言葉を文字にすること
2025年3月3日

『新沖縄文学96号』が発行された。32年ぶりの復刊であるという。このような「文化と思想の総合誌」があったことを、迂闊なことに私は知らなかった。日本に「復帰」する以前からの発行で、沖縄の論壇をリードした雑誌であるという。1993年を最後に途絶えていたが、それがいま蘇ったのだった。
この雑誌そのものの意義については、私は深くは知るところはない。ただ、読んでいる中で心に強く留まったことがあり、そこだけをいまここで見つめてみようと思う。
文芸作品もいくつか掲載されているのだが、沖縄における話には、現地の言葉で会話がなされる場面が多々ある。沖縄の言葉がひらがなで大きく書かれていて、それに日本語がふりがなで付けられている。地の文では、日本語に沖縄の言葉がふりがなで小さくついている場合もある。いま、その「ふりがな」だけをここに一つ例として拾ってみる。
「うんねーんうくとぅば、ちかいぬくとぅんねんなてぃや」
本文のほうは、「そういう言葉、使うことも無くなったな」であるが、九州の私にも全く分からない。というよりも、これはひらがなで書かれていても、外来語をカタカナで書いたのと変わらない感覚である。沖縄の言葉の雰囲気を伝える効果があることは間違いない。
大和言葉で本文が書かれているのはありがたい配慮だが、沖縄の言葉はひらがなではあれど、殆ど外来語である。沖縄の言葉が、そのように表されている。果たしてそれでいいのだろうか、と疑問符を呈する声がこの本の中にあった。どうしてひらがななのか。その背景には、沖縄の言葉を表す文字がない、という事態がある、というのだ。
標準的な日本語に慣れている身からすれば、意味を解しづらいひらがなが並んでいるのはを見ると、外国語を日本の文字でただ表しているようであるのは確かである。そして、沖縄のこころを、日本の文字で綴ることができているのか、そんなことまで問いたくなってくる。ひらがなで発音通り表してそれで済むのか、という点もあるし、日本語で表したものがそのこころを本当に表しているのか、という点も、問題であるかもしれない。人それぞれ、という感覚もあるだろうし、集団的に、そうであるかもしれない。
いまここで、沖縄の文化を論じようなどとは考えていない。私には論じる力がない。新約聖書をギリシア語で遺した人々に思いを馳せようとしているだけである。もちろん、それを学問的に論じる能力も、私にはない。私たちが考えるきっかけになれば、と思っているだけである。そして、ギリシア語で受け止めた私たちが、そのギリシア語をどのように解するとよいのだろうか、ということも、少し考えてみるきっかけにしたい、ということである。
イエスが何語を話したか。概ね、当時の民衆の言語であったアラム語であっただろう、と言われている。当時の政治や文化の状況で、ヘブライ語は古語のようであったと言われ、文化人は当時のギリシア語を使った、と考えられている。しかし一般人の生活は、ヘブライ語の現代版のような、アラム語だった、と聞いている。イエスは、普通の人々に話をしているから、気取った言語を使ったはずがない、というのだ。
それが、ギリシア語という形で遺された。新約聖書はすべてそうである。ギリシア語のうまい人物もいれば、たどたどしい人物もいるようだ。果たしてそこで選ばれたギリシア語の単語や時制その他が、本当に伝えたいことからして適切出会ったのかどうか、それさえもよく分からない事態がここに起こっている。
また、そのギリシア語自体、古代ギリシア語から変形していたものでもあるし、他方古代からの伝統を保っている部分もあるのかどうか、などを考えると、私たちがギリシア語を適切に学んで理解できているのかどうか、それも分からない。
大和言葉なる日本語においてでさえ、古語と現代語とでは意味が異なることもあるし、同じ語がそれぞれの意味で使い分けられているということもある。「適当」という語などは、全く反対の意味を以て使われているし、「自分」という語が誰を指すのかも分からない場合がある。聖書の解釈を営んでいる方々は、苦労もあるだろうが、それはやりがいのある仕事であるだろう。
言葉というものは、元来「話す・聞く」ものであって、「書く・読む」ことは特殊な使い方であったという。まして、殆どすべての人が「書く・読む」のレベルになったのは、極めて最近のことである。その文化は、必ずしも完成し固定したものだとは言えないのだろう。言葉を文字にすることは、未完成極まりない分野なのである。
その文字から、背後にある「こころ」を読み取るというのは、依然として不完全なものである。読み取る側の「こころ」にも基づくのであろう。「こころ」と「こころ」とが出会う場として、文字が働くことを願わないではいられない。