【メッセージ】神戸の心

2025年1月12日

(テサロニケ一4:13-18, エレミヤ28:5-9)

イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。それならば、神はまた同じように、イエスにあって眠りに就いた人たちを、イエスと共に導き出してくださいます。(テサロニケ一4:14)
 
)   ◆地震の体験
 
私はそのころ、京都市内に住んでいました。四条大宮という、福岡でいえば、中州や赤坂のような都心部でした。1995年1月17日。朝方のことです。目が覚めました。まさに「カタカタカタカタ……」との揺れでした。理科の授業で、中学生に、地震のメカニズムを教えることがあります。「初期微動継続時間」が始まったと感じました。これはくるぞ、と予感して、近くに寝ている家族を守る体勢を、すぐさまとりました。
 
そして、それは来ました。「どーん」というその揺れは、横揺れではありませんでした。下から突き上げられる衝撃を受けました。その体へのダメージは、今なお覚えているほどです。
 
本棚の本やVHSのビデオテープが降って来ました。そのころアパートでは、小さなテレビを、胸の辺りの高さの場所に置いていました。今のような薄型ではありません。ブラウン管というやつです。テレビ自体、かなりの重みがありました。しかしそれは、なんとか持ち堪えました。助かりました。これが頭上に落下していたら、命がなかったと思います。
 
つまり、地震に対する防御策は、それまで全く考えていなかったのです。これは反省点でした。余震は、最初のものほど大きくなかったので、落ち着いて立ち上がりそのテレビを点けたところ、大変なことになっていました。震源は京都ではなさそうでした。各地の震度が表示される中、神戸だけが数字がありませんでした。しかしどう見ても、神戸の数字が大きいであろうことは、歴然としていました。
 
震度の報告がない。それは、神戸の震度計か観測所が機能していないことを意味します。もしかすると、神戸が壊滅的な被害を受けているのではないか、という恐怖が襲いました。兵庫県に居住しているNHK職員からの連絡が、ニュースで聞こえました。その揺れの大きさと共に、明かりがない地域のことなど、悪い知らせの予兆が、そこから聞き取れました。
 
この地震は、「兵庫県南部地震」と呼ばれることとなりましたが、翌朝の神戸の映像は、ショッキングなものとしか言いようがありませんでした。都市部が、火の海となり、煙がもうもうとたちこめています。
 
神戸は、大好きな街でした。結婚前にも二人で何度も行きました。京都とは異なる洋風な都市部と、教会やキリスト教書店なども魅力でしたが、波止場の景色は、京都では味わえない海からの風を受けることができました。しかしこの震災のために、液状化現象により、港方面の惨状も知りました。
 
高速道路が倒壊し、山陽新幹線は半年間、走ることができませんでした。地震後しばらくは、阪急電車もどうしようもなく、京都からの救援は、バイクを使うくらいしかできなかったといいます。京都の教会の牧師や、職場(京都YMCA)からのボランティア隊も、そのようにして現地に入りました。
 
京都の仕事の現場に私は張り付くしかありませんでしたが、経済的にも乏しい生活をしていたので、募金もたくさんはできませんでした。それでも、幼い子どもを抱えていた私たちは、赤ちゃんのオムツ代にでもなれば、とささやかな額でしたが送金もしました。
 
しかし、神戸を実際に訪れたのは、地震から一年を経てのことでした。福岡に帰る前に、一度は行かねば、と。三宮そごうが、一部の階段などが使えないままに、ひび割れたような建物の中で営業を開始していました。少し高価なオモチャや、地震に関する神戸新聞社の本などを買い、わずかながらでも、神戸の経済を潤すことに役立つように努めました。何の力にもならない程度ではありませんでしたけれども。
 
その後、この災害は、「阪神淡路大震災」と呼ばれるようになりました。「関東大震災」以来の、大きな災害名となりました。
 
◆災害から学ぶこと
 
失って初めて、その大切さが分かる。私たち人間は、「後悔先に立たず」という諺の通り、いつでもひとは、あたりまえの幸せには、気がつきにくいものだと言われます。阪神淡路大震災のときにも、そのような言葉を口にする人がいました。いま、私たちの多くは、1年前の元日に見た、能登半島地震のことを思います。家族が集まり、お節料理を囲んでいたときの、あの臨時ニュースには、息が詰まりそうでした。
 
