【メッセージ】三十六計逃げるに如かず

2022年12月18日

(マタイ2:13-15, ルカ1:46-55)

ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ退き、ヘロデが死ぬまでそこにいた。(マタイ2:14-15)
 
初めて父親になるということは、男にとり大きな出来事となります。結婚することで、自分の父親と近い視野が与えられるのは確かですが、やはり自分も父親となって初めて、世界が変わるように思います。
 
朝方でした。前の夜に陣痛が始まったということから、長い夜を過ごしました。我が子を抱えて、言い様のない感動を覚えてから、一旦家に帰る時刻は、出勤する人々とすれ違うような形で歩いていました。ええ、家までは歩ける距離でしたから。
 
いつもと同じ朝の光のはずでした。しかし私には、世界が全く違って見えました。「いま、僕は父親になったんです」と、そこらを行く人を一人ひとり捕まえて、告げたい気持ちさえしました。あの朝の景色は、生涯忘れることができません。
 
第一子の誕生したその日は、私にとり世界を変える記念日でした。しかし妻にとっては、そうではないと言います。もちろん、大変な労苦です。創世記のエバに神が「私はあなたの身ごもりの苦しみを大いに増す。/あなたは苦しんで子を産むことになる」(3:16)と告げたように、女性の背負ったこの命懸けの営みに、無力な私はただただ敬服するばかりです。パウロが「産みの苦しみ」と言ったところで、自ら経験することもなく、父親としてそれを見ることもなく、あまり説得力がないようにも思ってしまいます。
 
妻が言うには、女性にとり、出産の日が誕生日だという感覚が薄いのだそうです。すでに胎内に存在していた子です。半年以上共に生きようと闘ってきた同志のような相手なのです。切迫流産で生死の境をさまよっていた子でもありましたから、確かにそこにいるという感覚で過ごしてきたことになりましょう。胎内で動けば、なおさらです。
 
ですから「こんにちは赤ちゃん」という歌で梓みちよが「私がママよ」と声をかけるのは、リアリティに欠けているのだそうです。作詞の永六輔さんが、男の作詞家でしょ、と見破られたと頭を掻いていたエピソードは有名です。元々、パパの心情を詩に書いたというのです。作曲の中村八大さんの子が生まれたお祝いに、パパの気持ちを書いて贈ったのでした。
 
聖書では、神のことを「父」と呼ぶ場面があります。特に新約聖書で、イエスから見て神を「父」と呼ぶのが殆どです。主の祈りを教える場面で、「われらの父」と祈れ、と言うために、私たちも「天のお父さま」や「天の父なる神さま」のような言い方で祈るようになりました。イエスと同じではないにしろ、私たちは「神の子」だと呼ばれることがありますから、益々「父」という見方が当たり前になっていきました。
 
しかし近年、どうして神が「男」である「父」なのか、という疑問が出され始めました。神学的な問題を含んでくることになるでしょう。また、教会学校では特にそうですが、現実の家庭環境において、父親が一緒にいないとか、父という名を出すこと自体、悪夢のような経験を背負っているためにその言葉だけでトラウマを覚えるとかいうケースには気をつけなければならないとされます。あるいは父親の不幸な事態のために度々意識させられるというようなこともあり、教会が一律「天の父」という祈りを繰り返すことについて、改めてデリケートな配慮が必要になる、という問題もあろうかと思います。
 
◆母マリア
 
母親にとり、出産の瞬間が母親になるのではない、ということを教えられました。するとまた、似たような観点から、キリストの誕生についても、問い直してみたいことがあります。クリスマスはイエスの誕生を祝う、とされています。ではそのお祝いは、イエスがおぎゃーと産まれた瞬間を指して言うべきなのだろうか、ということです。
 
マリアは、当時の生活感からすると、まだ十代半ばほどの年齢であっただろうと推測されています。突如、天使ガブリエルの訪問を受けました。「あなたは神から恵みをいただいた」(ルカ1:30)と天使は告げながら、「あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい」(1:31)と、実に強引に、とんでもない話を持ちかけます。マリアが戸惑うのは当然です。
 
