【メッセージ】ピンからキリまで
2025年1月19日

(イザヤ44:6-8, ヨハネ17:3)
イスラエルの王なる主
イスラエルを贖う方、万軍の主はこう言われる。
私は初めであり、終わりである。
私のほかに神はいない。(イザヤ44:6)
◆ピンキリ
すでにお屠蘇気分は抜けているとは思います。正月は、しっとりとしたテレビ番組を期待したいと思いました。というのも、どの局を見ても、「お笑い」の賑やかな声が飛び交うことが多く、お好きな方はよいのですが、私のように辟易する人もいることと思います。「いかにも」という「笑い」の押しつけには、とても笑えないのが実情です。
とはいえ、芸人たちにとっては、笑わせてナンボですから、それはそれで必死なのでしょう。言葉の妙を教えてくれるスタイルの漫才がよかったな、と思う昨今ですが、独り語りの中にも味わい深いものを見ることがあります。落語は優れた話術だと感心しますが、漫談のようなものも、引き込まれることはあります。
コンビやグループとは違い、一人で語ると、観客とのやりとりが味となります。これは授業と似たところがある、と気づいたら、少し親しみも湧いてきました。そういう人のことを、「ピン芸人」と呼ぶのだそうですね。そういう呼び方は、もう四半世紀も前から一般的になってきたそうですが、思い起こせば、江戸家猫八からケーシー高峰、牧伸二といった人も、そうだったと言えるのでしょう。
「ピン芸人」の「ピン」というのは、「一人」を表すのだといいます。昔から、「ピンからキリまで」という言葉がありました。多分元々は「1から10まで」のような意味をさす言葉だったのでしょうが、「最高のものから最低のものまで」と、価値を示すようになりました。それで、「ピン」と「キリ」とは、どちらが良い方なのでしょうか。
概して「ピン」の方が良い方だと受け止められているようですが、語源に定説がないことから、人々の受け取る感覚は様々のようです。「キリ」には「十字架」のようなものが関係しているのではないか、という説もあるのだとか。「キリ」は、花札の12月の植物でもあります。
「花札」は、綺麗な花や生き物を絵に含んだカードゲームです。賭博の道具でもあったことから、江戸時代には取り締まりの対象にもなりました。最近はあまり流行らないようですが、庶民が熱中したカードです。日本語にも影響を与えました。「シカトする」とは、そっぽを向いて無視することですが、十月の図柄の鹿が後ろを向いていることから「鹿十」と呼ばれた、と言われています。「ピカイチ」も花札からきていますが、その意味についてはいまは割愛します。
1889年、花札製造から始まった京都の地味な企業が、いまや世界的な大企業に育ちました。そう、「任天堂」です。年配の方は、トランプといえば任天堂、というイメージをお持ちの方もいることと思います。
「あけおめ」「ことよろ」すら、もう時代遅れの言葉になっていますが、なんでも短く略するのが仲間内の言葉に相応しいとでも思うのか、日本人は大好きです。今日はその略した形で「ピンキリ」の旗からしばしの旅を始め、聖書の言葉を受け取るように致しましょう。
◆ピンなる神
「私は初めであり、終わりである」(イザヤ44:6)という意味のことは、同じイザヤ書にはほかにもありますし、ヨハネの黙示録にも二度登場します。神の先在性と終末観とを含みもつ表現だと考えられます。言うなれば、それは「永遠」ということでもあります。
イスラエルでは最も根本とされる聖書の言葉のひとつに、「聞け、イスラエルよ。私たちの神、主は唯一の主である」(申命記6:4)というものがあります。神は正に「ピン」であるわけです。但し、十戒にはこの「唯一」という語はありません。「あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない」(出エジプト20:3)とあるだけです。
時に、この「唯一の主」という捉え方が、特に日本人の中で、批判の対象となることがあります。唯一神信仰が、戦争の原因だ、と主張する人が、必ず現れるわけです。そうしたスローガンが功を奏してか、無意識的に、そのようなことを常識だと考えている人もたくさんいるように思われます。
曰く、一神教は、自分の神だけが存在するといい、他を排除する、こうした勢力が向き合いと、互いに相手を否定するために、戦闘的になる、こうした争いの種を宿す一神教が戦争を起こすのだ、と。他方、日本は多神教文化だから、神々はいくつもあって構わない、だから他の国や文化が別の神を立てようと、一向に構わないわけで、信仰に関して非常に寛容であるから、戦争にはならない、と言っています。自然信仰は穏やかで、平和をもたらすのだ、と自負するのです。
