天使はいる

2023年8月17日

8月半ばの休暇を利用して、京都の福知山に行った。妻の実家である。が、すでに実家と呼べる家はない。必要以上の詳述は避けるが、施設の義母との面会の機会を得たのである。面会時間は多くとれても30分程度。福岡から新幹線、そして山陰線を特急で向かい、福知山駅前で一泊する。翌午前中の面会を終えて、午後に帰宅という計画である。
 
神が直接目の前に現れるという事態から、私たちは守られている。その目で神を見た者は死ぬ、というのが古来イスラエルの常識であった。もしかすると、見た者がいたかもしれない。だが、それは神ではなく、天使だった、とすることで、命を長らえた、というケースがあったかもしれない。だが、今の私たちには、実際の人間が、助け手として目の前に現れるというケースがあろうかと思う。
 
日曜日の朝の礼拝にリモートで参加し、語られた神の言葉を胸に、正午過ぎの電車で、旅が始まった。いまここで、その過程をすべてご紹介するつもりはない。ただ、台風の接近で懸念された列車の遅れなどもなく、スムーズに事が運んだことだけでも、私たちの弾丸ツアーが守られたことは、確かである。新幹線から特急への乗換えは、指定席であるため、ダイヤの乱れは厳しい情況をつくるのだ。すべて、やっとのことで1か月前に予約できた席であった。
 
ホテルの予約には、妻の兄が尽力してくれた。これもようやく予約がとれたものだった。行くと、最上階で見晴らしがよく、見慣れた街がまた新たな魅力で目に映るのだった。
 
私はコロナ禍になってから、福知山を訪れていない。その間、義父の病のために、妻だけが危険を冒しつつも何度か往復した。その葬儀なども、妻ひとりが行くこととなり、私は悔しい思いを抱いていた。久しぶりの街の風景だが、そう大きな変化はなかった。福岡は、天神の変化が著しく、郊外のベッドタウンも大きな店が次々と現れている。だが福知山は、その前に駅が改装されたほかは、特段大きな変化を感じることはないと言えた。
 
私は、大切な時に駆けつけられもせず、気が重かった。申し訳ない気持ちで一杯だった。それまでは毎年必ず車を半日走らせて訪れては、妻の実家に数日宿泊させて戴くという夏休みを過ごしていた。その度に訪れたラーメン屋さんに、夜、久しぶりに行ったのもうれしかった。最近の物価高騰でどうなっているか不安だったが、そんなに大きな値上げがなされているわけではなかった。ただ、店員に日本人でないアジアからの留学生らしい人が混じっていたのは、以前はなかったかな、とは思った。
 
翌朝、義兄が迎えに来てくれた。一番申し訳ない瞬間であったが、気さくな態度で迎えてくれ、私は許された気持ちで感謝した。ここから、義兄が、いつも私が義父母を連れてまわった墓参箇所と、葬儀のあった寺をまわってくれた。とくにこの寺は、私は初めてであり、実は地元では有名な大きな寺だったため、広い境内をしばし散策することが実に気持ちよかった。
 
施設の面会時間を過ごした。先般までは、ガラス越しとマイクでの会話だったというが、いまは面会室が許された。義母の涙を受けて、私はまたも許された思いで一杯だった。20分間くらいが基本だったが、施設の人も細かく干渉することはなかった。ここにも、天使の配慮があったものと思っている。
 
義兄は、私の次男が挨拶に来たときにも足となってくれ、昼食を準備してくれた。私たちも同様に与った。何から何まで申し訳ないくらい、ありがたかった。
 
すでにこうしたことすべてが天使の業であったことは否めないが、本筋は実はここからである。切符をとっていた特急までは、まだずいぶん時間があった。また、それだと京都駅で少し際どい乗換えとなる。台風7号の上陸を見据えて、すでに翌火曜日の大多数の在来線の運休と、大阪名古屋間の新幹線の計画運休は決まっていた。嵯峨野線は、動物支障も時折ある。そのときすでに列車の運行に問題があったわけではないが、特急を1時間早めることが安全であると考えられた。特急の指摘券を変更することは可能である。が、みどりの窓口は、台風のために急遽予定を変更して、新たな券を求める人の行列ができていた。
 