この後、同じくガブリエルの訪問を受け、長らく子宝に恵まれなかった親戚のエリサベツのところに、マリアは向かいます。エリサベツが妊娠したという知らせを聞いたのです。しかしその祝福というよりも、むしろエリサベツの方がマリアに向かって、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(1:45)と祝福します。そしてそれを受けて、マリアはしばし陶酔したような祈りの言葉を口にします。有名な「マリアの賛歌」です。
 
46: そこで、マリアは言った。/「私の魂は主を崇め
47: 私の霊は救い主である神を喜びたたえます。
48: この卑しい仕え女に/目を留めてくださったからです。/今から後、いつの世の人も/私を幸いな者と言うでしょう。
49: 力ある方が/私に大いなることをしてくださったからです。/その御名は聖であり
50: その慈しみは代々限りなく/主を畏れる者に及びます。
51: 主は御腕をもって力を振るい/思い上がる者を追い散らし
52: 権力ある者をその座から引き降ろし/低い者を高く上げ
53: 飢えた人を良い物で満たし/富める者を何も持たせずに追い払い
54: 慈しみを忘れず/その僕イスラエルを助けてくださいました。
55: 私たちの先祖に語られたとおり/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
 
これについては、細かな解説もいろいろありますし、これだけで一冊の本ができるほどです。申し訳ありませんが、今日はそれに挑む時間も、私の能力もありません。ただ、ここにマリアの一種の勇敢さのようなものを見出して、私たちは先へ進みたいと思います。それにしても、「権力ある者をその座から引き降ろし……富める者を何も持たせずに追い払い」とは、かなり強い態度だと言えないでしょうか。神を信頼するとき、弱きを助け強きをくじく、神の恵みを思うことがありますが、マリアは勇敢に、激しく強者を批判しているように見えます。子を宿す母としての強さのように感じてはいけないでしょうか。
 
◆父ヨセフ
 
では、父ヨセフはどうだったでしょうか。マリアについてはルカによる福音書が詳しく記しているのに対して、ヨセフを描くのは、マタイによる福音書です。ただ、ヨセフは実のところ、一言も「言葉」を発していません。そこにあるのは、ただ行動のみです。ルカとは記者が異なるせいかもしれませんが、父ヨセフは、寡黙で、ただ行動をします。その行動には、何が見られるでしょうか。
 
ヨセフが夢の中で、マリアの事情などを告げ知らされたときのことは、今日はテクストとしては用いていません。よく知られた物語(マタイ1章)ですから、端折った形で思い起こします。マリアと婚約していたヨセフは、マリアが身ごもったことを知ります。聖霊によるのだ、とは聞いています。しかしこれは常識的には姦淫の罪にあたります。このままでいればマリアは石打ちの死刑となる可能性があります。そこで、婚約関係でなかったことにしようと考えました。そこへ天使が夢に現れて、マリアを迎え入れるよう促します。その子は特別な存在であることまで約束しますが、それはイザヤ書に根拠を置くものでした。ヨセフは眠りから覚めると、マリアを迎え、やがて赤ちゃんが産まれるということになったのでした。
 
その後、東方の博士たちの訪問を受け、それから今日取り上げたエジプトへの逃避行となるのですが、このすべてにわたって、ヨセフが何か喋ったという記録がありません。「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ」(1:24)た、というように、心の中で思ったことすら記されません。せいぜいマリアのことを知ったときに、「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」(1:19)というくらいですが、これも聖書記者の視点から書かれているだけで、ヨセフその人の心情が吐露されているのではないように見えます。
 
ルカの描くマリアが饒舌なのに対して、マタイの描くヨセフは、全く言葉を吐きません。ただ行動するだけです。それを確かめつつ、博士たちが訪問して、それから帰って行った後の場面を見ましょう。
 
13:博士たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、幼子とその母を連れて、エジプトへ逃げ、私が告げるまで、そこにいなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
14:ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ退き、
15:ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「私は、エジプトから私の子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。
 
ここでも、ヨセフはただその行動だけが描かれています。一言も発しません。行動の人としてのヨセフに私たちは注目することができます。が、ここで気づくことがあります。新しい王の誕生を恐れるヘロデ王が、幼子を殺そうとしているという情報が入ると、ヨセフはエジプトへ逃げるのです。もちろん、主の天使がそう指示したからではあります。ただ主に従っただけ、と言えばその通りです。
 
