(使徒13:14-43, 詩編102:24-29)
しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。(使徒13:30)
◆立つということ
「三十にして立つ(三十而立)」という言葉は、「論語」の「為政篇」にあります。ひとは、30歳くらいになると、自分の見識を確立して、独り立ちするべきだ、というような意味合いがあるだろうと思います。人生の区切りをこのように並べた言葉のひとつです。
いまの社会でも、政治家として立候補するにはそれくらいの年齢が必要と見なされているようですし、おおまかに言って世間的にも二十歳ではまだ青い感じがしますから、けっこう通用する言葉と言えるかもしれません。それでも、古代中国でも、いまと同様30歳くらいで成人のように見なされるのは、少し意外な気がしました。明治期の日本を作っていったのは、もっと若い人物たちだったように記憶していたからです。
しかし考えてみれば、ナザレのイエスも、30歳くらいがその活動の初めでした。もう少し上だったという研究もありますが、イエスにしても、「三十にして立つ」に見合うような年齢を生きていたことになるのかもしれません。
イエスは使命を帯びて、立ち上がりました。そこから1年か3年か知れませんが、さして長く経たないうちに、十字架の上で殺され、地上での生涯を終えました。「立つ」ことをしてから間もなくのことでした。
私はどうだったでしょう。イエスが旅をして、十字架に架けられるその年齢に近づく自分を、かつて奇妙な感覚で捉えていたと思います。20代後半で救われたときには、まだイエスに年齢的にも追いついていなかったのですが、だんだんそれに近づき、やがて追い抜くことになります。追い抜いた自分の人生というのは、何なのだろう、と思うときもありました。
私は30歳になる前の年に結婚しました。でも、まだ「自立」したような気持ちにはなれまんでした。男にとり、結婚がひとつのエポックであるにしても、まだ父親と同じ景色を見ているわけではないのです。翌年、つまり私が30歳のとき、長男が産まれます。このとき、ひとつ階段を昇ったような気がしました。「自立」かどうかはさておき、何らかの形で自分は「立った」のだというように思いました。自分が父親となって、子をもうけたとき、よろよろとではありますが、立ち上がったのです。
「立ち上がれ」と繰り返して歌い始めたのが、「機動戦士ガンダム」。その前には、「立て! 立つんだ、ジョー」という丹下段平の名セリフがありました。世の中にはきちんとした人がいるもので、段平が本当にそう言ったのは何回か、数えた人がありました。ジョーの52回のダウンのうち、そのようなことを叫んだのは3回しかないのだそうです。どうも、エンディング曲で使われていたので、度々言っていたような錯覚を与えたのではないか、などという調査でした。
逆境の中で、立ち上がるというのは、誰もがヒーロー(ヒロイン)に望む、勇敢な姿勢であったのかもしれません。
◆使徒言行録
師匠であったイエスの刑死という最悪の事態から、弟子たちも立ち上がります。聖霊が一度に多くの人を目覚めさせる事件があった、と聖書は証言します。そして立ち上がった弟子たちがどういう活動をしたのか、イエスの福音がどのように拡がっていったのか、それを記録するのが、新約聖書の「使徒言行録」という巻です。それはイエスの復活直後からの、弟子たちあるいは教会の姿を描きます。福音書の後日談のような意味として読むことも可能でしょう。
研究者によると、書かれた内容や言葉遣い、知識的な背景などから、福音書のルカによるものと同一執筆者であろうということです。ルカの続編が使徒言行録と見て、問題はないだろうと考えられています。そこには、イエスの弟子たちのその後の歩みが記録されています。生き証人も当初いたでしょうし、弟子たちの集団は、その記録を大切に保管していたというわけなのでしょう。いま記録に遺されている他にも、豊富な記録があったかもしれません。
「使徒言行録」は、以前「使徒行伝」と訳されて知られていました。「使徒」というのは、基本的にイエスが選んだ十二人の弟子を指す言葉です。ユダが欠けて、欠員が補われてまた12人になりましたが、その後復活のイエスと出会ったというパウロも、自分は「使徒」だと称しています。
