【メッセージ】母の不条理
2023年5月14日
(マルコ7:24-30, 士師記17:1-6)
■聖句
◆母という存在
アメリカで、もう百年以上昔、アンナ・ジャービスというひとりの女性が、亡き母を含むすべての母たちのために、記念式典を開きました。アンナがまだ少女の時代に、母は、その子がいつか母の日をつくると、聖霊に教えられていたことが、実現したのです。
アンナは、「白」という中に特別な思い入れをもって、白いカーネーションを式典の出席者たちに贈りました。母の日のために語ったことは、人々の心を動かしたのみならず、花やカードの企業を動かします。アンナはこれと闘うことになりましたが、ついに勝てませんでした。そして、アンナ自身は結婚もせず、母とはならずに生涯を終えました。
この記念式典の開かれた5月10日の時期を以て、5月の第二日曜日がアメリカの「母の日」と制定されたのは、1914年のことでした。日本には日本の「母の日」がありましたし、世界中では、3月から5月あたりを中心に、実に様々な日付の「母の日」があります。しかし今日は、日本でもポピュラーになっている、アメリカ式の「母の日」を用いて、母にまつわるメッセージを送りたいと思います。キリスト教会が舞台として始まったからです。
言い訳めいたところから始めますが、男とはどう・女はどう、というような言い方は、あまりしたくないものだと考えています。が、子どもがいるとなると、その親がいることになります。その子を産んだ母と、産んだのではない親である方の父とがいる、という考え方でお許し下さい。もちろん、母とはこういうものだ、と決めつける言い方はしないつもりです。ただ、「えてして」というくらいの言い方をすることがあります。ご理解ください。
父というのは、子の親であるが、産むことができない側のことです。私もその父たちのはしくれでありますが、えてして「理」にのせて物事を考えがちです。筋の通ったことを重んじ、時に情が働いても、理を通すほうに、子を差し向けてしまいます。
父の役割たるや、ローマ法においては絶大なものがあったと聞きます。生まれた子を認知する権利があり、その子を遺棄したり、売り飛ばしたりすることもできたそうです。また、フランスのルソーは、教育論でも有名な人物です。子どもの自発性を大切にし、「子どもの発見者」とまで言われています。そのルソー、素行のよくない点も見られるにしても、5人の子を孤児院に送ったことを自ら告白しています。
但し、こうした記録は、今の私たちの常識からするとあまりにも酷いようにも見えますが、たとえばルソーのいた18世紀のフランスでは、パリだけで年間数千人の捨て子があったらしく、経済的に苦しいなどとなると、ルソーのしたことはなんら珍しくないことだった、とも言われています。社会常識の範囲内だったのです。ジャービスが徹底的に闘った商業主義の「母の日」を、いま私たちは普通に受け容れてしまっていることも、省みる必要があろうかと思います。
◆条理と不条理
さて、少し元に戻りますが、父というものは、「理」と共に子に接することが少なくない、という点に先ほど触れました。これをここから「条理」と呼ぶことにします。
かつて「国のために死ぬ」ということを名誉として子に語った父がいたのではないでしょうか。それは一人の親としては耐えがたいことだったでしょう。しかし、この国の情況からすると、皆が進むべき条理であるとして、それを通すのが父であると考えた――自らに言い聞かせたかもしれません。筋道を通すものが、情に優先するべきだ、などとして。
そのとき、母はどうしたでしょう。「お国のために」と口にはしていたかもしれません。でも、父のほうに従うという素振りの中で、情の強さは、その条理を超えていたのではないか、と想像します。
母にとり、子は、元々自分の身体の一部でした。最初は間違いなく、自分の一部でした。そこに身を削って九ヶ月余り宿して、それから世に送り出した子です。頭で考える条理よりも、確かな自分の存在がそこにあるのではないかと思います。それは、いわば「不条理」なものである、とも言えることになります。
