小学生に受検の作文を指導するなら
2024年9月4日

作文は、このような形でこのように書けばよい。そのような公式のようなものを教える先生もいます。でも私はそれがいいとは思いません。作文は、お上品に模範的な文章を見せればよい、とは思えないからです。作文は、もちろん国語の力を試すよい方法です。条件を読み取り、それをインプットした後、適切にアウトプットしてゆくために、練習をするほかに、高度な言語能力と構成能力が要求されます。言葉を多く知っているか、正しく使えるか、という点も、そこから見えてきます。
だから、実は「読む」経験が大切です。たくさんのお手本を心得ているかどうか、そうした文章との出会いを経験しているか、これはとても大きなことです。でも、いまはそこのところをやかましくは言わないことにします。
文章には、その人の個性が現れます。「あなた」がどんな子どもで、日頃何を見て、何を考えているか、それが現れるのです。「あなた」に見えているものが、そこに映し出されるのです。つまり、「あなた」がどんな人であるか、自ずと作文の中から見え隠れすることになります。そういう「あなた」という人を、知るためにも、作文という方法が試験に使われるのだと思います。
どうぞ、世の中について、真面目に向き合ってください。自分とは何か、見つめる機会を設けてください。自分を知り、ひとを知る。社会や世界を考える。その一つひとつについて、真面目に取り組むのです。
日頃、ニュースを見聞きして、何かを考えることがあるはずです。なんとなく頭に浮かんで、それで終わり、というのが普通でしょう。ときに、親に意見を言ってみて、親の意見を受けることもあるでしょう。親子でニュースのことを話し合う、というのもよいことです。自分だけで思ったことがすべてとは思わず、他の人の考えを知り、別の見方や考え方があることを知るのは、とてもよいことです。
皆さんは、将来、自分の考えを説明する文章を書く機会が、きっとたくさんあるだろうと思います。会社に入っても、文章を書いて報告もすることがあるでしょうし、営業で顧客と文章を交わすことが仕事になる場合もあるでしょう。「文章で伝える」ということについて、いまここで学び、訓練することは、あなたにとって大きな意味があることだと、私は信じています。
書いて、伝える。それをうまく形にするには、どうしても訓練が必要です。以下、私の気づいたところから、思いつくままにつづります。要点は、あなたが探してください。自分にとり必要なことを書き出して、あなたのこれからの学習のために役立ててください。
「条件を守る」これについては、最初から皆さんに伝えてきたつもりです。「条件」について書いてあるところを囲むなどして、幾度もそれを見直すようにします。また、「何を書くのか」を中軸に考えることも、お話ししたつもりです。そして、書くべきことをメモしてから文字をマス目に落としていく、という手順もやかましく伝えました。
とにかくまず、結論をはっきりさせなさい。運動会で走るとき、ゴールを見つめて走りませんか。目の前の足元を見て走りはしないでしょう。あの目指すゴールをはっきり見据えて、走り続けるのではありませんか。ゴールがあれば、そこへ向けて走る道筋がはっきりするのです。
そのための道筋は、思いついたものを並べるのとは違うのです。あなたが頭の中で思いついたことについて、読む人は、全く何も知りません。自分の中では、頭に浮かんだいくつかのことを、次々とでたらめな順番で外に出しても、自分としては納得がいくかもしれません。しかし、話を聞く相手は、てんでばらばらにあれこれ放り投げられても、あなたの「言いたいこと」や「意図」を把握できません。
繰り返します。大切なことは、いつも伝えているように、結論を先ず決めることです。ゴールを定めておくのです。書いている途中で、「もっとあれも書いたほうがよさそうだ」という誘惑に、多くの人が陥っています。「ほかにも、」と何人もの人が、終わりのほうで突然別のことを書き始めるのです。途中で思いついたあのことも、言っておいたほうがよさそうだ、という誘惑にやられてしまうのです。あるいは、それまでずっと述べていたことと、全然違うことを、突然最後に持ち出して、「自分はいろいろ気にして考えているのだ」ということを見せようとした人も多数います。そこまで論じてきたことは何だったのでしょう。ゴールのテープを切るように走り抜ければよいのに、ゴール直前で、別のコースにそれていってしまうのです。それは、結論を先に決めていないからです。そして、途中で思いついたことを、書いたほうがなんだかよいように思えてしまうからです。特に、「このように、」でまとめておきながら、その後に初登場の言葉や考えが現れると、どこが「このように」であるのか、全く分からなくなります。最後にしゃれたことを付け加えるのは、はっきり言いますが、間違いです。読む人を混乱させるだけであり、作文の価値を大きく損ねてしまいます。
「また、」「ほかにも、」という言葉を使いたくなったら、ブレーキをかけましょう。ほとんどの場合、別の道に誘い込まれるだけのものへと進みます。400字でも600字でも、皆さんが思うほど長い文章ではありません。その短い中で、あれもこれも、盛り込めるはずがないのです。一つのことを、まっすぐに語ればよいのです。
次に、話しことばについて注意します。言葉には「話しことば」と「書きことば」が、どうしてもあります。ライトノベルや物語には、話しことばを用いることがないわけではありません。しかし、作文は小説ではありません。自分の考えを「述べる」場です。「論ずる」場です。甘ったれたしゃべりことばを並べると、この子は文章が書けない、と見られます。「なので、」で始まる文を、まだ書く人がいます。「だけど」も何度も注意しました。「してるんです」もなかなか直りません。「いいなと思いました」というのも平気で使います。とにかく話しことばについては逐一注意しますから、言われたことは二度としないように自分を戒めてください。厳しいようですが、そうしないと、直りません。