しかし、前にマリアのことを知ったときにも、ヨセフは「ひそかに離縁しようと決心した」(1:19)のでした。マタイはこれを「正しい人であったので」(1:19)としていますし、事実そうなのですが、これはひとつの「逃げ」である、と見るのは、あまりにもヨセフに対して厳しい言い方をすることになるでしょうか。その子を背負ってどんな辛い立場で生きていかなければならないか知れないマリアから、関わりのないところへ自分を逃がすのです。婚約者というのは、ユダヤ社会では事実上の夫婦と見られて然るべき存在だったという話ですが、そこまでの関係になった相手の窮地から、逃げているのです。
 
いやいや、それはそういう立場になったことのない者による厳しい見方だよ、と言われるかもしれません。実際その当事者になったら、ヨセフのやったことが最善にしか見えないよ、と諭されるかもしれません。それでも、現実の中からどこか逃げている、という図式を、私たちは心に留めておきたいと思うのです。私は、ヨセフが悪いとか、だらしがない、などと言っているのではありません。ヘロデから、マリアから、ヨセフは逃げた、あるいは逃げようとした、という点を、まずはただ押えておきたいのです。
 
◆逃げる
 
逃げることには、積極的な意味がある。ヨセフが、そうした見方を可能にしてくれることを期待して、ここから歩んでいくことにします。
 
逃げることに積極性を与える知恵を、日本人は知っていると思います。「三十六計逃げるに如かず」という言葉を思い出したのです。トラブルに際して、逃げることが最善だ、という意味で使う言葉です。若い人の知識の範疇からは、もう外れてしまったでしょうか。
 
これを私が知ったのは、マンガ『巨人の星』でした。青雲高校に入った星飛雄馬が剛速球を投げることが分かり、柔道部の主将だった伴宙太が、そんな球など簡単に捕れるなどと言ったことから、飛雄馬の球を実際に捕ってみることになる。しかし捕球できず、伴の胸を剛速球が襲い、伴は倒れる。飛雄馬は身の危険を感じ、マウンドから逃げ出すのです。そのときに「三十六計逃げるに如かず」と口にしていました。この場面は、ネット検索しても出てこないので、私の記憶だけで言っています。もし違っていたら、ご存じの方は教えてください。
 
え、その後どうなったか気になりますか? 伴は前のめりに倒れた状態から、飛雄馬に球を投げ返します。あんなへなちゃこ球を俺が捕れないはずがない、ということで、また投げろと言うのです。幾度も投げては胸で受け、ぼろぼろになりながらも、もっと投げろと伴が言います。次の日も同じでした。が、最後に一球、ついに捕球できました。伴は子どものように喜びます。が、飛雄馬は傷ついていました。野球部の捕手が捕れないならば、自分が野球部で投げることができない、と肩を落とし、マウンドを去ります。
 
しかし、伴が野球部に入る、と飛雄馬の家を訪ねてきました。自分は柔道では全国一にもなり、目標がなくなった、おまえと一緒に甲子園を目指す、と言うのです。飛雄馬はそのことはうれしいのですが、伴に謝らねばならないことがある、と言い、一度柔道で投げてくれ、と願います。最初に伴がぶっ倒れたとき、自分は追いかけられて殴られると逃げた。伴を侮辱したのだ、と言うのです。そこで伴は一度飛雄馬を投げ飛ばします。しかしこれで互いに心のわだかまりはとれることとなり、ここから伴と飛雄馬の友情が始まるのでした。
 
「三十六計逃げるに如かず」は、言わば「逃げるが勝ち」という意味で使うわけですが、しかし今回、気になってウェブサイトで調べていると、「日本大百科全書(ニッポニカ)」の説明を見て、愕然としました。故事の引用は略しますが、逃げた敵を嘲った故事に由来する、というふうなことが書かれていたのです。「敵前逃亡する者を卑怯者とののしること」が語源的な意味だったのが、日本では、逃げることが上策だという意味に転じたのだ、という説明でした。
 
なんとももやもやとすることになりました。逃げるというのは卑怯だ、という意味が、逃げるのが最善だ、となったというのなら、まるで正反対の意味になったことになります。「犬も歩けば棒に当たる」が、不運の意味から、幸運の意味に使われるようになったことを思い出します。「適当」という言葉が、相応しい意味から、いい加減な意味に使われるようになったことも思い出します。言葉というのは、なんとも不思議な経緯をもつものです。しかし、今の世では、「嫌よ嫌よも好きのうち」は、ほぼ使ってはならない言葉になってきていますので、ご用心くださいませ。
 