だから、「こんにちは赤ちゃん」などと母は歌わないだろう、と以前お伝えしたことがあります。あの歌詞が男性であることが見破られた、という話です。胎内からいつも一緒にいて、自分の一部であるわけですから、「こんにちは」だなんて、挨拶をすることはないだろう、と。
自分の中の感覚というものは、とても大切です。かつては宗教も、それが自分の中で実感できるものだったからこそ、栄えたのでしょう。しかし、宗教が教義を確かにし、組織として構築されていくうちに、宗教の中で「条理」が確立すると、もしかすると、だんだんその「自分の中での実感」というものが薄れてしまうことがあったかもしれません。おまけに、宗教抜きで社会生活が成り立つような時代になって、伝統宗教が、ただの「条理」になってしまっても、不思議ではなかったことでしょう。
空飛ぶ円盤だの宇宙人だのといったものに、熱中する人々がいます。ニューエイジなどと呼ばれる現象は、新たな精神世界を私たちに見せるようになりました。彼らは、自分の中で実感できるものを納得している側面がある、と言われます。ですから、たとえば終末予言に熱を入れることがありますが、それが規定の時に終末とならず、いわば予言が「外れた」としても、自分の中の感覚で説明する道が与えられると、「条理」は問題にならないのだ、というような分析がありました。超常現象は、彼らにとって真理なのです。
科学的にそれらが否定されようとも、自分の感覚や判断を大切にすることができるからです。いや、科学は客観的な事実でしょう、などと論破できるとお思いですか。結局科学理論も現象も、私たちに立ち現れてくる表象である点では、超常現象も科学も変わらないとすることができるわけです。
伝統宗教の立場からすると、新たな宗教がそのように広まっていくのは、よろしくない、と否定したくなるかもしれません。しかし、伝統宗教も、見えない神を信じると言い、奇跡や癒やしなど、いうなれば不条理なことを含んでいるはずですから、その教義も、自分の中の感覚を正当化するための理屈であるに過ぎない、としてしまうことになる可能性があるのです。
◆ミカの母
母は、不条理なものを含んでいる。もちろん、決めつけた言い方をするつもりはありません。便宜上、そう言っているに過ぎません。でも、子に対する母の感覚や感情は、ほかの誰かが否定できるようなものではないに違いありません。母はこうあるべきだ、などと押しつけることももちろん慎むべきです。自分の分身であるかのような子に対して、理屈に収まらない不条理なものを懐いていることを、とやかく言う必要はないのです。
ここに、ミカという息子が現れます。モーセがイスラエルの民をエジプトからカナンの地、いまのイスラエルのある地に導いて後のことでした。まだ落ち着いた組織を、イスラエル人たちが統一していることはなく、それぞれの民族がそれなりの自治をしていた時期でした。
ミカ、その名は、神のような者、という意味を思わせる名であった、と理解されます。あるとき、ミカが母に告白します。母の銀1100シェケルを自分は盗んでいました、と。何故に告白するに至ったのかは分かりません。その金額も私たちにはピンときませんが、この話の続きで、レビ人を自分専用に祭司として雇うとき、年俸銀10シェケルとしていることからすると、1100シェケルは膨大な金額であったことが推測されます。人の年俸の百倍以上の金を母親から盗んでいたというのは、尋常ではありません。もちろん、それだけの財産をもっているということも、私のような者からすると、想像を絶しています。
母は、その銀を失ったとき、呪いの言葉を吐いていたと息子が言っています。それはそうでしょう。しかし息子が打ち明けたとたん、ただちに母は、「主が私の息子を祝福されますように」(2)と答えています。できた親です。父はこの場面に出てきません。これは「主に献げたもの」だとも言っていますので、母の意のままに扱える財であったように見えます。当時母とは、息子に対してそういうふうに言うべきものだったのでしょうか。だとしても、この罪の告白に対して、あまりにも不条理な対応であるように思えないでしょうか。
