連続で王権が不安定なまま、紀元前722年、アッシリア帝国により滅ぼされました。血族が王位を継いだ南ユダ王国もその後紀元前587年、新バビロニア帝国により滅ぼされました。こうしていわゆるバビロン捕囚が起こったのでした。
 
 
ユダヤ教にとり、このバビロン捕囚は、ただ悲惨というだけで終わるものではありませんでした。ここがイスラエル民族の選民たる所以でしょうか。戦争で敗れた国においては、その信仰する神も滅びるというのが古代の常識でした。勝てなかったのですから、その神が神として君臨し続けることは不可能なのです。ところが、この民族は違いました。自分たちの神は、民族を戦いで勝たせるためだけの神ではない、安易に国内安全を保証し守るだけの飾り物の神ではない、と気づきました。全世界、全宇宙を支配している神なのだ、と自覚したのだと思います。そこで、選ばれたイスラエル民族がどうしてこのように苦しむのか、その意味を問うたことでしょう。私たちの言う旧約聖書の編集も、そうした中で進められていった可能性が高いと思われます。
 
他方、諸行無常とでも言いましょうか、捕囚を敢行した大帝国も空しく滅びてしまいます。世界最強のように豪語したバビロンは、その後ペルシア帝国の支配下に陥ります。ネヘミヤは、ペルシア王クロスに長官として仕える立場でしたが、エルサレムの復興を王に願うと、なんとその願いが叶ったのでした(B538)。クロス王は、祖国帰還を許可します。イスラエルの人々ににとって、たぶんペルシア王クロスは、まるで神の遣いのようでした。イザヤは王のことを「油注がれた者」とまで呼んでいます。
 
しかし、クロス王により許可を受け帰還したものの、神殿再建に携わったゼルバベルと大祭司ヨシュアたち多くの苦労の末ながら、実に貧弱な神殿しか築くことができませんでした。それでもそれは人々の感激を呼ぶものでありました。ただ、まだ城壁は崩壊した状態です。当地の町は、城壁が築かれて初めて一つの独立した町だという構えになるものです。
 
 
さらに数十年の時が流れます。ネヘミヤは、ペルシアにおいてアルタシャスタ王の献酌官たる地位にありました。そのネヘミヤが、祖国イスラエルについての悩みを王に打ち明けたところから、ついに帰還と再建が許されるということになります。願いは言ってみるものです。帰還メンバーのリーダーとして、エルサレムの城壁と門を建築します。このときもまた、捕囚民とならずに現地に住み続けた人々の反対運動を呼んでしまうのです。たしかに、もういなくなった人々がまた急に戻ってきたら、ずっとそこに住み続けていた人々にとっては、迷惑な話であるかもしれません。大きく見ると、これは現代のパレスチナ問題にも通じる構造です。
 
しかしネヘミヤは、いわば強引に城壁工事を続け、七週間半でさしあたり完成します。ネヘミヤは、都市となったエルサレムに計画移住をなしとげ、神殿行事と律法の整備とを急ぎました。この律法の面で、先に帰還していた祭司エズラが活躍します。かつての神殿での祭儀を重んじていた信仰から、律法中心のいわば心の信仰への移行が、ここに始まります。なにしろ昔日のような立派な神殿はありません。なんとか造ったものの、実に貧相な神殿でした。世界史的に見ても、政治的・経済的に貧相な環境の中で、文化が発展することがしばしばあります。このときにもユダヤでは、精神的な面で信仰が成長します。それは、捕囚を通じて、神の御心を問う問いかけの故でもあったことでしょう。
 
捕囚という国家的危機、いえ、言ってしまえば国家の滅亡という絶望的な事態の中で、むしろ精神的に、霊的に、イスラエル民族は強くなりました。殺戮と瓦礫を目の当たりにしました。自分を誇るためにあったような神殿が破壊されたのでした。これはイスラエルの十字架でした。いわば国が死んだのです。この状態から、イスラエルは復興します。物的にはかつてほどにはなりませんでしたが、霊の点では、むしろかつて以上の復興を果たしたと言えるのではないでしょうか。
 