◆悪に立ち向かう勇気
 
逃げるのは卑怯なのか。確かに、アニメや映画でも、敵に対して勇敢に立ち向かうのが美徳のように描かれることが沢山あります。「主人公は死なない」というバックボーンがあるために、物語ではそうした芸当ができるのかもしれません。これが小説だと、勇敢に振る舞えなかったということで、主人公は凹み、くよくよ悩むことになる、というのが常道でしょうか。人間はかくも弱く悩むものなのだ、などという路線に入っていくのですが、これら映画でも小説でも、正反対の反応をするようで、実は同じ前提に立っています。逃げるのはよくない、という考えがそこにあるのです。
 
現実に、私たちも、逃げないわけにはゆかないように思います。会社の不正を暴くことが、どれほどできないことでしょうか。誰かがやってくれたらいいなあ、と思いつつも、決して自分はそれをすることができません。それどころか、上司に対して文句のひとつも言えないのが実情ではないでしょうか。現実生活では、私たちは逃げまくっています。闘う勇気など、持ち合わせていないのが普通です。もちろん、そうでない人もいらっしゃいますが……。
 
その点、勇気を振り絞り、組織の闇を露わにする女性たちが、近年現れていることについて、改めて敬意を表したいと思います。
 
けれどもしばしば私たちは、一度成立した権力には、抵抗ができなくなります。それは、ただ権力が強く威張っているというだけの理由からではありません。権力に立ち向かうことから逃げる、大多数の人が、実は権力側についてしまうからです。自分はわざわざ悪をするのではないよ、という態度でありながら、実は悪の勢力を支える者となってしまう構造があるのです。
 
いじめ問題でも、いじめている本人だけでなく、それを見て何もしない者がいじめに加担していることになるのではないか、と論じられたことがありました。その通りです。統一協会のしていることに気づきながらも、それを利用しているつもりの政党は、実はまんまと統一協会に利用されていたのであって、いいように政策をつくり、法律をつくらされていたわけです。
 
ようやく多くの人にその正体が知られ始めてきたものの、その組織は実に恐ろしいものです。なにしろ、自分たちに反するものはサタンなのだから、何をしても構わない、むしろサタンはどんな手段を使っても滅ぼせ、という思い込みに沿って行動させられるようになっているのです。そして、批判を受ければ、自分たちは「魔女狩り」に遭っているのだ、と正義を訴えます。どこまでも自分だけが正しいとする発想は怖いものです。私は経験がありますが、実際に、心がそれに支配されている人と対話をしてみると、心の呪縛がどれほど強く、また恐ろしいものを宿しているか、よく分かります。もちろん、そんなことをお勧めはしませんけれども。
 
しかし、だから統一協会は悪だ、というように今訴えようとしているのではありません。キリスト教会も現実に、そのような歴史を築いてきました。西洋の歴史がどうであったか、学んだ方は深く肯くはずです。では日本はそうではなかったか。そんなことはありません。キリスト教界の有名な指導者たちの中には、大政翼賛のために一役買った人も少なからずおり、聖書と日本神話とを結びつけるようなこともしていました。殆ど表には出て来ませんけれども。
 
それは時代の中で、そうせざるをえなかったのだ、という声を無視することは、致しません。人間の弱さの現れでもありますし、そうした場に置かれたら、私もそうするかもしれません。ただ、そのようなことをしたのだ、という事実からは、逃げてはならないと思うのです。イエスによってではなく、自分自身によって弁護死、是認してしまうようなことを自ら糾弾する勇気をもつことが必要だと思うのです。その事実から逃げない勇気は、私たちにあるでしょうか。
 
そこまで大袈裟な事態を想定しなくても、身近な教会生活で、そのようなことは多々あるはずです。たとえば牧師がでたらめな聖書の話をしても、誰も諫めることをしません。週報に嘘の字が印刷されていても、読むに堪えない文章が印刷されていても、それを指摘することはできません。それをした私は、ある「牧師」に「傲慢にも程がある」という言葉をぶつけられました。
 