「使徒」とは、元来「使者」のような意味をもつ語です。漢訳聖書の語を踏襲しました。神に使わされた者たちの歩みが「使徒言行録」に記されています。そこにはまた、福音書には登場しなかったような、その後の教会の重要人物も多数登場します。この書を「初代教会の歩み」と紹介する人もいますし、あるいはまた、弟子といった人間たちが主人公ではなく、神が彼らを遣わしたという意味で、「聖霊行伝」だと説く人もいました。
今日はその「使徒言行録」から聖書の言葉を引きましたが、ずいぶんと長い箇所となりました。それには理由があります。それが、パウロの語ったひとつの説教そのものだったからです。恐らく簡潔にされているとは思いますが、一つの説教が掲載されているのです。早速その入口からご紹介しましょう。使徒言行録13章です。
14:パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。
15:律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。
16:そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。
いまのトルコのアナトリア半島の南の海岸から、ずいぶんと内陸部に入った模様です。そこにもユダヤ人たちの社会がすでにありました。この後紀元70年のユダヤ戦争でエルサレム神殿は再起不能なほどに破壊され、ユダヤ人の多くがイスラエルの地を追い出され、散り散りになっていきますが、それ以前にユダヤ人は各地へ拡がり、逞しく生きていたのです。
「会堂」が各地にありました。ユダヤ人共同体にとって、「礼拝」がその信仰と民族意識を保つために役立っていたようです。安息日には、そこで神を信じる者たちが集まり、「礼拝」を献げていました。いまのキリスト教会の「礼拝」は、このユダヤ人会堂における「礼拝」の形式を踏襲している、とも言われています。
◆説教
聖書の朗読は、恐らく当初から礼拝における重要な要素でしたが、それに対する奨励もなされていたことが分かります。私たちが言う「説教」のことです。どうやら特定の説教者がいたというのではなく、その場で相応しい人が選ばれて説教をするようなスタイルであったように窺えます。イエスも、故郷ガリラヤにて、会堂で指名されたことがあって、イザヤ書を開いたことが、ルカによる福音書4章に書かれてあります。
16:それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとしてお立ちになった。
17:預言者イザヤの巻物が手渡されたので、それを開いて、こう書いてある箇所を見つけられた。
説教は、この朗読の後に、短いけれどもかなりインパクトがあったことを告げました。人々はイエスに反抗し、イエスを殺そうとさえするのでした。
使徒言行録では、パウロが奨励をすることになります。そうしてそのパウロの説教の内容がまとめられています。私たちもこのパウロの説教を聞くことにしましょう。いくらかは端折って、要点を振り返ることにするつもりですが、それでもコンパクトな救いのメッセージを読むとなると、それを読むだけで恵まれるのではないかと思います。こざかしい私の理屈めいた話など、誰も聞く必要がなくなるかもしれません。
◆イスラエル
16:そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。
こうして語り始めたのは、イスラエルの歴史でした。イスラエルの民の神は、全世界を創造した神だと創世記で書かれています。民族のための神へとなったことが自負のようにすらなっていくように、私には思えるのですが、そのことからパウロは始めませんでした。創造物語は印象が薄いのか、当然の前提で言う必要すらないのか、私には分かりません。
イスラエル民族の歴史として、パウロはエジプトから語り始めます。アブラハムの孫のヨセフがエジプトに渡る数奇な運命には目もくれず、エジプトを出るところからです。エジプトの一民族となっていたイスラエルの民は、モーセというリーダーが神に呼ばれたことから、60万人以上のヘブライ人を連れて脱出するのです。