 
5.ネヘミヤによる再契約
 
このイスラエルの復興を、ネヘミヤ書をたどることにより、もう少しだけ丁寧に調べてみることにしましょう。
 
ペルシア王アルタシャスタに仕えていた長官ネヘミヤは、兄弟ハナニから、祖国エルサレムの荒廃ぶりを聞きます。信心深いネヘミヤは、神に祈ります。ついにそれは王への願いとして現れ、復興の許可をと申し出ます。これによりネヘミヤはユダヤの総督として着任し、復興計画を提示します。大方の賛同を得るも、サマリヤのサンバラトなどの派は強く反対します。その妨害に遭いながらも、ネヘミヤはエルサレム再興のために次々と政策を打ち出します。当時人々は貧困に喘いでいたので、利子を禁じたり、抵当に出ていた農地の返還を実現したりして、復興させるのです。
 
工事は比較的短期間に終わります。城壁と門が整備されたことによりエルサレムが都市として機能し始めますが、あいにく人口が不足しています。バビロンからの帰国者の中からエルサレムに住むように招き入れることにより、エルサレムが再び動き始めました。
 
しかし、真の復興はまだこれからです。律法はこういう場合、法としての機能を果たします。法整備は、律法という形でとられました。祭司エズラが律法の書を朗読します。指導者たちには律法の学びが義務とされ、早速定められた仮庵祭を行います。エズラが民衆の総意として、懺悔あるいは悔改めの祈りを捧げます。こうして、イスラエルは復興を果たしました。
 
この後も復興の政治的な動きが記録されているのですが、ここでそれを詳細に負うことはいたしません。ただ、律法の規定を守ることについて、聖書は詳しく記録しています。その中で重要なひとつの政策だけ取り上げましょう。
 
 
それはまず「私たちの娘をこの地の民たちに嫁がせず、また、彼らの娘を私たちの息子にめとらない」(ネヘミヤ10:30)との誓約です。民はモーセの書の朗読を聞くと、「混血の者をみな、イスラエルから取り分けた」(ネヘミヤ13:3)と記されています。そしてネヘミヤ記の最後は、現地の女をめとったユダヤ人がいることに気づいたネヘミヤが、「彼らを詰問してのろい、そのうちの数人を打ち、その毛を引き抜き、彼らを神にかけて誓わせて」(ネヘミヤ13:25)先の誓いの言葉を繰り返します。かなり過激な反応です。そのとき挙げられたのはソロモンの例でした。神に愛されイスラエル全土を治める偉大な王であったソロモンですが、ソロモンが招きあるいは侍らせた外国の女たちにより、やがて異国の神を拝するという罪を犯すに至ったのだと説明し、外国の女をめとることは「不信の罪」であり「大きな悪」(ネヘミヤ13:27)だと断罪します。こうしてネヘミヤは神に対して、「すべての異教的なものから彼らをきよめ」(ネヘミヤ13:30)たと祈り報告します。
 
これがエズラ記になると、祭司エズラの涙の祈りが延々と記されることになりますが、この現地人との結婚のことについても同様に長く詳しく語られることになります。このとき民も涙を流して悔改めます。シェカヌヤという人物の提案をエズラはそのまま受け容れることになるのですが、それはこういうものでした。現地の女性と結婚したことを不信の罪である。しかし、このことについてはイスラエルにまだ望みがある、つまりその事実そのもののゆえにイスラエルが滅びることはない、といいます。いわば悔改めにより、行動を起こすことにより、やり直すことができる、とするのです。そのためには、今神と契約を結び、主からの勧告に従い、外国人の妻とその血を引く子を追い出てなくてはなりません。そしてエズラは「立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください」(エズラ10:4)と呼びかけます。
 
 
エルサレムが復興の歩みを始めようとしています。そのときに、外国人との結婚をすべて解消せよという命令が出されました。ソロモンの事例がひとつの理由ですが、異国の神を招き入れる虞のある可能性を断ち切るというのです。
 
現代的な観点からは、あまりにも横暴で、惨い仕打ちであるかもしれません。士師エフタの娘の場合もそうですが、私たちは、現在の習慣や社会的事情からして不都合な聖書の記事から、どうしても目を背けようとしがちです。私は、イスラエルの律法には、当時としては画期的な福祉的事実もあると思いますが、私たちの目には非常にひどい仕打ちのように映るものも多々あることを認めます。しかしながら、私たちもつい前世紀までは当然のように受け止めていたこともその中にはありますし、また誤解を恐れず言えば、私たちの社会の規定も今後修正されないという保証はありません。
 