キリスト教サイドからは、それに対する反論も当然あります。しかし、その前に私は、ひとつ立ち止まって考えたいと願います。キリスト教の歴史を振り返ると、教会組織が国王や国家権力と結びついた中で、神の名の下に戦争を起こしてきたことが、確かにあるからです。カトリックとプロテスタントの間でも、血生臭い戦争が幾度もありました。ユダヤ人を抹殺すべく何百万人も残酷に殺したのも、キリスト教を看板に掲げる独裁者だったのです。
他方、多神教文化が寛容で平和なのか、という点についても、迂闊に信用することはできない、と考えます。日本国内での戦乱の数々、実に残虐な殺し合いが幾らでもあったことを覚えます。一神教だとするキリスト教徒を、筆舌に尽くしがたい拷問の末、平然と処刑し続けたのは、その寛容な考え方に基づいていたと言えるのでしょうか。
日本は、近代に開国した後、キリスト教国の文明の影響を受けました。明治政府は、富国強兵をスローガンに、古来の多神教的宗教を以て人心を統一すべく、突如唯一の宗教のように掲げました。それは、あのネブカドネツァルも真っ青な方法であったように感じます。この宗教を信じない者は非国民と迫害しました。それは政治権力だけによるのではありません。民衆も、一斉にそれに加担していたという点を、小さく見積もることはできないのです。
やがてその神々の名の下に、他国を占領し、住民を虐殺することもむしろ正義だとしたとは言えないでしょうか。もちろん、宗教のせいだ、というように私は声を荒げるつもりはありません。戦争と殺戮にのぼせあがるのは、決して宗教の種類のせいではない、と言いたいだけのことです。
どのような宗教を掲げていようとも、戦争を起こすのが人類でした。宗教を利用して人心をひとつにしよう、と、どこの権力者も考えていたのです。日本に入ってきた仏教でさえ、そのような例のひとつに数えられるべきものでした。
◆一神教
一口に「一神教」といいますが、神学者たちは、それを幾つかの型に分類して考えることがあります。一神教とは、唯一の神を立て、それを信じることをいいますが、その「唯一」というのに、大きく二つの考え方がある、として区別するのです。
まず、自分たちが信じる神だけが唯一存在する本当の神であり、他の神々は存在しないとして、一切認めない考え方です。そこで、もし伝道ということを重視するならば、他の神々を信じる人々は、自分の側の唯一の神を信じなければならない、という動きに向かうことがあります。
もうひとつは、他の民族や人々が別の神々を信じていようと構わない、とする考え方です。このとき、他の神々が存在していても気にしない、という捉え方をすると見られます。ただ、自分たちとしては、他の神々には一瞥もくれず、ただ唯一の神をのみ信じ、礼拝します。
おもにこの二つあることにしておきましょう。前者は、厳しく排他的である「唯一神教」とでも呼びましょうか。他を寄せ付けないほど厳格な唯一の神への信仰であり、他の神があってはならない、としますから、もしかすると他の神を信じる人々との争いを招くことはあるかもしれません。その意味で「絶対的一神教」というように呼ばれるほどになると、すべての人間がこの神を拝め、という方向に動く可能性は、確かにあるだろうと思います。そして後者は、「拝一神教」とでも呼びましょうか。自分としてはこの神を拝む、というような姿勢です。
こうした分類は、すでに百年前には議論されていました。聖書やキリスト教文化について、かなり突っ込んだ近代的な研究が展開していた時代です。様々な信仰の形が定義されてゆくのでした。
◆イザヤの見た風景
今日はイザヤ書を開いています。研究者たちが、「第二イザヤ」という筆者を想定している場面です。
イザヤ書は39章までが、どうやら当初のイザヤなる預言者の言葉であるらしい。それは、バビロン捕囚の寸前の時代でした。イスラエルは主なる神への信仰に背いた故に、バビロニア帝国に攻撃され、神殿が破壊された上に、有力な人々が連行されてしまう、という時代を迎えようとしていました。すでに一部ではそれが始まっていたことでしょう。
しかし、40章からは、表現が俄然明るくなります。過去の過ちは赦され、イスラエルは遠いバビロンから、元の地に還ってくることができる、と叫ぶのです。その44章では、イザヤが次のように主の言葉を語ります。
6: イスラエルの王なる主/イスラエルを贖う方、万軍の主はこう言われる。/私は初めであり、終わりである。/私のほかに神はいない。