神は、約束の地を示しました。いまのイスラエルの地、またはカナンと呼ばれる地です。そのために、先住民を追い出し、殺戮するという手段をとります。現代の私たちの基準に照らし合わせるのはやめておきましょう。歴史的にそんな力が彼らにあったのかどうかも怪しく、別名イスラエルというヤコブの子の名前をもつ十二部族が果たして聖書の記す通りにいたのかどうか、それも定かではありません。しかし私たちは、聖書の記述に沿って読んでいくしかないわけです。そうすると、残虐な歴史がそこに刻まれているということになります。
そうやって神が与えたとする土地に住みついたイスラエル人たちの歴史をパウロは告げます。ユダヤ人たちにとっては、自分たちが言い聞かされてきた民族の歴史を辿っているに過ぎません。士師と呼ばれる指導者の時代を経て、より強力な軍備をもつために、人々は王を立てることに同意します。最初の王はサウルでした。しかし、サウルはやがて神により退けられるに至り、ダビデが王となります。
このダビデ王は、イスラエルのいわば理想の王となりました。人間的に、しでかした過ちや子育ての至らなさについてはダメさ加減が目立ちますが、イスラエルの繁栄を成し遂げたのは、ひとえにこのダビデの故です。真っ直ぐに主なる神を慕うダビデを、神は嘉しました。ダビデは神を信頼しきったのです。このダビデの子孫から、イスラエルを救う救い主が現れる、と人々は信じるようになってゆきます。
そうしてダビデの子孫から現れたのが、イエスでした。パウロはそれを告げるのに、えらく洗礼者ヨハネについて説明します。悔い改めの洗礼を授けるということが、イエスの救いを準備する重要なポイントになっていたようです。多分に、洗礼者ヨハネという存在が、ユダヤ人たちにとって、非常に大きかったのだろうと思います。ヨハネはヘロデ王に殺されます。しかしこのヨハネこそがメシアだと期待していた人々が多かったのではないでしょうか。そして、パウロの時代にも、このヨハネを慕うような人々がいたからこそ、イエスに先立つこのヨハネを、きちんと説明しておかなければならないかったと思われるのです。
福音書でも、必ずこの洗礼者ヨハネを登場させます。そして、救い主はこのヨハネではなくて、イエスである、そのような強い否定の営みが繰り返されるのです。ヨハネではなく、イエスだ。これを指摘するのが、初代教会の大きな仕事のひとつであったと考えられるわけです。
なお、洗礼者ヨハネについては、当時存在した「エッセネ派」というユダヤ教の、やや外れたグループに関係しているのではないか、という説があります。いまは多くの研究者がそには否定的ですが、何かしらつながりがあった可能性は、否定し尽くすことはできないようにも思えます。
◆イエス
ヨハネがメシアかと勘違いされた記事が聖書には多く、そのたびに、自分は何ら価値のない者だ、と話すことになっています。そしてメシアとして来る方は、イエスなのでした。イエスは、旧約聖書の預言の実現でした。いろいろな奇蹟の業を示し、神の教えを語りました。ただ、預言の最終段階として、そこには十字架というものがありました。
十字架という刑死でイエスは人間たちに殺されます。しかし、墓に葬られたイエスを、神は復活させました。
30:しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。
31:このイエスは、ご自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは今、民に対してイエスの証人となっています。
復活のからだでイエスは弟子たちの前に現れます。弟子たちは、その出来事の証人となります。一歩遅れて、パウロもまたその一人となります。
神は、かつてイスラエルに与えた約束を、このイエスの出来事によって果たしました。死者の中からの復活でした。朽ち果てることがないという真実を示しました。パウロの話では、このことがかなり強調されています。朽ち果てることと、朽ち果てないこととが、明確に対比されています。
朽ち果てないために、イエスによって「罪の赦し」が告げ知らされました。パウロは叫びます。知ってほしい、と。モーセに与えられたあの律法だけでは、ついに義とされることはありませんでした。神により救われる、という信仰を、人は得ることができませんでした。しかし、その律法による縛りから、いま自由になったのです。イエス・キリストの十字架と復活の業が、律法が与える罪というものを、処分してしまったからです。