では、書きことばには、どのようなお手本があるでしょう。小説には、相応しくない場合があります。よい文章に触れたいと願いますが、長い文章は、作文のお手本にはなりにくいものです。そこで、「新聞のコラム」をよくお薦めしています。新聞には、短いコラムがあります。短いながらよくまとまっており、ひとつのことを伝えようとする、お手本となるような文章が多々あります。
もちろん、皆さんに意味の分からない政治や経済の難しい話は相手にしなくてかまいません。これぞ、と思ったら、新聞を切り抜かせてもらい、ノートに貼ります。そして、それについて自分が思ったことを、「文章で」書きます。もちろんメモをとってから、文章にしていって鎌いません。最近は、新聞を家に配達してもらっていない家庭もあるでしょう。新聞のウェブサイトが利用できるなら、いくらでも集めることができます。「新聞 コラム」で検索すれば、読むことができます。「社説」というのは内容的に難しいので避けたほうが無難でしょうが、題材は無数に手に入ります。
それを読んで思ったことを、今回経験した課題のように、文章にしていきます。家の人に見てもらえたら最高ですが、とにかくたくさん書けば書くほど、書くことに慣れてゆきます。できれば毎日、といきたいところですが、実際大変でしょう。「毎日のように」書けると、その分、慣れてゆくことは間違いありませんから、ノートを用意して、早速実行してみましょう。文字数はさほど気にしなくてもよいのですが、夏休みに書いたくらいの分量を参考にすると分かりやすいでしょう。
作文の力は、この受験だけにしか役に立つものではありません。そのことは初めにお伝えしました。
作文の頭に「私は」または「ぼくは」を、どうしても書かなければならないきまりはありません。特に、それらは普通主語になりますから、その述語がどこにあるとよいかを考えてみてください。「私は、(ここにいろいろ文が続きます)と思います」の、( )の部分が4行くらい続く人がいます。「私は」がどこに落ち着くのか、読むほうははらはらします。この場合、「(ここにいろいろ文が続きます)と私は思います」なら、まだ読みやすいのです。
いっそ、「私は」がなかったらどうか、とも考えてみましょう。他方、「私は」が必要なのに書かれていない例もありました。この意見は私のものだ、ということをはっきりさせないといけない場合があります。別の人が登場するときには、「誰が」そう考えたのか、読者にはっきりと伝えなければなりません。
書くほうは、頭の中に情景を思い浮かべていますから、それを文にして書いているつもりなのです。しかし、読むほうは、あなたの頭の中にある情景については知りません。あなたが書いた文章がすべてです。誰がどうしたのか、誰に言ったのか、いま何のことを述べているのか、伝わるように説明しなければなりません。別の人の目で見る、というのは難しいことですが、これも訓練です。まずは心がけていくことで、これから4ヶ月間、改善していくこともできると思います。
一文が長いと注意された人は、とくに気をつけてください。それは癖です。話しことばでは、文を切らずに次々と続けて話すことが許されます。日本語でも、古文といって千年前の文章などは、だらだらと一文が長く続くのも当たり前のことでした。しかし、いまの国語では、一文が長いと、非常に読みづらくなります。それだけでなく、一文が長いと、文の欠点が現れやすくなるのです。主語と述語が対応していないとか、並列関係が崩れてしまうとか、話の論理がおかしくなるとか、とにかくまずいことが起こりやすくなります。一文が50字を超えたら、ちょっと待てよ、と気づくようにしましょう。短くプチプチと切る必要はありませんが、気づかない間に長くなることがないように、意識しなさい、と言っているのです。
二つの文をつなぐのに、接続語を使うのもよいのですが、適切な接続語でない場合も目立ちました。これも癖のようなもので、気がつけば「そして」「そして」「そして」が並ぶようなこともあります。接続語はなくてもよい場合があります。そういうことも、お手本になる文章にたくさん触れて、経験していくようにしましょう。
接続語に限らず、同じ言葉の繰り返しは、その人の癖のようなものであると共に、ボキャブラリーの貧困さを露呈するものともなります。「分かる」が数行内に四つも五つも使われていると、言葉を知らないのか、と思われます。それぞれ違う意味で使われているような場合にも「分かる」だけで済ませてあると、ますますそう思われます。「理解する」「気づく」のように、より適切な別の語を使うようにしてあると、作文として輝きを増します。言葉には、幾つもの意味が含まれていますから、別の意味で使われているのに同じ言葉を並べていると、読むほうは混乱してしまうのです。
なお、「形容詞+です」には、一つひとつ「さけましょう」と注意を書いています。「避けましょう」という意味です。小さな子どもならよいのです。「うれしいです」「たのしかったです」は、低学年の子の作文ならば、ほほえましいものです。けれども皆さんは、もうすぐ中学生になる年齢です。幼く響く言葉から脱却しましょう。「おもしろいです」「明るいです」との口調を、皆さんは、大人が使うと思いますか。
さあ、こうしていろいろ細かなことも言いましたが、また折々やります。これから訓練していきます。さほど気にしないで、とにかく始めましょう。前を向いて、自分の考えを書き表すことに、喜びを見つけにいきましょう。
――とまあ、無作法で本人自身がへたくそな文章しか書けない者が、偉そうなことを言うのもおかしいのであるが、自分が巧くなくても、コーチをすることとは、また別のことだ、ということが、ここからよく分かるであろう。「牧師」というお仕事をなさっている方は、ご理解戴けると思うけれども。