絵本と子ども

2024年12月1日

もちろんプロではないし、専門家でもない。無責任な理論を述べるつもりはないが、経験から零すこととして、お許し戴きたい。
 
絵本の読み聞かせについて、である。
 
細かな経験上のことをレクチャーしようなどというわけではない。ただ一つのことである。それは、絵本を読み聞かせている途中で、本文以外のことを話すべからず、という戒めである。
 
子どもは、絵本の世界に熱中している。その世界に、入っている。そこから、「うさぎさん、困ったねー」などと、現実の声でいちいち引戻してはならない、ということだ。物語を読むだけでは、子どもに伝わっているかどうか不安だから、分かりやすい解説を入れようと思う間違いであって、これは、経験の浅い読み手の陥りやすい、しかしありがちな失策である。
 
一旦絵本を開いて物語を読み始めたら、最後までその絵本が描いている世界に子どもを閉じ込めてよい。読み手は、絵本を聴覚的に届ける役割を果たすだけである。
 
小さな子どもが、絵本と出会う。絵本という経験は、子どもにとって、人が思いがちなほど、小さなことではない。その魂に、感性に、動かない大切なものを深く刻み込むことがある。
 
また詳しくお聞かせするが、ある作家の本を初めて読んだとき、私は、その作家はクリスチャンだと直感した。それも、カトリック教会の人だ、と確信した。だが、そこから調べてみても、信徒であるとか、聖書を読んでいるとか、そうした情報はどうしても得られなかった。話している記録からしても、信仰に関する事柄を感じ取ることができないのである。
 
ただ、生い立ちとして、幼稚園のときに、絵本を食い入るように読んでいた、ということだけは分かった。その幼稚園というのが、カトリック系の幼稚園であったのだという。
 
私は驚いた。もし信仰生活を続けていたわけではなく、その時だけの接点であったとしたら、その人の描く物語の世界が、カトリックというところまで漂わせる作品となっていたというのは、大変なことではないだろうか。幼い魂に、それが刻み込まれていたのだ。
 
だから、子どもと絵本という世界では、どうか絵本と出会う場を備えてほしい。説明はいらない。確認もいらない。私たち大人も、映画を観ている最中に、解説など、してほしいとは思わないだろう。
 
2025年1月号の『福音と世界』は、特集が「絵本とキリスト教」であるという。どんな文章が集まるか、楽しみである。



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