そのことを信じるかどうか、そこが問題となります。律法を守る行いをしたかどうか、が決定打なのではなくて、信じるかどうか、というポイントに、要点がシフトしたのです。信じるならば救われる。これを侮ることがないように、とハバクク書から引用して、パウロは説教を結びます。
41:『見よ、侮る者たち、驚け、滅び去れ。/私は、あなたがたの時代に一つの業を行う。/人が詳しく説明しても/あなたがたには到底信じられない業を。』
この説教は、アンティオキアの人々の前に、好評であった、と使徒言行録は記録します。ユダヤ人が今か今かと待ち焦がれていた、イスラエル復興の救い主メシアが、イエスとして現れた、という主張については、どこまで信じられたか分かりません。信じられないにしても、何か希望の光が射したのかもしれません。ユダヤの従来の教えに反するものとして、あるいは冒涜的なものとしては、聞こえなかったようなのです。
42:パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。
これはうれしい反応でしょう。いまのキリスト教会の礼拝説教が、このような形で、礼拝後に語られているでしょうか。礼拝説教が、大切にされているでしょうか。よく考えてください。また、続いて、説教者としてのパウロたちが、礼拝後に説教に関心をもつ人たちに対して、どんなステキな反応をしたのか、最後の節を味わうとよいと思います。
43:集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を崇める改宗者とが付いて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。
◆教義
以上が、パウロが「こんな説教をしましたよ」式に記事にされた内容でした。「こんな説教をしましたよ」と示すのが、使徒言行録の役割だったのかどうか、不思議に思いませんか。私にはとてもそのようには思えないのです。パウロがこんなふうに言いました、とわざわさ後世に伝えるために、これが書かれたようには思えないのです。
これは、教育のためのものではなかったでしょうか。いわば、これがキリスト教の教義だ、信じることはこういうことだ、として置いたのではないかと思うのです。
だったら、教義らしく形を調えて書けばよかったのに、と思う人がいるかもしれません。そうではないと考えます。当時の常識として、こうした大切な教えは、物語形式で記すのだったと思うのです。ギリシア神話も、壮大な叙事詩として書かれました。古代中東の各神話も、物語で遺されています。詩として、いわば謳い次がれるものとして、後世に託されたのではないでしょうか。プラトンの哲学も、対話篇としてすべて書かれ、それこそが哲学だとされたのも、少し似た感覚があったのかもしれません。
パウロが語ったことを録音して起こす、などといったことができたわけではありません。パウロが本当にこの通りに語ったかどうかは、分かりません。ただ、当時の教会にとって、人々に説明するためには、このようなことを言えばよいというカテキズムがあって、それを正式な文書という形で遺すところに、大きな意義があったのだと思うのです。教会で何を証しするとよいのか、教会の仲間に加わるならば何を信じなければならないのか、それがはっきりと打ち出されたのです。
私たちにも、それは向けられていると信じます。どうぞこのメッセージの後にも、時間をつくって、この説教をゆっくりと味わってください。キリスト者の方は、自分が信じていることはこういうことなのだ、と読むのです。心が震えてくるかもしれません。いえ、震えてほしいと思います。
中には、もしかすると「自分はこんなことは信じていないぞ」と言いたくなる人がいるかもしれません。あるいはまた、自分が如何に不信仰だったのか、思い知ることになる人がいるかもしれません。それはそれでいいと思います。誤った方向に進んでいることを、正しいと勘違いしなくて済むようになるからです。気づいてよかったのです。そして悔い改めることによって、方向を修正するのです。神は、悔い改める魂を殊に愛するからです。
◆立つというよりも