ただ揺れを経験した程度に過ぎない私のような者にも、地震の怖さに怯える方々の情況というものは、決して他人事だと見ることができません。特に復興の遅れが目立つ能登半島の被災地については、人々の生活と心とが、今日も気がかりでなりません。募金を送るにしても、ほんのわずかなもの。何の助けにもならない程度ですが、何か助けになる言葉を発することでもできないか、と願うばかりです。
 
では、何をしたらよいのでしょうか。何を見て、知るとよいのでしょうか。そのヒントは、ひとつには、かつての震災からの声を聞くことにある、と思われます。多くの犠牲の方々を出した事態の経験から、何か学ぶことがあるはずです。
 
2011年の東日本大震災は、大きな教訓をも遺しました。ただ、そこには津波という事情がありました。また、東日本大震災でも、その16年前の阪神淡路大震災での経験が、役立てられたと言われています。あの阪神淡路大震災は、地震による災害ということにおいて、たくさんのことを教えてくれたことになります。
 
もちろん、人の住まいや町の建造物を再び建ててゆくことは必要です。道路や公共設備など、インフラの整備が、経済や生活のためにはどれほど大切か知れません。しかし、そうしたハードばかりを造ればよい、というだけではないでしょう。人の心が、傷ついています。阪神淡路大震災でも、そのことのためにこそ、自分の役割がある、と奔走した人々がいました。
 
精神科医です。避難所へ飛び、人の心を見つめました。自身、被災者でありながら、神戸で精神科医として働いた人たちがいました。そのうちの二人の人が、その後の発言などにより、注目されています。いまでこそ私たちがよく使う「PTSD」という言葉は、こうした人たちによって、世に知られるようになったのでした。
 
◆心の傷を癒すということ
 
NHKEテレの番組「100分de名著」が、この1月、ついに安克昌さんの『心の傷を癒すということ 新増補版』という本を取り上げました。恐らく、阪神淡路大震災から30年目になるこの月に、相応しい本だということで選ばれたたのだと思います。2020年に、NHKでテレビドラマにもなったことから、NHKにとり恰好の対象だった、とも言えるでしょう。
 
このドラマは、1月12日になってすぐの夜中から、再放送されています。柄本佑さんというと、いまは「光る君へ」の道長役ということで有名ですが、私は、かのドラマの演技で、非常に好きになった役者さんです。
 
安克昌さんについて関心をもたれた方は、もちろんその『心の傷を癒すということ 新増補版』をお読みになることをお薦めしますが、さしあたり今月の「100分de名著」のテキストをお読みになると、コンパクトですが、エッセンスを知ることができます。番組もよろしいのですが、テキストのほうが詳しく分かります。
 
神戸大学の精神科医だった安克昌さんは、35歳のときに、阪神淡路大震災に遭遇します。まず走り回ると共に、全国から集まった精神科ボランティアのコーディネーターとして救護活動を続けました。心に傷を負った人々を目の当たりに詩、精神科医としてできることに挑みます。その結果、この1995年は、後に「ボランティア元年」と呼ばれましたが、また「心のケア元年」とも呼ばれるようにもなったのでした。こうして、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder,心的外傷後ストレス障害)という専門用語が、世の中に知られるきっかけとなりました。
 
地獄絵のような災害の中で見たこと聞いたことを発信することは、果たして適切なことなのかどうか、安さんも悩んだそうです。しかし、誰かが書き伝えていかなけれならない、との思いが勝りました。どうか世の人々にも知ってほしい。そうすれば、救われる人が今後も起こされるだろう。
 
その思いは、傷ついた心をもつ人々を救うためでした。今頃になると、「生きづらさ」という言葉でも言われるようになりましたが、自分が理解されないこと、居場所がないと思うこと、人とつながりがなくなると思うこと、そのような孤独さは、ひとをどんどん追い詰めます。
 
安克昌さんは、震災から半年後、「こころのケアセンター」を設立します。最初は期間限定のものでしたが、これはその必要性から、いまもなお続いて機能しています。安さんはこう言います。「世界は心的外傷に満ちている。"心の傷を癒すということ"は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである」と。
 
これが、かの本のひとつの結論であるように思います。しかし、私たちキリスト者としては、キリストの救いはそこにどう関わるか、貢献できるのか、そこを知りたいと思います。私はその答えを知りませんし、たとえ感じていても、ここで押しつけるような言い方をしたくはありません。ただ、安克昌さんが、宗教に期待していることについて少し触れている言葉がありますので、引用だけすることにします。
 
「遺族は、死者がどこでどうやって存在しているのかという問いを問わずにはいられないという。悲しみをのりこえて生きるために、宗教的、哲学的な問いが必要なのである。」(「震災と死別のトラウマ」p277)
 
