(民数記9:15-23, ヘブライ11:8-10)
イスラエルの人々は主の命によって進み、主の命によって宿営した。(民数記9:18)
◆方違え
大河ドラマ「光る君へ」は、世間的にも好評でした。妻も気に入っていました。最初、平安時代の時代劇などどうなるのか、と案じていた上、現代語で話す平安貴族の姿に、最初違和感を覚えました。室町時代後半くらいからだと、言語的にはさほど抵抗は感じないはずなのですが、さすがに平安貴族が現代語を話すというのには、驚きました。でも、すぐに慣れました。不思議です。
高校の古文の授業で知った、平安時代の習慣に、「方違え」というものがありました。陰陽道でしょうか、進む方角の吉凶に関する考え方です。悪い方角に向かう必要があったら、一旦別の方角に進み、その忌むべき方角ではない方角に進んで目的地に辿り着けるようにするというのです。
古代人の迷信だ、と現代人からは見えるかもしれません。しかし、今日は今年の節分で、関西地方で始まったという「恵方まるかじり」を、現代人も楽しんでいます。土用のウナギのようなものでしょうが、方角の吉凶を考える点では、「方違え」と特に違うことはないように見えます。
「方違え」のほうは、貴族の趣味だか信仰だか知れない、呑気な話に見えるかもしれません。庶民の中にも、気にする者がいたかもしれませんが、多分に、やはり身分のある人々の間の問題だったのではないでしょうか。
「方違え」を理由に、今夜は君のところに来たんだ、などと潜り込むようなことも、きっとあったでしょう。私なら、そういう方便で、きっと会いに行くと思います。それともまた、浮気の言い訳に、「方違え」のせいにするようなことも、したかもしれません。
なんでも『紫式部集』には、たとえば「方違へに渡りたる人のなまおぼおぼしきことありて帰りにけるつとめて、朝顔の花をやるとて」の詞書の和歌があるのだとか。「詞書」というのは、和歌の前に添えられた短い説明文のようなものです。歌の背景や事情を説明します。そしてその後に、「おぼつかなそれかあらぬか明けぐれの 空おぼれする朝顔の花」という和歌が書かれているそうです。「どうもはっきりしませんね。あなただったのでしょうか。それとも違ったのでしょうか。明け方の暗がりのなかで、顔をお見せになりながら、誰ともわからぬ振りをされて」というような意味なのだそうです。これは式部を求めてきた男ではなくて、為時の娘の寝室に来た男を目撃したことを歌っています。
◆イスラエルの方違え
日本の風習だけの問題かと思いましたが、考えてみると、これが聖書の中にも似たような現象があることを思い出しました。詳しい背景は説明を省略しますが、モアブの王バラクに招かれて行くバラムでしたが、乗っていたろばが、道を逸れてしまった話です。ろばが口を利くという、世にも珍しい場面ですが、ろばには見えたのです。主の御使いが行く手を阻んでいたことを。バラムは、結局バラム王のところに行くのですが、この事件で、バラムは行く目的を大きく変えることになりました。
イスラエルの歴史は、アブラハムやヤコブといった父祖を有しますが、そこには伝説の色が濃いように見えます。それに対して、エジプトを出て、カナンの地を目指す旅をした、というのは、何らかの歴史を背景にしていることが有力視されるに値する内容となっています。実際、後のイスラエル民族は、この出エジプトの出来事を、非常に大きく扱います。ここでは、民数記9章からお読みします。
15:幕屋を建てた日、証しの天幕である幕屋を雲が覆った。それは夕方になると幕屋を包む火のように見え、朝まで続いた。
16:常にそのようにあって、雲は幕屋を覆い、夜は火のように見えた。
17:雲が天幕から離れて昇ると、それと共にイスラエルの人々は進み、雲が一つの場所にとどまると、イスラエルの人々はそこに宿営した。
18:イスラエルの人々は主の命によって進み、主の命によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営し続けた。
19:雲が何日もの間、幕屋の上にとどまり続けることがあっても、イスラエルの人々は主への務めを守り、進まなかった。
20:雲が幕屋の上に数日の間しかとどまらないこともあったが、彼らは主の命によって宿営し、主の命によって進んだ。
21:雲が夕方から朝までとどまるときも、朝になって雲が昇れば、彼らは進んだ。昼であれ、夜であれ、雲が昇れば、彼らは進んだ。
22:二日でも、一か月でも、何日でも、雲が幕屋の上にあって、その上にとどまり続けるかぎり、イスラエルの人々は宿営したまま、進まなかった。雲が昇れば、彼らは進んだ。