主に献げた金であるのは、「息子のために彫像と鋳像を造ろうとしたもの」(3)であるという意味のようです。息子が返した1100シェケルのうち、200シェケルで鋳物師に像を造らせていますから、1100シェケルすべてを主にその目的で献げていたのでもないところは、筋が通りません。尤も、先の祭司の年俸からすると20年分ですから、とんでもない額であることも確かです。しかしそもそも、偶像を造ってはならないはずのモーセの時代に続いて像を造るということも、どうにも不条理に見えて仕方がありません。
この息子のミカは、その像を自分の神殿に置いたようです。個人が神殿をもっているとは、なんという金持ちでしょうか。エフォドとテラフィムも造っていたといいます。どうやらどちらも偶像のようですから、これらはもう偶像のオンパレードです。その神殿の祭司は、自分の息子の1人を充てていたとも書かれています。なんだかまともに読んでいられなくなりました。
その後、先程から挙げていますように、ミカはちゃんとしたレビ人の祭司を雇うことになり、これで正式な祭司が得られたと喜んでいる(13)ようなので、息子は全くの私的な祭司であったことが分かります。
6:その頃、イスラエルには王がいなかった。そして、おのおのが自分の目に正しいと思うことを行っていた。
士師記の記者は、幾度かこのフレーズをもってきます。まだ王が立てられる前のことだという情報だけではなく、「自分の目に正しいと思うことを行っていた」というのは、どうもよくない評価をしていることを伝えているように見受けられます。神を基準にするのではなく、自身の判断を以て正義の基準にしていた、というのは、イスラエルの歴史にとり、悪いことであるはずです。
◆不条理に基づく条理
当時は、エジプトを出て、神の約束したカナンの地を目指して40年の旅をしてきた後の時代のことです。モーセは力尽き、ヨシュアがこの地に侵入する大将となりました。それが良いか悪いかは別として、ともかくイスラエル民族は、落ち着いた生活を始めたことになります。ヨシュア亡き後は、十二部族それぞれが、それぞれの自治を行っていました。
元々その地にいた人々との軋轢もあったでしょう。彼らを追い出したわけではありません。とりあえず住み分けて生活していたふうでもあります。「偶像禁止」の項目が厳格であったとは言えない時代のようです。
いまでもそういう家はありますが、半世紀前辺りの日本だと、家に仏壇があり、神棚があるのがあたりまえでした。クリスチャンとなった人にとり、家の仏壇をどうするかは重大問題でありましたし、中には仏壇や神棚に手を合わせつつ、教会に来ていた人もいただろうと思われます。
それならば、ミカの家の様子も、さして珍しいことだと見るべきではないし、早計に非難することもないし、即座に見下すようなことは控えましょう。
それにしても、裕福です。そして、この母の行動や考え方は、少なくとも私には、不可解です。この後、ミカの家が強盗に襲われる話が続きます。この高価な偶像も、せっかく雇った祭司も、奪われてしまいます。勇敢にも追いかけたミカでしたが、体よく追い払われ、命まで奪われることがなかったのは、むしろ幸いでした。母はその事件のときに登場しませんから、まだ豊かな家だった時代に、息子の暮らしぶりを楽しんで眺め、見届けたということなのかもしれません。
先ほど申しましたように、「その頃、イスラエルには王がいなかった。そして、おのおのが自分の目に正しいと思うことを行っていた」(6)というのが当時のイスラエルの民の暮らしぶりでした。それは後の律法に従うイスラエルの人々や、そこまで従わなくても聖書を知る私たちの目からすれば、どうにも不条理な事態であるように見えておかしくありません。しかし、そうした不条理を、実は彼らなりに彼らの条理として、逞しく生きていた、そのように私たちは理解しておくのが無難であるような気がします。
◆母は死ねない