◆終わりの時
 
さて、いまは震災とトラウマの問題についての講演会をしているのではありません。ここまでの心の準備をすることにより、聖書の言葉を受け容れることへと急ぎます。お読み戴いたのは、テサロニケ書第一の4章の途中です。
 
13:きょうだいたち、眠りに就いた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。
14:イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。それならば、神はまた同じように、イエスにあって眠りに就いた人たちを、イエスと共に導き出してくださいます。
15:主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません。
16:すなわち、合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、
17:続いて生き残っている私たちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に出会います。こうして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。
18:ですから、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい。
 
震災は特に、多くの方が一度に亡くなる禍です。昨年の元日を襲った能登半島地震は、お屠蘇気分の日本に、ひとの命について考えさせることにもなりました。昔の教会でも、震災ではありませんが、命についての悩みがありました。「眠りに就いた人たち」のことを、どうしても思わざるを得なくなったのです。パウロはこの手紙の中で、「希望を持たないほかの人々」と、キリスト者とは違う、と言っています。しかしそれは、実際テサロニケの教会の人々が、嘆き悲しんでいたからに違いありません。
 
パウロは、希望の道を示します。「イエスにあって眠りに就いた人たち」は、「復活」する、というのです。そしてその後に、そのときまだ生きていた人々が、神に招かれる如く天に引上げられることになる、と言っています。パウロは、もうすぐにでもその時が来て、自身はまだ死んでいないそのままに、世の終わりを迎える、と固く信じていたように見受けられます。
 
聖書に書かれてあることは、神の言葉である。そのように信じることが、悪いはずはありません。それが、キリスト者の信仰というものです。しかし、私は思います。それは、一定の教義として固められ、その教義を信じることと等しいわけではないのではないか、と。教義を信仰するということと、聖書を信仰するということとは、同じではない、と思うのです。
 
教義は、人が形成したものではないでしょうか。人がイメージするひとつの画ではありますが、人のイメージが、神の思いを全部把握したものとしてよいのでしょうか。聖書は、聖書のまま信じればよいのに、どうしてもそれを「まとめ」ないと気が済まないかのようです。誰かがつくった「まとめ」を読むだけよりも、聖書を聖書のまま信じる「勇気」を、私たちは持ちませんか。
 
神は、一人ひとりに、神との対話の場を備えているように思えてなりません。神との対話の場を、聖書を通じて設けるのです。神と差し向かいで臨み、神との関係の中で、結びつく絆があることを見出したいのです。
 
黙示録などは典型的ですが、書かれてある言葉を文字通りにイメージすると、滑稽な劇になってしまいそうです。このテサロニケ書でも、「ラッパ」という不思議なものが登場します。天使が吹くのではないようです。この「ラッパ」とは◯◯である、と私たちが決めつけることができるようには思えません。「雲に包まれて引き上げられ」る、というのはどのような有様なのでしょうか。そのメカニズムを説明できる人は、誰もいないはずです。
 
ただ、押さえなければならない点はあると思います。「イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています」(14)と言うことと、「ですから、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい」(18)という勧めです。このくらいのことなら、ひとにもできるかもしれません。私たちは、そこを見つめて共に生きることは、できると思うのです。
 
◆弁神論
 
亡くなった人のことを嘆く。テサロニケ教会の人々のその様子を、パウロは不信仰だ、などと非難はしませんでした。天国に行けてよかったね、などと揶揄するようなことすら、「信仰篤い人」が口にすることがあるかもしれません。しかし世の中には、そもそもこのような災害をもたらすのが神なのか、と持ち出す人がいます。
 
「神がいるなら、どうして不幸なことが平気で起こるのか。悪がはびこり、善人がバカを見る。あまつさえ、災害で非業の死を遂げる。これは何故か」と問うのです。神の存在を否定するために、そのようにぶつけてくる人が、世の中にいます。クリスチャンの中にも、神が災害を放置することに、怒りをぶつける人がいます。あるいは、神も一緒に災害で死んだのだ、という希望のないことを言い始める人もいます。
 
そのような声を聞いて、心あるキリスト者は、胸を痛めます。その気持ちも分かるからです。しかし信仰に立つときに、やはり考えます。これには何か神のお考えがあるのだ、と。ただ、その考えというものが分からないため、悩みます。でも何か説明しないといけない、と考えを巡らすことで、尤もらしい理屈を思いつくこともあるでしょう。
 