23:彼らは主の命によって宿営し、主の命によって進み、モーセを通して示された主の命によって主への務めを守った。
近年、このイスラエル民族の脱出が果たして史実であるかどうか、研究が展開しています。史実である、という証拠が見つかったという報告はありませんが、エジプトの記録に、イスラエル人の存在がある、と指摘する学者がいます。ただ、これだけのスペクタクルは、私たちに伝えられていそのままに起こったかどうかは、想像しにくいことでしょう。
中には、モーセの存在すら疑わしい、という学者もいるのですが、何かしら民族のリーダーがいたと想定することには、問題はないとすべきでしょう。問題は、ここに描かれた、旅の一行の進み方のルールです。イスラエルの人々が、あるときに進み、あるときに留まって宿営します。「宿営」というのは、どうしても軍隊用語のように聞こえて仕方がありません。兵が住まうところを宿営と言います。どうやら、幕を張ること、つまりテントを張って住まうところを確保することについて、そのような表現を用いたようです。
モーセの書によると、エジプトを出て、約束の地に入るまでには、40年という月日を要しました。距離としてはそれほどかかるものではなかったのですが、あれこれと方向を変え、また困難を避けて進むために、40年かかったとされています。その間、一定期間は安全な一箇所に留まって、気候や情況を見ながらまた進んだ、と思われますから、「宿営」というのも肯けるものです。
モーセというリーダーへは、神が直接声をかけました。モーセを通じて、神の意志は民に報告されます。神は、民の不平に対して時に怒りながらも、飲食についてよく面倒を見てくれました。
◆神の命ずるところ
しかしまた、モーセという人物像に対しては、私たち現代人からして、問題を感じることもあります。
モーセが山に籠もり、十戒の板をもらう間、待ちきれない民は、アロンに神々の像を造ってくれと願います。金の子牛の象ができると、人々は喜びのあまり踊り狂うほどになりました。山を降りてきたモーセがこの光景を見て怒り、偶像にとち狂った者たちに制裁を下します。祭司に仕える立場のレビ人に向けて、こう命ずるのでした。
「イスラエルの神、主はこう言われる。『おのおのその剣を腰に帯び、宿営の門から門まで行き巡り、自分の兄弟、友人、隣人を殺せ。』」(出エジプト32:27)
正気の沙汰ではありません。この日、三千人が死んだと聖書は告げています。そのことでモーセはこうも言います。
「今日、あなたがたはおのおの自分の息子や兄弟を犠牲にしても、主に仕える者になった。それゆえ、今日あなたがたに祝福が与えられる。」(32:29)
また、モーセに逆らった者たちが割れた地に呑み込まれてゆくような事件もありました。クリスチャンは、こうした出来事を、信仰する者が勝つという、どこか清々しい物語として受け取るのが普通ですが、私は時に、嘔気を呼ぶような話だと思うことがあります。モーセの信仰に従わない者は、殺されても構わない、というように聞こえるからです。
主なる神との契約は、さしあたりモーセのものでした。それを、モーセが実力行使をすることによって、民全員がそれを信仰するように強要してゆく経過が書かれているようにも見えるのです。物語は、こうしてイスラエルの民が、神の民となってゆくことを描きます。
以後、神の命令によって、イスラエルの歴史が刻まれてゆきます。
18:イスラエルの人々は主の命によって進み、主の命によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営し続けた。
主の「命」は「いのち」とは読みません。「めい」です。「命令」のことです。そもそもこの「命」という漢字は、元来「命令」の意味でした。漢字自体、人が跪いている姿で、神の声を聞いている様子をかたどっている、と推測されています。その意味では、聖書において神の言葉を聞くことをよく表している、と考えることもできます。私たちの「いのち」もまた、神の言葉として与えられるものだ、という捉え方も、実に適切です。
今日開かれた民数記から、私たちが聴くべきことは、結論としては明らかです。神が命じるところに従って行動せよ、ということです。これに尽きます。しかし、これは、もし他人に対して突きつけるならば、人の心を操るために悪用することにもなります。カルト宗教の得意手段ですし、一般の教会でも警戒すべきです。ワンマン牧師や、権威ある学者が、教会を自在に操ることはよくあることなのです。
私たちは、神の意に任せようという信仰を推奨されます。しかし、自身の判断力が問われる場面もあります。どうそれらを考えか、難しい面があります。繰り返しますが、他人に対して威圧的にこのような言い方をしてくることは、権力のある立場にいれば、誰にでもあり得ることですから、くれぐれも警戒を怠らないようにしてください。