7:誰が私と同じように宣言し/これを告知し、私に並べ立てるだろうか。/私がとこしえの民を起こしたときから/起ころうとすること、来るべきことまで/彼らに告知させよ。
8:恐れるな、おびえるな。/昔から私はあなたに聞かせ/告げてきたではないか。/あなたがたは私の証人。/私のほかに神があろうか。/私のほかに岩があろうか。私はそれを知らない。
「私のほかに神はいない」と、主は力強く告げました。イザヤも、ぜひそれを伝えたいと願っています。いったい預言者は、純粋に神から受けたことだけを語ったのでしょうか。預言者が人間の言葉に直すときに、何かしら預言者の人間性が混じるものなのでしょうか。私はいろいろあったのだろうと思います。すべてをどちらかに決める必要はないのだ、と。
イザヤが見るにしても、神の目から見たものをイザヤに与えたにしても、イスラエルの民が、主ならぬ他の神々を尊崇していた事実があることは否めない、と思うからです。イスラエルは背反した、とも言えるでしょうし、いつしか主なる神を忘れてしまった、とも言えるでしょう。旧約聖書という書物が広く読まれることなど、なかったのです。文書が読める人など、ごくわずかしかいなかったのですから。
また、大国に囲まれて、政治的に非常に不安な情況に置かれていたことも加味して想像しましょう。このイスラエルは、ダビデのときに信仰が回復したように見受けられます。しかしその後、時折現れる信仰深い王のほかは、主を信じることにおいては、消極的になってきました。列王記を覗くと、そうした歴史が綴られています。
エルサレム神殿という、礼拝所はありました。儀式も、型どおりかもしれませんが、行われていたようです。しかしまた、「高き所」と呼ばれる別の礼拝所に出入りしていた王もいたようで、あるいはそこへ民が出入りすることを黙認する王もいました。さらに自ら、カナン土着の宗教を信じてその像を拝む王もいました。
公式化すると、イスラエルの神は、「唯一信仰」を求めていたのですが、どうやら「拝一信仰」になっていたか、さらに一神教を通り越えて、多神教の領域に入っていたようにさえ見える有様でした。
◆反語かどうか
しかし、こうした事態は王によりけりです。祭政一致という形で、政治と宗教が一体化していた社会においては、王は政治の頭であると共に、しばしば宗教の頭でもありました。明治政府が、天皇をどういう位置に置いていたか、を考え得ると、想像しやすいだろうと思います。
列王記を見ると、信仰心が豊かで、高評価を得た王も何人かいます。特に、紀元前7世紀に生きたヨシヤ王は、律法の再発見により、ユダ王国に宗教改革と呼ばれる歴史を刻みました。再発見というくらいですから、すでに信仰は忘れられていたようなものでした。習慣的に儀式は行われていたかもしれませんが、形式的であったかもしれません。
私たち現代の日本人が、仏教徒であるとか、神社の氏子であるとかいう立場をもっていたにしても、同じように形式的に過ぎない場合が殆どであるとすると、このときのイスラエルの姿を推測することができるかもしれません。
このヨシヤは、神殿から見つけ出された律法の書を、国の宗教儀式のために大々的に利用した、と見てもよいでしょう。このときも、ユダ王国は宗教的に立て直された、というのかせ聖書の記録のスタンスです。しかし、それは国の宗教を王が決め、国民も当然その宗教を信仰することになった、というように言える事態でありましょう。
さらに、モーセの時代、それは実に威圧的でした。モーセは自ら神の声を聞き、神のお告げだと言って、エジプトの民を何十万人と呼び出しました。カナンの地を目指して旅立つ指導者となりました。殆ど信じられないような成り行きです。
そこまではなんとか肯けたとしても、イスラエルの民には、果たして信仰があったのでしょうか。民は、水や食べ物がなくなればすぐにエジプトに帰りたいと不平を言いました。生きようとする人間に取っては、当たり前の態度だと思えます。ただそこには、主という神への信仰があったようには見えないわけです。
モーセが十戒を授かりに山に籠もったとき、民は違う神を造れ、ともう一人の指導者であるアロンに頼みます。アロンは金の子牛を造り、民は乱痴気騒ぎをします。そこへ降りてきたモーセは怒って十戒の板を叩き割り、主なる神とは異なる神を慕う者を、結局は殺してしまいます。この後のアロンの処遇についても思うところがありますが、いまはそこに向かうことは避けましょう。