むしろ、旧約時代からの律法規定や習慣の中の問題点を、イエスが実に画期的に超克しようとしていたことに、もっと驚いてしかるべきだと理解します。律法規定を新たな視点で捉え、弱者や子ども、そして女性を一人格として認め、社会的に弾かれ虐げられていた人々を大切に扱ったのです。人類は二千年の歴史の中で、このイエスのしたことを見つめつつ、人の幸福や理想を実現しようと努力してきたとさえ言えるでしょう。現代はその一つの実りの時でもあります。私たち人類は、イエスの後に懸命に従おうとしてきたのです。
 
ですから、このエズラたちが実行した措置を、人道的に問題がある、の一言で片づけるのではなくて、ここで何の歩みが一歩進められたのか、見つめる価値があるのではないかと思うのです。
 
 
人の情けがどうであれ、人の経済生活の基盤がどうであれ、断固として唯一なる神に返れ。今、その神と再び契約を結ぼう、というように、ネヘミヤやエズラを通して、神がこのときイスラエルの民に迫った、と見ては如何でしょうか。エルサレムが復興するという出来事は、城壁の建築という基礎的営みがあったものの、さらに、悔い改めて神を信ぜよ、という一点に基づいていたのです。
 
ただこの神にのみすがれ、それがなければ、イスラエルの復興はありえないという点で徹底していたのです。
 
 
6.ガリラヤへ戻れ
 
このような事情を振り返った後に、私たちは再びマルコの福音書に戻ります。
 
復活の朝、女性たちが墓に着いたとき、石がころがしてあったのを見ました。人がこじ開けたのではなく、すでに神の側で事がなされていることを私たちは確認します。墓の中に入ったというのは、いかにも油を塗るという目的に適っているとはいえ、恐ろしさが伴うものだったことでしょう。しかしさらに驚くべきことに、そこに思わぬ存在が現れたのです。「真っ白な長い衣をまとった青年」(マルコ16:5)が、右側に座っていました。右は神の側に立つものの位置です。女たちの驚きを見て青年はまず、「驚いてはいけません」(マルコ16:6)と告げます。その後マタイやルカにおいて、天使が登場するときの常套句のようなものです。青年は、イエスがよみがえったことを告げます。もう墓の中になどいない、と言います。もはや死んだ者の中にイエスを探してはならないのです。神は生きておられます。
 
 
女たちはひとつのことを命じられました。弟子たち就中ペテロに伝えよ、と。第一発見は女性たちに任せつつも、結局のところ弟子たちを動かすために、ペテロを用いることになります。その内容は、「イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そでお会いできます」(マルコ16:7)というものでした。
 
つまり、ガリラヤに戻れ、という命令でした。マルコのほかに、マタイもほぼその通りにこの命令を引き継いでいます。ルカは書いていません。ルカは、ガリラヤを出発してエルサレムへ向かい、そこから福音が世界へ広がるというストーリーを強調したいので、ガリラヤに戻る過程には触れていません。しかしあのヨハネまでもが、復活のイエスをガリラヤに描いています。こうして見ると、おそらく復活のイエスに会うためには、ガリラヤという場所に何か必然性があったと思われます。
 
マルコは、イエスの地上生涯を重く見ている描き方をしています。そこで復活の後にガリラヤに弟子たちを引き戻すのは、弟子たちを、そしてこの福音書の物語の聞き手または読者を、再びガリラヤのスタートに戻ってみよと指示するためではないか、と見ることもできます。復活のイエスの物語をこうして描いたのは、この歩みに、今後のあなたの歩みが重なるためだ、と示しているように私には見えます。ガリラヤに戻れ。地上を歩まれたあのイエスに出会いなさい。そして、イエスに従ってこれから歩んで生きなさい。マルコに描かれた弟子たちは、イエスをちっとも理解しないぼんくらに描かれているのですが、イエスと共に歩むならば、これまでその深い意味に気づかなかった弟子たちも、十字架から復活に至る確実な未来を覚えて、とことん付き従っていけるはずだ、と励ますかのように思えるのです。
 