子どもが与えられないが故に、苦しむ母の物語が、聖書にはいくつも出てきます。子を産まない女は居場所がなかった社会だった、とも言われます。なんのことはない、日本でもそうでした。子が生まれない女は家を追い出されるような時代がありました。跡取りを産めない嫁はその家に残れない、という常識があったわけです。そのため、明治時代の離婚率はいまよりよほど高かったことが分かっています。
但し、今日は母という立場から事態を見つめています。この件については立ち入ることを控えます。が、ひとつ思い起こすのは、預言者エリヤを家に迎えた女の話です。息子と2人で、最後のパンを食べて死のうとしていた時に、エリヤが身を寄せてきます。そしてかめの小麦粉と瓶の油が絶えない奇跡を以て彼女を救いました。が、後にその息子が病気で死んでしまいます。母は、「あなたは私の過ちを思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか」(列王記上17:18)とエリヤに不満をぶつけます。エリヤは、その子を生き返らせます。すると母は態度を変えて、「あなたが神の人であることが、たった今分かりました。あなたの口にある主の言葉は真実です」(24)と言ったというのです。
この態度の急変はともかくとして、母が子の病や命をどのように受け止めるか、その思い入れたるや、只事ではないでしょう。子に対する母の思い、そういう実例が集められた本が、いま話題になっています。『母は死ねない』(河合香織・筑摩書房)という本です。
重い本です。一つひとつのエピソードはそう長くありませんが、逆に言うと、それだけたくさんの母の声が収められています。子どもを殺されたという母の言葉は、読むだけで胸が締め付けられそうになります。障害を負った子とどのように生きていくか、問われるケースもあります。母となる覚悟のようなものがそこにあり、また、母となった故の痛みというものも伝わってきます。いえ、私にそれが伝わったとか、分かったとか、軽々しく言うことはできません。ただ、理屈で処理することのできない何かがそこにあることは、感じられました。辛い告白の多い本ですが、特に私のような鈍感な者は、じっくり向き合う必要のある心の叫びだと思いました。
私は小さいころ、よく熱を出していました。当時、往診というものがどのくらいなされていたのか知りませんが、毎月I先生と看護婦さんが訪ねてきました。そう、毎月です。父の仕事が忙しかったので、医院に連れて行くことが難しかったのでしょうか。負担も大きかっただろうと思います。殆どもう恒例行事のような発熱なので、大きな病気にはなりませんでしたが、もっと小さいころには、電車が通る鉄橋の近くに住んでいたため、その音で当時「自家中毒」と呼ばれていたような症状を示していたらしいので、ずいぶんと心配されていたに違いありません。
姉たちとは歳の離れた末子でしたので、創世記のヨセフではありませんが、可愛がられていたと思います。母が私を叱ったという記憶がありません。その点、父には厳しく叱られたこともありましたが、それがなければ本当に甘やかされてダメになっていたことでしょう。
年齢が二桁になると、急にそうした発熱はなくなりました。思春期を迎え、当然母親としては私を叱り、また追及しなければならないような事態にもなったことがありました。それは、先のミカのように、叱られて当然のことでした。が、私に対してそういう態度は結局とりませんでした。ミカの母親と同様でした。私が甘えていたのは確かですが、それでも、どうして母が問題にしないのか、不思議に思うこともありました。やはり何か不条理な対応であったのです。
◆小犬の信仰
新約聖書にも、多くの母が登場します。イエスの母マリアについて触れるのもひとつの道ですが、あまりにも特異な例となります。普通の人間としての母の思いとして、シリア・フェニキアの生まれの女に光を当てることにしました。
ティルスの地方にイエスが足を伸ばしたとき、その女と出会います。ティルスというのは、イスラエルの北、ガリラヤよりもっと北の、フェニキアと呼ばれる地域にある都市です。ユダヤ人のための場所ではなく、外国と呼べるようなところです。どうしてイエスがそこに行ったのかは分かりませんが、マルコは「誰にも知られたくないと思っておられた」(24)と記しています。その前に、ガリラヤで人々から追放されたり、洗礼者ヨハネの死を知ったりしていますから、明るい気分ではなかったかもしれません。その後奇蹟や癒やしを示しますが、エルサレムからわざわざやってきたファリサイ派の人々や律法学者たちに攻撃されて、嫌な気分だったかもしれません。