◆結婚相手
たとえば、カルト宗教のみならず、一般的な姿を示す教会でも、結婚相手について、神の心を仄めかしながら勧める、ということはわりとありそうです。そうでなくても、若いクリスチャンは、結婚相手について、思い悩むことがあります。「この人は、神の御心に沿う人なのでしょうか」と問うのです。
堅い信仰を掲げる教会では、そもそも自分の行動について、特に何か選択をする必要があるときには、まず祈るようにと勧めます。職業選択のような大きな節目についてはもちろんのこと、日常の小さな選択についても、祈って神の御心を問うようにしなさい、と教えのです。尤も最近は、そのような教会は少なくなったかもしれません。
けれども、信仰の理には適っています。あらゆる場面に神は働くのであり、あらゆる場面に祈りが必要だからです。神の御心を問う祈りというものが、昔あったなあ、とお思いの方は、ぜひこの機会に、その信仰に立ち戻ってみては如何でしょう。
それは、私よりもさらに上の世代は、もっと厳しく指導されていたのだろうと思います。明治期などは、祈りを止めたら血が噴き出すほどの、真剣な祈りがあったのではないか、とも想像します。少なくとも、そのように指導していた牧師がいたという話は、よく耳にします。
真面目な信仰の姿勢ではあるのですが、ある牧師から聞いた次のような話があります。聖書の福音を説き、信仰を教える。そして献金を献げるという信仰生活を送っていたある人が、その後信仰をやめたと言い、献金してきた金を返せ、と言ってきたのだそうです。もちろん、過度な献金を求めたわけではありませんし、いくら払えと決めたわけでもありません。しかしその人にとっては、自分は騙された、と思ったのだそうです。
それについての事の顛末は知りませんが、他人の人生に責任を担うようなことは、私たちの誰もがそう軽々しく言えないのは確かです。お見合いの世話をした人が、後に二人が離婚するようなことになると、ずいぶんと心を痛めることになるでしょう。キリスト者の「結婚」に於いては、神の御心というものが介在しながら、よろしくない結果に向かうこともあり得るだろうと思います。
また、神の御心を求めるということは、人生を大きく変えることになる場合もあります。神に結婚を願って祈っている女性がいました。幾らか年齢の問題もあったので、一定の時間を決めて祈っていたのかもしれません。しかし、結婚話はなかなか現れませんでした。そのとき、何か誓いがあったのかどうか分かりませんが、それを神の召命として受け止め、献身して牧師となる道を進むことになりました。
モーセに限らず幾人かが、主の声を聞いた、と聖書に書かれている例があります。どのような声を聞いたのは、文面だけでは分かりません。神からの声を、私たちは聞くでしょうか。それは音声でないかもしれません。しかしまた、ただの自分の心の中の自分の声を、神の声だ、と言うのも、なんだか詐称したみたいで気が進みません。
神は、霊によって語りかける、とも考えられます。中には、そんな神の声などない、と決めつけ、信じない人もいますが、その人がもしそういう体験をしたのであれば、そのようなことは言わないだろうと思います。要するに経験がないから信じないのであって、それも尤もなことです。けれども、神の声は、確かに存在します。私はそれを経験していますし、聖書の中にも、そのような例は枚挙に暇がありません。
◆聖書によらないタイプ
かと思えば、いかに教会の「牧師」として勤務していたとしていも、そうした神の声の経験とは無縁の人も、現実にいます。そうであっても、聖書をよく学び、人々に信仰を勧める人はいるでしょう。パウロのライバルのようであったアポロのように、聖霊は受けていなくても、聖書の議論に巧みな人がいたら、神のために役立つ存在であったかもしれません。
しかし、残念ですが、人格的にも人間的にも、どうにも信用できない「牧師」がいるのも確かです。そうした人を幾人か見てきましたが、精神的な病気の人物については、あまり悪く言うつもりはありません。その教会の人は困惑しているし、互いに不幸ではあります。解決が難しいのはいろいろ大変だと思いますが、いまそのことを取り上げようとしているのではありません。
ただ、こうした例はよくない、という戒めとして、病気とは関係のないある実例を挙げたいと思います。その人のしてきたことは、幾重にも問題の出来事であったのですが、それを逐一ご紹介することは控えます。あるひとつの場面だけ、信仰の問題として取り上げることにします。