 
人は誰も、それぞれの十字架を負うと言われます。友だちにも、家族にも理解不可能な十字架を、人は背負っていると思われます。それは人には理解してもらえないかもしれません。でもイエスは知っています。イエスこそ、代わりにその重荷を担ってくれます。確かに、十字架という苦しみではあるでしょう。しかし、もう実は代わって死ぬのだというシナリオが完成しています。すでに贖った、その苦しみも、苦しみの原因たる罪も、神の側では片が付いている、と福音のメッセージは伝えます。罪はもう赦されている、と。しかし、それは罪などどうでもよいのだ、と甘やかしていることではありません。読者が――イエスに出会い、イエスに従おうと心を決めた人々、イエスに味方する者、私たち、そして私が、このイエスに従ってガリラヤからの旅を今から始めるならば、という前提が必要です。新たな命が与えられた。おまえは生まれかわった。これまでがどうであっても、新しい人生が与えられた。それならば、旅をせよ。イエスに従う歩みをせよ。残された地上での歩みの中でそれをおまえが体験するならば、いつか後に、神の定めた「その時」に、復活のイエスが約束した大いなる祝福に与ることになるのだ……。
 
聖書はそのように、復活の記事をガリラヤに、つまり今あなたが、私が置かれたこの場所に連れ戻すのです。その旅には、イエスの愛がありました。イエスが私を見つめるその眼差しがありました。今思えばいつもそこにあった助けでした。確かに神は、「ありのまま、そのままに」人を救うのでした。このような情況の全体を包み込むような形で。
 
 
7.今ここから再び
 
復活が信じられない、という考えがあります。復活などありえない、というのが大方の見方です。科学主義の現代の特徴ではありません。古来そうだったはずです。復活を願うような葬送儀礼は各地に見られますが、実際に復活したという話はほかにありません。だから、キリスト教はおとぎ話であり、信じられない、というのが、信仰に入るときの大きな壁となっているともいいます。
 
しかし、私は確信をもって言います。もし、復活がメカニズムとして説明されたとしたら、誰も信じることはないだろう、と。私たちは、石油からプラスチックができることを、信じるということをしません。それは事実なのですから。誰がやってもその方法通りに試みれば、科学的事実としてそれはできるでしょう。自分で実験することは楽しいかもしれませんが、そこには新しい経験はありません。知識の増大もありません。
 
復活の記事により、私たちはイエスと出会う経験をします。亡くなった人に夢で出会ったと思う人に、それは幻想だと否定することはできません。本の中で偉人と出会い、生き方を変えられるということが起こったとき、その出会いを誰も否定することはできません。私たちは、何よりもこのイエスに「出会った」という確かな体験をしているのではないでしょうか。
 
 
イエスに出会うためには、華々しいエルサレムにいる必要はない、むしろガリラヤに戻れ。マルコは、ガリラヤの風の中にイエスを探します。神の教えを告げると口にするような学者たちから相手にされないような立場の人々、罪のせいだと突き放されたまま病にうち沈む人々のところに入り、手を触れて癒したあのイエスと出会うべきだ、そして従うように、と読者を誘います。
 
もしかしたら、このときエルサレムとは、組織づけられ始めていた教会のことを指しているかもしれません。パウロの動きを通じて各地にも築かれ始めた教会組織。伝えられる教義や儀式もいくらかかたまってきたでしょう。そのためにまた意見の合わないところが現れ、また、ユダヤでは思いも寄らなかった習慣が生まれたり、あるいは派閥ができたりもしていたでしょう。パウロが伝えている通りです。礼拝が、集会所が調ってきていたかもしれません。迫害の厳しさもありましたが、支え合う仲間もありました。
 
しかし、マルコは問いかけます。「あなた自身はどうですか?」と。
 
 
ひとりで神に祈るとき、ひとりで聖書を開くとき、あるいはひとりで、クリスチャンでない人々と交わるとき。
 
自分は駄目だ――そう落ち込むことがあるかと思います。
 
いや、と自分を奮い立たせて、逆に、まあいいか、と自分に甘くしてしまうことがあるかもしれません。ソロモンはそうやって生ぬるい信仰に霊が鈍らされてゆき、異教の神々を神殿に招くことになりました。
 
それでネヘミヤとエズラは、異邦人の女との結婚を破棄させました。このことを、とんでもない人権無視だ、などと批判するだけの現代人は、忘れています。今自分が、異邦人と結婚しているという事実に。それに気づかないほど霊が鈍くなっています。異教の習慣にどっぷり浸かりながら、神ならぬものを生活の中に招き入れ、さらには神ならぬ偶像に仕えている毎日ではないでしょうか。それとも、富に、マモンに仕えていないでしょうか。いやいや、生活のためだから、日本では行事の一部だから、仕方のないことだよ、と自分で自分を許してしまってはいないでしょうか。
 