冷静に事を見渡せば、これは恐ろしい政治です。現代でそのようなことをすることなど、考えられません。否、そういう国もあるにはあるわけですが、世界的には非難を浴びています。
ダビデ以降の王国時代、かなり宗教的に束縛した時代もあったでしょう。しかし、あのモーセほどの激しい仕打ちはなかったかもしれません。否、北イスラエル王国で預言者エリヤが、バアルなどの預言者を千人近く殺したことや、その直後の時代に、王となったイエフがやはりバアルに仕える者たちを全滅させたことの記録を見ると、世にも恐ろしい粛清があったことを認めざるを得ません。
では、イザヤもそうした意味で主の言葉を取り次いだのでしょうか。「私のほかに神はいない」という言葉を楯に、反する者を成敗する勢いで告げたのでしょうか。よく見るとその後で、「あなたがたは私の証人。/私のほかに神があろうか。/私のほかに岩があろうか。私はそれを知らない」と言っています。
「私のほかに神があろうか」というのは、もちろん反語です。「いや、あるはずがない」との結びを敢えて言わずに覚らせるレトリックです。しかしここで主は「私はそれを知らない」と結んでいます。ここは興味深いと思います。この一言が、雰囲気をずいぶん変えてしまうと思うのです。つまり、「ほかに神がいるだろうか」と問い、「それを知らない」とまとめたということは、「ほかに神がいてはいけない」という厳しさを感じさせないのです。ただ「知らない」だけなのです。
確かに、「神は唯一だ」ということを強調しています。そこに揺らぎはありません。しかし、「あってはいけない」とは言っていないのです。つまり、ある個人に呼びかけているものとしましょう。「あなたにとって、主のほかに神がいるのか」と問いかけ、「主はそれについて知らないことにしているが、あなたにとってはもしかすると、ほかに神がいるのかもしれない」という余地を残しているように受け取れる余地を残していると感じられるのです。
分かりやすく言えば、この問いかけの言葉を聞いたその当人が、いったいどう受け止めるのか、それをその人に委ねていることになります。神は唯一だぞ、と押しつけているのではなく、神は唯一だと思うが、あなたはどうなのか、と問うていることになると思うのです。
問われた側の人は、これにどう応えるでしょうか。その人の決断が、その後の展開を左右することになります。神の側からは、「そんなことはない」という反語でしたが、それを反語と理解するためには、神と人との関係が適切にできていなければならないのでした。神と結びついている人にとっては、間違いなく反語です。ただ、そうでない人にとっては、それはイエスかノーか応えねばならない、普通の疑問文となるのです。
◆初め
その人次第で、応答が異なる。そのように聖書を捉えることは、さしあたり無理のない考え方ではないかと思います。領主がその信仰をもてば、村全員がその信仰になびく。もし逆らえば村を追い出されるか、命に関わる。こうした宗教環境が、かつてはありました。でもいまは認められないでしょう。日本のキリシタン信仰の時代も、キリシタンになった人々の中には、少なからずそのようなタイプの人がいたはずです。ただ、その信仰は死をも超えてゆくものであったため、私たちはそれを軽く見ることはできません。なまくらな私などより、よほど筋が通った、一途な信仰だったのだろう、と思います。
では預言者イザヤが告げたときの環境は、どうだったでしょうか。イザヤは、主を信じる信仰にあるはずのイスラエル民族に向けて語っています。「昔から」主なる神を知らせてきた民です。これもやはり部族的な集団信仰であったのかもしれませんが、日本人がなんとなく「家の宗教は仏教」という程度であっても、主を信じる信仰は、生活の中に、このイザヤの呼びかけに応える何ものかを感じ取ることができたのではないか、と推測します。
この神は、世の初めから、そしてイスラエル民族の初めから、その人々に呼びかけてきたのでした。歴史に記されたその神は、かつてから同じ一つの神でした。「私は初めであり、終わりである」という宣言がここにありましたが、そうした神の姿を表しているように思えます。初めから、この主が語りかけていました。それと共に、これから先、いつとは知れない「終わり」も見越していることが分かります。世の「終わり」も、この「初め」なる同じ神が、司るのです。ただ、いまはイザヤの言葉として、「初め」が強調されていることを感じます。
そこで、「私のほかに神はいない」の言葉を受け取ることにします。イザヤは、さしあたりイスラエルの民に向けて、このことを告げています。捕囚の民となったが、そこから解放される喜びを知らせる預言の中で、これを宣言しているからです。そして、これを宣言しているのは誰か、もちろん主なる神ですが、イザヤはそれを「イスラエルを贖う方」と呼んでいます。