その「牧師」は、突然牧師職を辞することを宣言しました。そして田舎と言っては失礼ですが、牧師のいない教会に行くのだと告げました。あまり人のいないところです。いまの教会は、そのためにその後慌てて次の人物を探すことになりましたが、すぐには見つからず、1年後にまたとんでもない人物を据えてしまうことになるのでしたが、ここではその辞めるときの話に絞ります。
自由な語らいのできる場がありました。そのときその「牧師」に私は、あまり意図もなく、自然にあたりまえのこととして尋ねました。「牧師を辞めて小さな教会に行くとのことは、どういう導きで決めたのですか。たとえばどの聖書の言葉によって。」私の中では、大きな決断をするときには、牧師という人はどなたも、その道を決めるために与えられた聖書の言葉を、発表と同時に語るのが当然でしたが、このとき私は、それを聞きそびれていたのです。
その人は渋い顔をして少し考えてから答えました。そんなものはないのだ、と。流石に少しばつが悪そうな顔をしていましたが、逆に、いまどきそんな夢みたいな質問をする人がいるなど信じられない、というふうにも見えました。その教会では、このような信仰を、どうやら持ち合わせていないらしいのです。この「牧師」が、そのような教会をつくってきてしまっていたのです。
元国語の教師だということで、説明能力はあるため、聖書の救いは話せなくても、聖書の説明は巧かったのでしょう。このときも、説明の義務は果たさなければならないと考えていたようで、この後、極めて人間的な動機の説明はしてくれました。年金が出るので、教会からの報酬がなくても大丈夫になるから、教会員の少ない田舎で「牧師」をしたい、ということでした。
とにかく、そうした選択をする場合に、聖書の言葉は微塵も関係していない、ということでした。私はまず呆れました。そして、このようなことを信仰だと信徒は教えられて、教会生活をしていたのだ、と悲しくなりました。それに慣らされている人たちには、私のことは風変わりに見えたことでしょうが、私は、ここには命がない、という姿をまざまざと見せつけられた思いでした。
◆アブラムの出発
しかし、聖書を見る限り、出発するにも留まるにも、神の言葉がそれを決める、というように見えます。先の民数記がそれを示していました。他にも、印象的な出発があります。信仰の父アブラハムです。
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれた地と親族、父の家を離れ/私が示す地に行きなさい。(創世記12:1)
この言葉は、神の召命を受けて献身の道を進むときの証しで、時折聞かれます。人間の計算だけで動くあの「牧師」とは異なり、神の声を求めてそれを聞き、神の命に従おうとする献身者は、少なくとも私の周りでは、これが当たり前でした。
ところで「アブラム」というのは、後に呼ばれる「アブラハム」という名の、元の名前です。創世記17章で「アブラハム」と呼ばれることが神から告げられるまでは、その名はずっと「アブラム」と呼ばれていました。アブラハムの物語はあれこれと長いので、今日は、これを要領よくまとめた、ヘブライ書11章をお開きしました。そこでは「アブラハム」と書かれてあります。
そもそもヘブライ書というのは、各地のユダヤ人へ向けて送られた文書だ、と言われています。つまりユダヤ文化にどっぷりと浸かっていた人々へ向けて、イエス・キリストの信仰について語ったものと理解されています。ルカの文書は、ユダヤ人ではない異邦人のために綴ったものと見られていますが、ヘブライ書は、ユダヤの人に向けて、キリストの救いを確かなものにしようと書かれたと考えられます。
創世記のアブラムの物語を、イエス・キリストの出来事に関わるものとして筆者は語りたいわけです。ヘブライ書のこの辺りは、「信仰者の列伝」とも言われ、旧約聖書の登場人物を並べ、それぞれが「信仰」によって生きていたことを想起させます。そこには、アブラハムの出発のことが、このように書かれていました。
8:信仰によって、アブラハムは、自分が受け継ぐことになる土地に出て行くように召されたとき、これに従い、行く先を知らずに出て行きました。
9:信仰によって、アブラハムは、他国人として約束の地に寄留し、同じ約束を共に受け継ぐイサク、ヤコブと共に幕屋に住みました。
10:アブラハムは、堅固な土台の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し、建設されたのは、神です。
アブラハムは「出て行くように召された」のでした。そのとき、「行く先を知らずに出て行きました」と明記されています。このときの「信仰によって」はこの列伝における枕詞みたいなもので、それぞれのキャラクターが、信仰によって生きて働いていたことを証言するために用いられていたものです。