あと20分で、当該列車が発車する。駅員に尋ねるが、並んで変更するしかない、と素っ気なかった。まあ、京都でお土産を探す時間がなくなるだけのこと、乗り換えは普通に走ってくれれば問題ない、とは思ったが、それでもお世話になった方々のために、お土産をゆっくり見たかった。また、私は私の趣味の店を一目見たかったという事情もあった。だが、行列から考えるとどう見ても無理だった。なんとか乗れないか、との願いは、風前の灯だった。それでも、心の中では諦めてしまわなかった。なんとか、なんとか、と。
 
そのとき、若い男性職員が現れた。特急にお急ぎの方は優先して対応します、とアナウンス。私たちは、すかさず申し出た。該当する人がもう1人いて、前方にいたので、私たちは2番手となった。少し望みが出てきた。だがその前の人が、ややこしい買い換えをするので、時計の針は発車時刻まで4分、3分、と無慈悲に動く。対応する窓口の女性職員が画面を操作する指の動きは、殆ど神業だった。ひとつの券を発行するために、これほどキーを押さねばならないのかと驚いたが、そのスピードと顧客対応は、プロ中のプロだった。
 
結論、私たちは1分前に券の変更ができ、ホームに駆け上がった。列車に乗り込んで後ろを振り向いたところでドアが閉まり、発車した。間に合ったのだ。
 
私は電車の天井を見上げると、胸が一杯になった。天使だ。天使は本当にいる、と神に改めてひれ伏す思いだった。あの呼びかけた職員、信じられないくらいの指の動きでチケットを変更した女性職員、急ぎでないために順番を譲ってくれた行列の人々、皆が、天使だった。
 
京都駅へはスムーズに着いた。お土産を十分選べ、満足した。新幹線は快調に走り、滞りなく帰宅できた。無事に運んでくれたのも、すべて天使の守護であったことに違いない。
 
福知山は、その数時間後、台風7号の動きに影響を受けた線状降水帯に見舞われ、周辺の舞鶴や綾部を含めて、多大な被害を出すに及んだ。福知山は、由良川という大きな川と、低地にある街のため、古来水害に悩まされてきた。そのために城主明智光秀は治水事業を興し、堤防を築いたことでも知られている。しかし近年も度々洪水に見舞われ、市街地も浸水被害を受けるところが多々あった。
 
今回の被害は、ひとつには、訪れた寺の方面の、舞鶴へ向かう道路がダメになったのと、義母の施設のすぐ近くの川の水位が氾濫寸前まできたなど、つい少し前に見た景色が、大いに変わったことに、震えるような思いがした。そして、もし面会予約が1日遅かったら、到底会えなかったであろうし、交通機関から考えて、身動きも取れなかったはずだったのである。
 
切羽詰まった時の思い、それは体験した者でなければ分からないものがある。皆さまも、ギリギリのところで、いわば嘘のようなことが起こり、助けられたという経験をおもちの方もいることかと思う。数々の偶然が重なって、ようやくひとつのことができたという経験である。ただ、それらが偶然ではない、という確信があったとき、それは神の業であったに違いないし、姿を現さない神の故に、現実に手を貸してくれた人々は、神が遣わしたものであったのだ。
 
確かに、天使はいる。



※ ある意味で、ずいぶんと自分勝手な見方ではある。この台風が災いとなっている人が多数いることを、横目で見ているわけではない。そして、そこに天使がいたとかいないとか、そうしたことを持ち出すつもりはさらさらない。災害に見舞われた方々や関係者のためには、離れたところからではあるが、祈ることしかできないことを申し訳なく思っている。助けと慰めがあるように、と心から願っている。


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