イエスは外国に逃れるように移動した、と読めそうです。しかし、顔の知れた者は、売れっ子芸能人のように、どこに行っても見つけられてしまいます。あの癒やしのイエスが来た。この女は、娘のことで悩んでいましたから、イエスの出現を聞くと、いてもたってもいられなくなり、駆けつけてきました。
26:女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。
悪霊ということについては、いま拘泥しません。精神病だとかなんだとか、現代的な理屈をつけるのは控えます。そんなことではないのです。怪我をしたとか、明らかにどこが悪いとかいうのではなく、どうにも手が付けられず、不健康なのです。ただ、問題は、これが異邦人だということです。つまり、イエスが福音を伝えているイスラエルの民ではありません。同じ人間だから癒やしてやる、というのが私たちのお節介なイメージですが、イエスはここで、冷徹な態度をとりました。
27:イエスは言われた。「まず、子どもたちに十分に食べさせるべきである。子どもたちのパンを取って、小犬に投げてやるのはよくない。
マタイによる福音書では、自分はイスラエルのためにしか遣わされていないのだ、とまで言い、拒否を正当化しています。こんな冷たいイエスは、あまり見ることがありません。しかしこれは、この母の信仰を明らかにする契機となりました。彼女は怯みません。めげません。イエスに答えます。
28:女は答えて言った。「主よ、食卓の下の小犬でも、子どものパン屑はいただきます。」
「小犬」というのは機転だったとも見られます。教育を受けた、知恵のある女性であり、だから裕福な家の人だったであろう、と理解する人もいます。これはどんな意味か。するといろいろな解釈が出て来ます。断定的に説明し、これが正しい、と強調する人もいます。でも私はそのようにはしません。これをどう受け止めるかは、その人次第だと思うからです。
確かなのは、この本当をイエスが褒めたことです。
29:そこで、イエスは言われた。「その言葉で十分である。行きなさい。悪霊はあなたの娘から出て行った。」
たぶん、褒めたのです。が、そうではないと読む人がいてもよい、と私は思います。「その言葉で十分である」とはどういうことか、と訝しく思いませんか。新共同訳は「それほど言うなら、よろしい」となっており、口語訳は聖書協会共同訳とほぼ同じでした。新改訳2017は「そこまで言うのなら」でした。
乱れています。道に迷ってしまいます。そのようなときには、元の場所に戻ること、つまり原文に一度戻るとよいのではないかと思います。ギリシア語の直訳は「この言葉のゆえに」です。「この言葉の故に、行きなさい」とイエスはこの母に言ったのです。
母の言葉の故に。それは、果たして条理に合っていたのでしょうか。それがいま私たちが向き合っている課題です。食卓の下の下の小犬でも子どものパン屑はもらう、という答えが、理に適っていたでしょうか。
小犬は、イスラエルとは違う外国の者を示していることは明らかです。自分は外国人です。小さな存在です。自分は小さな者です。――だから? だから、「悪霊を追い出して下さい」といくのですか。欲しいのはパン屑なのですか。その言葉の故に、イエスは癒やしたのでしょうか。
そうかもしれません。ここは、異邦人の信仰を褒めたのだ、とする見方も当然それで良いのです。異邦人の信仰をはっきり褒めたのは、家来を癒やして欲しいが言葉だけを下されば癒やされると言った、百人隊長だけなのです。二人目が、このギリシア人の母であってもよいのです。