新しい出発の歩みは、神が与えるものでした。神が導くものでしたし、人はその神に従って出て行くものだ、と教えていました。
◆信仰によって
ヘブライ書の列伝には、「信仰によって」という言葉が並んでいる、と申しました。新約の立場から旧約を見ると、この「信仰によって」という言葉で説明することが適切であったのです。しかし、旧約聖書を見ると、そこには不思議なことに「信仰」という言葉が、少なくとも訳語の上ではあまりありません。
詩編には、五度ありました。イザヤ書とハバクク書に、それぞれ一度ずつ見られました。特にハバクク書は、パウロが好んで引用した、あの有名な句があります。
見よ、高慢な者を。/その心は正しくない。/しかし、正しき人はその信仰によって生きる。(ハバクク2:4)
少なくとも新共同訳聖書には、旧約聖書にある「信仰」の語は、この数例しかありません。新しい聖書協会共同訳聖書では、驚くことに、旧約聖書にはこのハバクク書の一箇所しか、「信仰」という訳語は残っていませんでした。
旧約聖書の時代には、「信仰」ということは誰も言わなかったようです。つまり、そこには「信仰」というものがなかったのだ――などと、早合点しないでください。
たとえば聖書には、「神の存在証明」がどこにもありません。ギリシア思想などを踏まえて、後に中世から近代にかけて盛んに論じられた、「神の存在証明」が全くないのです。これは、神の存在を証明することができなかったからでしょうか。そんなことはありません。神の存在は、わざわざ証明などする必要がなかったのです。当たり前すぎて、証明などということを、誰も必要とは考えなかったのです。
空気があるのは当たり前で、それを説明しようなどとは、普通誰も考えません。当たり前のことは、取り立てて言う必要が日常的にないからです。この点は、よく弁えておく必要があります。時折、いるのです。聖書には何々ということが書かれていないから、そういう考え方がないのだ、と鬼の首を取ったように説明する学者が。考え方がないから書かなかった、ということも確かにあり得るでしょうが、必ずしもそうなっているとは限らないわけです。当たり前すぎて、書く必要がないから書いていない、ということが、聖書の世界ではむしろ常識的だった、とも思われるのです。
日記に朝食のメニューを記録していなかったから、朝食を取らなかったことになるのでしょうか。聖書でイエスには鼻があると書かれていないから、イエスには鼻がなかったのでしょうか。
しかし「信仰」という訳語は、新約聖書には何百とあります。新共同訳聖書では239節にわたり、「信仰」という語が使われていました。イエスもたくさん口にしています。旧約では「信仰」と言わなくても当たり前だったことが、新約の時代になると、必ずしも当たり前ではなくなったのでしょうか。そうです。イエス・キリストの信仰が、これから伝えられなければならなくなったのです。イエス・キリストを信じる者たちは、信仰を意識しなければならなくなったのです。
8:信仰によって、アブラハムは、自分が受け継ぐことになる土地に出て行くように召されたとき、これに従い、行く先を知らずに出て行きました。
「出て行く」ことが、ここからは強調されます。でも、本当はそこよりも、「信仰」こそが、ここで伝えようとしている中心だったのです。その「信仰」は、旧約聖書では言葉としてわざわざ出す必要がないほどに、当たり前のものでした。そこで本日開いた、あの民数記の言葉をもう一度最後に聞きましょう。
18:イスラエルの人々は主の命によって進み、主の命によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営し続けた。
進むにせよ、留まるにせよ、信仰者は、神の御顔を仰いでいました。さも当然のこととして、つまり私たちが「信仰」と意識しなければならないことではあっても、イスラエルの歴史の中では当たり前のこととして、進むときも留まるときも、神の言葉を受けていたのです。
私たちの信仰のスタートには、きっとそれがあったはずです。いつしか忘れてしまっていたとしたら、いまここで取り戻そうではありませんか。今日は節分です。季節を分ける日です。明日から地球は、春のゾーンに入ります。そう、明日は立春。旧暦では一年の初めの日でした。すでにどこかに置き忘れてきた、今年新しい年の決意や思いというものを、立春にあたり、改めて掲げようではありませんか。そして、春の始まりに、神の言葉を受けて新たな出発をするのです。主の言葉によって。イエス・キリストの信仰によって。