ライプニッツが18世紀の初めに『弁神論』を書いたときには、必ずしもそのような思いつきではなかったと思います。哲学者らしく、自分なりに筋道の通った形で、神を信頼すべきであることを述べたに違いありません。しかし、その半世紀後には、ヴォルテールが『カンディード』で、神の摂理が世界を最善にしている、というライプニッツの楽観論を、ふざけているのかと私たちが言いたくなるほどに、揶揄しています。ヨーロッパ最大の震災ともいえる、リスボン地震が、いったい神が選んだ最善であるはずないではないか、という怒りが、そこにあったのではないかと思います。
 
私にも、「神はきっと……」と考えることが、ないわけではありません。けれども、やはり私が神に代わって、のように、不幸や禍のわけを説明しようとは思いません。私はただ神を信頼しているだけであって、自分が神の心を解説できる、などとは考えないのです。
 
他方、世の中に不幸があるから、「神はいない」などという論理には、私は賛同しません。そうではなく、「ほかに神はいない」という点には肯きたいと思います。
 
エレミヤ書28章で、預言者エレミヤは、預言者が「平和」を預言するならば、平和の成就があるかどうか、を検証するべきだ、との考えを示しています。それよりもむしろ、「戦争や災害や疫病を預言」するのが、かつての預言者だった、としています。世界には、そうした禍があるものなのだ、と言っているようにも聞こえます。不幸な出来事が、神の非存在を決めるような論理は、たぶんないのでしょう。
 
◆災害がほんとうに襲った時
 
『心の傷を癒すということ』のドラマに、安克昌さんの師として登場する人がいました。モデルは中井久夫さんです。同じ神戸大学の精神科医ですが、近年、2022年に亡くなりました。現場を走り回っていたのは、安先生と同じです。
 
中井先生は、ラファエルの『災害の襲うとき』から、多くを学んだものと思われます。そこから、阪神淡路大震災においても、その学びを活かしました。PTSDにつてい警告し、被災者のフォローをし続けました。このラファエルの本の題をリスペクトして、中井久夫さんは、後にこの当時のことを報告した本を著しました。『災害がほんとうに襲った時』という本です。専門的な叙述がないわけではありませんが、かなり読みやすい本です。関心をもたれた方は、この本もお薦めします。
 
中井久夫先生は、カトリックの信仰をお持ちでした。信仰を表に出して精神科医としての活動をしているわけではありませんが、人の心について説くその語りの中には、信仰者ならではの視点が隠れているように、感じられることがあるように感じます。行間に、人の心には神の助けが必要だ、と言わんばかりの信仰が見えるような気がしてならないこともありました。
 
安克昌さんには、そのような信仰のバックボーンはないと思います。けれども、先ほどの宗教に関わる文があったから、というわけではありませんが、中井先生から学ぶ中で、何かそこから伝わってくるものがあったように、私は想像してしまいます。
 
「遺族は、死者がどこでどうやって存在しているのかという問いを問わずにはいられないという。悲しみをのりこえて生きるために、宗教的、哲学的な問いが必要なのである。」(「震災と死別のトラウマ」p277)
 
「死者がどこでどうやって存在しているのか」、それは、テサロニケ教会の人たちが悩んでいた問題と重なるところがあるように思えるのです。
 
「100分de名著」のテキストは、宮地尚子さんという、同じ精神科医の教授により書かれました。安克昌さんともつながりがあります。心が傷つくことについての考えや活動には、安先生の遺志を継ぐようなところがあるように見えます。
 
テキストの中に、ドラマで安先生役の人が、「誰も、ひとりぼっちにさせへん」ということが、心のケアだ、と言う場面のことが書かれてありました。宮地尚子さんには、いや、安先生はこのように言うのだろうか、という疑問が起こったのだそうです。しかし、フィクションのセリフであったにしても、「誰も、ひとりぼっちにさせへん」というこの言葉には、安先生の思いが詰まっているような気がしてきた、といいます。「たとえこの世にいなくても、心のなかで会話ができるという意味で存在し続けること」が含まれている気がする、というのです。また、死にゆく主人公の思いとして、「死んでも自分はあなたたちの傍にいるよ」、「死んでも周囲の人々とのつながりのなかで生き続ける、生き続けたいと」いう願いがこめられているように思えるのだそうです(p79)。
 
◆震災を忘れない
 
翻って、キリスト者はどうでしょうか。この信仰は、誰をも「ひとり」にはさせないものだ、と私は捉えています。イエス・キリストがいるからです。世の終わりまで共にいる、と宣言したイエスが、私と共にいてくださるのです。「ひとり」になることのない福音が、私たちキリスト者の希望となっているに違いありません。
 