さて、「メメント・モリ」という言葉があります。「死を覚えよ」という厳粛な響きで、普通受け止められています。元々、「今を楽しめ」という、享楽を勧める合言葉だったとのことですが、聖書の思想がヨーロッパに浸透していくと、「死」を弁える言葉と考えられるようになりました。哲学者ハイデッガーが、20世紀にこの「死」を見つめるあり方を強調したことも、ひとつには「メメント・モリ」の伝統の中にあったのかもしれません。
ハイデッガーは、「死」はそれなりに意識しているにせよ、ひとはせいぜい他人の死を経験するばかりで、日常的には「死」のことなど気にせず忘れている、いわばふぬけた生活をしている、という事実を指摘しました。そうであるにしても、病というものは、残された時間をある程度突きつけられることにもなります。そのとき、聖書の言葉は、ますます強く迫ってくるものと思われます。今日は詩編102編を開きました。
24:主は道半ばで私の力を挫き/私の生涯を短くされた。
25:私は言う。/「わが神よ/生涯の半ばで私を取り去らないでください。/あなたの歳月は代々にわたります。
私はいまはその宣告を突きつけられているとは言えませんが、これが切実に響く人もいるだろうと思います。まことに、詩編はひとの心の奥深くを探ってくるものです。しかし、この詩は、表題にあるような「苦しむ人」という人間だけのものでしょうか。あれほど詩編を胸に刻み、ことある毎に口にしてきたのです。これはイエスの心情をも表しているように重ねてはいけないでしょうか。
イエスは、特にヨハネによる福音書において、父と差し向かいで対話を続けます。他の福音書でも、「父よ」と距離感を縮めた呼びかけによって、父なる神と交わります。この辺り、イエスが神であるのかどうか、というふうに、表現がひじょうに難しいのですが、いまは人となったイエスの立場を、私たち人間と同じように置いて捉えることにします。
イエスでさえ、父なる神を見上げて、このような苦しい気持ちを懐いていたのだとするなら、これは正にイエスの叫びでもあったはずです。
ご存じの方も多いと思われますが、新約聖書で「立ち上がる」というのは、「復活する」とも訳されることのある言葉で書かれているとされています。しかも、聖書の中では「イエスが復活した」というような書き方は殆ど見当たらず、基本的に「復活されられた」と表現されています。あるいはズバリ、父なる神が復活させる、という言い方も多数あります。
また、終わりの日にはそのイエスが人を復活させる、という言い方も、ヨハネによる福音書6章で立て続けに出てきます。それは、「立ち上がらせる」とまで言うことはできないかもしれません。しかし、私たちが「立ち上がらされた」という捉え方で、それを神が復活させる意味に受け止める可能性も残されているとしたいように思います。
つまりは、私たちが、自分の力で立ち上がろうとする必要がない、ということです。なんでも自分で、自分が、と肩に力を入れてしかめっ面をしなくてよいのです。所詮立ち上がらせて戴く敷かないのです。もちろん、私たちが互いに声を掛け合い、「立ち上がろう」と励ますことが悪いはずはありません。それは尊いものです。けれども、それを自分の足で、自分の力で、と気負わなくてもよいのだ、ということです。
命の瀬戸際にある人に、安心せよ、と私などはとうてい言えません。しかし、それが言える方はいます。詩人が神に声をかけたことを、イエスの声と重ねて響くように聞いてみるのです。
28:しかし、あなたは変わることなく/あなたの歳月は終わることがありません。
聖書で「立ち上がる」というのは、その人がこれから行動を起こすことをも意味しました。神に立ち上がらせて戴いたなら、復活の命を与えられたなら、神を信じる者は、きっと何らかの行動へと導かれることでしょう。使徒言行録が信じる者に伝える言葉を受けて、私も勇気を与えられたい。聖書の言葉に支えられて、立ち上がらせてもらいたい。否、すでにもう、神の言葉により、立たせられているはずです。私はいまそう感じています。そう信じています。そして、私ばかりでなく、たぶん、あなたも。
29:こうして、イエスについて書いてあることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。
30:しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。
しかし、神はイエスを死者の中から
復活させてくださったのです。(使徒13:30)