この「贖う」ということは、普通の日本語としては、「罪をつぐなう」という意味で使われる言葉であるはずです。しかし、罪人の罪を贖うというような制度がイスラエルにあって、日本風に言うならば「身請け」するような意義があります。そこには、罪の赦しと、罪による束縛や裁きからの解放の意味が加わる、そのように捉えておきましょう。それより深いことは、また蕩々と話を持ち出さなければならなくなりますから。
要するにイザヤは、イスラエルの民だけに、初めからこの預言を知らせているのです。イスラエルだけを懐に抱く神のイメージを、このメッセージによって思い描くようにしたかったのかもしれません。それは「イスラエルの王」です。また、戦いに勝利する「万軍の主」です。イスラエルのことを「あなた」と呼び、イザヤの口を通して神が告げます。あなたに、これまでも「聞かせ/告げてきたではないか。」そのような「あなた」が、この言葉を真っ向から受け止めています。そしてその「あなた」は、主の「証人」となるのです。
◆終わり
しかし、「私は初めであり、終わりである」と言うことにより、「終わり」も思い描かせているのも本当です。「起ころうとすること、来るべきこと」が、この「とこしえの民」に知らされるべきであることも、ここに言及されていました。主の「証人」となることは、何もかつてのイスラエル民族だけではありません。いまここにいる私たちはどうなのでしょうか。
私たちは、イザヤが預言したメシアたるイエスにより救われた者です。新しいイスラエルです。私たちも証人となるように、新約聖書は繰り返しています。その私たちを助け、救い、導いたのは、イエスの眼差しでした。このことは、最近私たちが気づき、信仰の礎にさえしたことです。
「初めであり、終わりである」ことは、永遠にも等しい、と私たちは受け止めました。ヨハネ伝では特に、この「永遠」へ私たちが目を向けるべく、言葉が重ねられてゆきます。
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。(ヨハネ17:3)
「永遠の命」について、定義のようなものを提示しているように見えます。「イエス・キリストを知ること」がそれだと言います。もちろんこの「知る」というのは、単に見聞きするということではありません。聖書の解説本を読んで説明しただけでは、この「知る」にはかすりもしません。
「永遠の命」というのは、イエスを知ること通して与えられるのだ、と聖書は言います、それが新約聖書のメッセージです。イエスは同じヨハネ伝で、「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」(ヨハネ14:6)と言いました。イエスだけが、神へ至る道だとされています。私たちはこの救い主だけを、見つめなければなりません。
神との断絶の意識が強かったユダヤ教は、決して間違った神の考え方をしていたわけではないと思います。人は神にはなれません。日本人の意識とはまるで違います。ただ、神と人とはあまりに遠かったのです。あまりに壁が、あるいは溝が、ありすぎたのです。でも、イエス・キリストが、そこに道を拓いてくださいました。イエスという道を通って、神は人となって来てくださったのであり、人はイエスという道を通って、神と出会い、交わることが赦されるようになったのです。
ほかの神を信じてはならない、と縛る必要はありません。誰がどんな神を信じたらどうなるとか、そうしたことを議論することは、私たちの目指すところではありません。自分の信仰を他人よりも正当化したいがために、こうした議論でマウントを取りたがる人が、世の中には確かにいます。でもその必要はないでしょう。むしろそれは害を招くことだと思います。一神教を弁護して、論理を立て、普遍化するところに、あまり大きな意味はないのです。
ひとは、一人の伴侶を愛するでしょう。その人にとって、一人のパートナーがいれば十分なのです。私たちキリスト者は、キリストというただ一つの道を通って行けばよいのです。イエスと出会い、イエスという道を通って、神と見えることを求めればよいのです。イエスというピンから始め、行き着くキリは、天地万物を創造した、「王なる主」なのです。言うまでもありませんが、この「キリ」は、つまらないものだという意味ではありません。最高の「終わり」である神のことなのです。