ペトロの失敗の向こうに
2023年4月6日
受難週の祈りの場に招かれたとき、ペトロの否認の場面が開かれた。その後、初代教会の主軸となったペトロからすれば、恥ずかしい話である。だが、それはペトロ自身が、教会で繰り返し説いて話したからこその記事であるのだろう、という紹介があった。今日はそのことについて祈ろうと思う。
もちろん推測ではあるが、長老ペトロは、もちろん失敗を誇示するつもりはなく、自分はこんな失敗をやらかした、と痛恨の思いで幾度も語ったに違いない。そして、書き遺すことになった福音書という新たな、特殊な文学形式の書においても、必ずそれは伝えてくれ、ということになっていただろうと思われる。弟子としての証しのために、そして何よりも神の福音宣教のため、人を生かすメッセージのために。
ペトロは、自分の失敗を、ただ話のタネにしたかったわけではないだろう。知らせたいのは、それを主が赦してくださったという世界だ。主の愛を、主の栄光を、知ってほしい。あなたも体験してほしい。だからこのイエスのことを、伝えなければならない、との使命感をもっていたものだろう。
ペトロが、主を否んだこと、いうなれば裏切ったことについて、それを直接赦されたという記事はない。本当に主は赦したのだろうか。ペトロは赦されたと思ったのだろうか。鶏の声を聞いて泣いたことの向こうに、何があったのだろうか。
復活の後、直にペトロが主イエスと対話をしたのは、ヨハネによる福音書における、例の羊を飼う場面である。友として愛するのか、無条件で愛するのか、その言葉遣いも気になるところであるが、聖書にしても、「アガペー」がすべて公式的に、神の愛を表しているわけではないから、解釈というものは公式的に済ませるべきものではない。ペトロはあのとき、きっと「しびれた」ことだろうと思う。
それが、赦しというものだったのだ、と捉えたとしても、もちろん悪かろうはずがない。ただ、赦されたという体験は、他人がとやかく干渉して評価するべきものではないはずだ。ペトロは、殊更に「赦された」と饒舌に語りはしなかった。それでも、ペトロはそれを事実として信じ、一生の支えにしていたであろうことは、想像できる。もし私だったら、そうなのだろう、と思うのだ。
しかし、ペトロにとり、自分が赦されたという深い思いは、このことだけではなかったのではないか。いったい、ペトロについてのエピソードは福音書に数多いが、それらすべてがペトロが度々語っていたに違いないことである。たくさん、証しをしたのだ。たくさん、自分の失敗を話したのだ。いま逐一挙げはしないが、ペトロは、この否認だけに限らず、多くの赦しを受けながら、イエスと共に歩いていたのである。
そんな失態を、常々語っていたのだ。そして、自身の失態や恥ずかしい勘違いを、ちゃんと語っていた、ということに、大きな意義があるのだと思う。これを語れるところに、ペトロの強さがあった。否、そこにこそ、赦された喜びがあったのだ。
私たちはどうだろう。自分の信仰体験を、洗礼のとき、あるいは転入会のときに、語ることがあるはずだ。その他、体験談を語るようなプログラムも、集会によってはいろいろあるだろうと思う。もちろん、そうした場は公的なものでもあるし、何もかもあけすけに話せるものではないし、話す必要もない。誰かを傷つけるような内容や、迷惑や混乱を及ぼすことを考慮すると、言葉はぼかして当然構わない。が、何らかのそうた語りがなければ、そこには赦しも信仰も、ないものだ、と言いたい。
特に、神の言葉を語るような立場にある者にとっては、それは必須である。そうしたものを語らないならまだしも、語れないような者が神の言葉を取り次ぐことはできない。もしやっていたら、それは「語り」ではなく「騙り」である。
こうした告白を「きよめ」と呼ぶとしたら、それはプロテスタントの一部の流派に過ぎない、と思われるかもしれない。だから呼び方はどうであってもよい。神の前に、自分というものを明け渡すことなくしても、信仰も救いもないのである。そのような自分は、すでに死んでいるというところから、キリストが私の内に生きていると言えるからである。
まずは、はっきりと主に対して、告白するという事実がなければならない。それから、主に告白したからには、何らかの形で自然に、信頼できる仲間には零れていくことがありうるはずだ。人間同士の交わりであるから、柵もあるし、中には誰かに伝わってはいけない出来事というのもある。しかし、神の前に告白した真実については、何かが、仲間には伝わるはずである。自分の罪を認識できない者は、如何なる場合においても、自分の罪という問題が、その口から漏れることはないのだ。あるいは、極めて教義的な、形だけの告白しか出てこないものである。
それはもう恥ずかしいことの連続である。神の前に、恥ずかしいというような言葉を超越した心が、毎日明らかにされていく。一向に前進しないような、むしろ後退しているばかりのような、自分を見ると、本当に嫌になる。だが、だからこそ、こうして生かされていることを強く実感することができる。
他方ペトロは、共同体の責任者として、日和見的に組織を護るような考え方で問題を凌いでいたのではないか、とも私は推察する。だから、パウロから非難されることもあった。凡そ組織的な運営などということとは無縁なパウロには、そういう煮え切らない態度が許せなかったのかもしれない。私たちもまた、仲間の一人ひとりの、置かれた立場というものの役割を思いやる必要があると言えるだろう。
だがまた、足元が疎かになってのことだが、集団で幻想に浸り、お互いに、誰か他人の責任に任せるばかりとなっていくとき、集団は結果的に取り返しのつかないものに陥ってしまうかもしれない。私たちは、歴史の中で、それを幾度も経験している。国家というレベルでもそうだし、キリスト教世界でもそうである。
その警戒も、怠ってはならない。それでいて、一人ひとりが神と出会い、自身の至らなさに打ちひしがれながらも、そこに神から赦されたという確信を懐くことによって、いまここで生かされる必要がある。それから、明日への一歩を歩き始めるのである。そして、ふと口を突いて出るものをもつ。ペトロのように、自身の失態と、神の栄光とを。