ネヘミヤによる粛正は、厳しいものでした。しかしその粛正がなければ、ユダヤ教の復興はありませんでした。ということは、メシヤ待望も起こらなかったということであり、キリストが降誕する背景が成立しなかったということになります。キリストの救いが人類にもたらされなかったかもしれません。
 
自分の甘さを許すのは、自分ではありません。赦す権威があるのは、ただ神おひとりです。御子キリストの惨いいけにえの死を通して、私たちの甘さすら、買い取られたのです。罪が贖われたのです。
 
 
ネヘミヤは、今ここからやり直すことができる、と宣言した。そう捉えたいのです。改めて、神との契約を結びなさい、いわば再契約しなさい、そう民に告げたのです。ここから、やり直しなさい、と。やり直すことができるのだから、と。
 
この契約は、真の救い主イエスに至って、十字架と復活の福音へと展開しました。そのことをマルコは、人類史上初めての「福音書」という文学的形式の中で、自分に与えられた願いに沿いつつ描きました。復活の記事を、決してセンセーショナルには描かないという形で。映画で、直接どぎついシーンを描かずに観客の想像の中で場面を進展する手法があります。マルコはそのように、復活そのものをどぎつく描くことをせず、永遠の主なるイエスとの出会いへと読者を誘うようにしたのだと思いたいのです。ただ「ガリラヤへ戻れ」とだけ告げました。そこでイエスに会えるから、と。
 
聖書は問いかけています。「あなたのガリラヤは、どこですか」と。
 
最初にイエスに出会い、招かれたのはどこですか。復活のイエスを代弁する青年の天使は、そこに戻れば会えます、と告げました。私たちも、ペテロと共に思い描きましょう。失敗だらけであっても、叱られてばかりであっても、あのイエスとの生き生きとした交わりがあったあのとき、あの場所に戻るのです。確かに契約を結んだ、あの祭壇に立ち帰るのです。
 
 
この決意を、私たちは誰かに相談したり、宣言したりする必要はありません。墓を訪ねたあの女性たちは、誰にもこの話を告げなかった、と言っているではありませんか。弟子とペテロに知らせよ、という命令はどうなったか、そんなことを気にする必要はありません。それはまた別の証しという問題です。マルコは、「恐ろしかった」と記しています。「おそれる」には、「恐れる」と「畏れる」の二つの意味が含まれています。女性たちは、恐怖に震えただけではないと思います。神に畏怖の念を抱いたのもあったと思うのです。
 
崩れた祭壇を再興したネヘミヤたちの営みは、私たちのなすべき課題としても与えられています。壊れた祭壇、祈りの基盤を修復しましょう。神を畏れ、ガリラヤへ向かいましょう。そうしてマルコに従って、福音書の冒頭に戻ったとき、私たちはそこにこう書かれてあるのを見ます。「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」(マルコ1:1)と。ここから、福音がはじまる、と書かれています。どんな惨めな思いに包まれていたとしても、復活のイエスに会うためにガリラヤに戻ったとき、そこからまた福音は始まるのです。立ち直ることができるのです。荒廃した魂の復興を願いましょう。復活のイエスに会って、復興を果たしましょう。
 
 
ネヘミヤが苦労して復興したエルサレムの神殿でしたが、イエスの時代の後、このマルコの福音書が書かれた頃とそう遠くない時期に、それは再びローマ軍の手により壊滅させられてしまいました。しかし、イエスの福音は、やがて異邦人世界に伝えられ、世界全体にこの福音が行き届くようになってゆきました。幾度エルサレムが滅びようとも、また復興します。滅んだかのように見えても、いのちのことばは永遠です。何度駄目になったように見えても、また復興します。イエスは、永遠に壊れることも、滅びることもない祭壇です。その献げもの、いけにえの小羊の贖いの業は消え去ることがありません。
 
聖書の言葉を信じるというのは、そういうことであると、私は受け止めています。
 
 
どうぞ、復活を信じて復興がなされていくそのように、瓦解した港町が、放射能に生気をなくした町が、必ずや復興するのだという希望とともに再び建て上げられていくことができますように。祈りつつ見守る私たちが、その働きを妨げることが、できるかぎり、ありませんように。



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