でも、それは条理に基づくものだったとしていくべきなのでしょうか。イエスがイスラエルの救いのために――つまり子どもたちに食べさせるために――活動していることは分かっています。それなら条理です。この母もそれは分かっていたのです。けれども、小さな外国人として、イエスの視野に入ってなどいなかったにも関わらず、今こうして娘のために癒やしを願っている一人の母は、どこか不条理を申し出ているとは思えないでしょうか。
◆ひたすらなる愛
母が皆すべて、と言っているつもりはありません。ひとつのモデルだとしてお話ししていることを、どうかご理解ください。聖書自体が、女性に対して厳しい差別的な言い方をたくさんしている、という点も、見苦しい弁解はしないつもりです。しかし、ここで私が「母は不条理である」と言っているのは、その「不条理」が悪いからではないことを、感じてほしいと思うのです。
条理とは何でしょうか。人が理解できる理屈です。人が納得のいく論理です。人間がなるほど筋が通っている、と普遍的に捉えうる考え方が「条理」です。しかし、母が切実に訴えたものは、そのような条理を蹴散らすパワーというものがあったように思います。情念だとか執念だとか、いろいろな言葉が用意されているかもしれませんが、ただの自己本位な願いであるとか、わがままであるとか、そう片付けてはいけないものを、そこに見出すことはできないでしょうか。
自分の子どものために祈り、叫ぶ母を、それは自己中心で自分の子さえ助かればよいというエゴだ、などと非難することさえあるのが、カルト的なキリスト教です。そんな自我は棄てなさい、そういう自分に死に、万人の幸福や、神の御心が成るように、と祈ることこそ、クリスチャンなのです、などと信仰深そうに、敬虔そうに、悲しむ母に言葉をぶつけることさえ、するのです。
ミカの母親は、奇妙な親バカだったかもしれません。ギリシア人の母は「その言葉の故に」と、イエスはその奇妙な反論の前に、イエスの言いたいことを引っ込めてしまいました。このことから、私たちは何々しましょう、などという教訓はちっとも感じられません。どちらも子どものために、精一杯のことをしようとした母でした。理屈で気持ちよくまとめることのできないような、母の姿でした。
聖書の人物やその信仰を、お手本としなければならない、そんな条理に、いまの教会は時折囚われてしまっていないか、考えさせられます。教理や教義で、信仰はこうです、と決めつけるようなことは、教会が昔からしてきたことです。それが、ブレそうな思想から守るために役立ったこともありますから、それを一概に否定することはできないと思います。しかし、それだけが押し通されるしかない、という決め方は、危うくないかと案じます。
ファリサイ派の人々は、聖書聖書などと口では言いながら、言い伝えを重んじているではないか、と、この直前の場面でイエスは批判しました。
こうして、あなたがたは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。(マルコ7:13)
聖書聖書と言いながら、教義や解釈、特定の神学者の意見を実は根柢に置くということで、神の言葉そのものを無にしているのではないか、私たちは問われているものと考えます。
母の愛は、どんなことがあっても子を守りたい、その一心でした。母の愛は裁きませんでした。条理で裁かないのです。神の愛は、しばしば父の愛と重ねられて喩えられることばかりですが、もっと別の面で、つまり母のような愛で、神の愛を経験したいと思うのです。神の愛は、父の愛に限定されてよいとは思えないのです。人間が理解できた程度の条理を金科玉条のように掲げて、それ限定で何もかもを判断しなくてよいはずです。理屈はいりません。ただあなたを守る愛があります。イエス・キリストの愛も、そのようなものだったと強く覚えます。だって、こんな私が救われたのです。世の中でこんな不条理なことがあるでしょうか。そう思うから、私はこのように、強く申し上げるのです。
あなたの命が棄てられるときに、母は死ねない、と多くの母があの『母は死ねない』という本で叫んでいました。イエスが命を棄てた愛は、あなたの命が棄てられないためのものでした。「主が私の息子を祝福されますように。」ミカの母の言葉が、ずっと心に響いて残ります。