パウロが遭遇した、テサロニケ教会の人々の死者への哀しみに、パウロはなんとか応えなければならない、と思ったことでしょう。宮地尚子さんが解釈した、安克昌さんの思いというものと、何かつながる心があるような気が、私にはしたのです。イエス・キリストという名はないし、そこに強い信仰があるというはずはないのですが、死者への哀しみと、命というもののもつ希望とが、何かしらの共通点を以て、重なって私には響いてくるのです。
 
聖書からは、その辺りのことを受け止めたとして、聖書からのメッセージを伝える場としては異例ながら、阪神淡路大震災のことに思いを馳せ、安克昌さんの遺した言葉に、最後まで寄り添ってみたいと願います。それはまた、東日本大震災や熊本地震、そして能登半島地震で被災された方々のためにも、何か力になるに違いない、と考えるからです。
 
辛い体験を強いられた人が、心折れたとしても、誰も責めることはできないでしょう。空しさばかりが心を染めることも、それなりに理解だけはできます。回りが「どうして」と思うほどに、もうそのことだけしか考えられなくなるのも、仕方がないことかもしれません。しかし、安克昌さんは、被災者の心の中に、それだけではないものを見出していました。
 
「つまり、震災を体験した人は、自分の心の中に、虚無主義と愛他主義という相反する二つの方向を感じただろう。虚無主義をただ否定するのではなく、むしろこの葛藤の中に、われわれは悲観論を超えた楽観論を見出していけるだろうか。」(「阪神大震災は人々の心をどう変えたか」p319)
 
人と人とのつながりを、強く感じる人もたくさんいたのです。それまで当たり前のように、そこに人がいるというだけを考えていた。日常の中で、周りの人は、いてもいなくても自分には関係なさそうでもあった。けれども、当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではなかった、ということに気づかされるのです。
 
その人もまた、助けられなければならない。そして自分にも、それができる。この気づきから起こされる言動を、災害心理学では「ハネムーン現象」というのだそうです。思いやりというものが芽生える、あるいはその大切さに気づくのです。ただ、それで万歳というわけにはゆきません。やさしさやあたたかさだけでは、いつまでも続くものではないからです。
 
「家族を亡くした人にとって、震災は終わることがない。」(「阪神大震災は人々の心をどう変えたか」p309)
 
またひとりになる。そこに遅う感情は、簡単には振り払うことができません。「妻と娘を亡くし、男の子の赤ん坊と生き残ったある男性はこう述べている」と、安克昌さんの心に重くのしかかった言葉を書き表します。
 
「今回の震災で「復興」という言葉が使われていますが、その言葉は嫌いです。私たちみたいな者にとっては、壊れたものは壊れたものとしてそのまま残るんです。心の傷は残ったままなんです。壊れたものや亡くした人を蘇らせることなんてできない。やり直すのではなく、また新しいものを作っていこうとしなければいけないんだと思います。(前掲『黒い虹』)
 
 このことばを厳粛に受けとめたい。」(「死別体験と家族」p126)
 
パウロが、テサロニケの教会の人に対して、自分の終末の理解を投げかけたのは、必ずしもただ教義めいたものをぶつけて信じさせようとしたものではない、と私は思います。それが慰めにならなければ、言葉は刃のようにひとの心に突き刺さってしまうものです。キリストの慰めの言葉には及ばないかもしれませんが、亡くなった同志のことを悲しむ信徒たちに、精一杯の言葉を向けようとしたのだ、と信じたいのです。
 
パウロは、教会という社会を貫く、大切な思いやりを投げかけた。それは、ひとを救うキリストの言葉へとひとを連れて行くはずのものでした。ひとを神と結びつける力のあるものだったと思うのです。安克昌さんは、日本の社会についても、その精神を問いかけます。まだどこか不安を覚えながらも、希望の思いをこめて、書いています。
 
「(人間は傷つきやすい、ということを指摘した上で)今後、日本の社会は、この人間の傷つきやすさをどう受け入れていくのだろうか。傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていくきびしい社会を選ぶのか……。」(「災害と地域社会」p258)
 
キリスト者は、教会において、どちらを選ぶでしょうか。私たちは、聖書の言葉から、常に問いかけられています。今年も、聖書から、問い続けられるようでありたいし、そのようにして神と向き合う時を、たくさんもちたいと願います。それが、神と言葉において結びつく、ということだ、と信じるからです。
 
阪神淡路大震災から30年。心の傷に、癒やしがもたらされることを、切に祈ります。



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