◆逃げた経験
 
その私はどうだったか。威張るつもりはありません。勇敢さなど、欠片もありません。私は、専ら逃げて来た張本人でした。
 
私にとり最初の教会は、なんとか救いを求めて門を叩いたところでした。教会というところについては右も左も分かりませんから、ただ純朴に信じて、おとなしく言うことを聞いていました。しかし、聖書により罪を示され、救いを与えられたものですから、聖書を読めば読むほど、何か違うということを感じざるをえませんでした。
 
そこにいたことには、大きな意味がありました。そこでなければ、妻と出会うことができなかったのです。彼女も何か異様なものを、その教会に感じていました。やがて、京都の教会の合同のクリスマス・フェスティバルに導かれ、そこで会いたかったイエス・キリストに会えました。信仰の確信を得て、ついに二人で飛び出したのです。逃げたわけです。
 
聖書に照らし合わせて、その団体が独自に教え込んでいることはおかしい。手紙を送ると、その返事でぼろくそに言われました。悪魔呼ばわりされました。けれども、私から見れば、その教団こそ、カルトと呼ばれても仕方がない、特殊すぎるもので、聖書に書いていないことを第一のとするようなところでした。
 
フェスティバルの事務局をしていた教会に、イエス・キリストはいると思いました。私はそこで洗礼を受け、言うなれば健全な教会生活を送ることができました。民家を改造したその小さな教会で結婚式を挙げさせてもらいました。実に貧しい――いえ、質素な式でしたが、温かさは一入でした。
 
私の故郷の福岡に戻ることはいつか決めていたので、十年ほどで福岡に移り住みました。従って、この京都の教会だけは、いわば円満に旅立たせて戴いたことになります。但し、私たちが去った後に、この教会には大騒動が起こり、私たちの思い出の教会堂はなくなってしまいます。お世話になった牧師夫妻のほうが、いわば逃げたような形となりましたが、新しい教会を拓いたその牧師夫妻とは、今もなお親しく関わらせて戴いています。
 
福岡では、近くの教会の礼拝に出ることになり、長く客員として過ごしましたが、牧師が交代してから、違和感を覚え始めました。冷静に見ていくと、その人の信仰の根本的なところで問題があると確信し、人格的な点からも奇妙さを覚えるようになりました。それを意見したり話し合ったりする方法もあったには違いありませんが、結局私は、逃げました。
 
職場の近くに、私が日曜日に出勤するときに礼拝だけ出席させてもらっていた教会がありました。私たちを迎えてくれました。そこでは教会員となり、しばらく支えられ、また支えることもできていたと思いますが、人格的に問題のある人物が、無邪気に教会を荒らし、めちゃくちゃに壊してしまいました。そのとき、妻も精神的に被害を受けましたので、私は闘うこともせず、出て行きました。これも、逃げでした。残った方々が懸命に教会を立て直したことに協力できなかったことだけは、申し訳なく思っています。
 
不思議なもので、いろいろな伝で、何らかの教会に拾われるものです。新しい教会で、また和やかな信仰生活を送ることに恵まれました。ただ、そこも「牧師」という立場の人たちには、いろいろな問題がありました。信頼を裏切られる冷たい仕打ちに遭ったほか、やがて、とても牧師などと呼ぶことの許されないような人物を「牧師」に据えたとなると、信仰的にも堪えられなくなります。私たちにはやはり逃げることしかできなくなりました。
 
これほどの漂流をしているとなると、要するに私たちの方がおかしいのであって、それぞれの教会は何の問題もない普通の教会であるのでは、と思われるかもしれません。そうお思いになることを否定はしません。しかし、聖書を基準に置くときに、やはり私は私の信仰を貫かねばなりません。教会は、仲良し倶楽部ではないのです。信仰や救いに関心のない環境で、命を受けることのできない場で神を礼拝するということは、難しいと言わざるをえません。
 
ところがコロナ禍は、また不思議な導きを呼んできました。リモートという形で、距離に制約されないつながりが可能になります。まさにその信仰や救いの言葉を語る教会から、声がかかったのです。やっと神を礼拝できる。命の水を受けるという恵みがあり、神の真実をいま再び与えられています。京都の教会もそうでしたが、もちろんそのような礼拝の場からは、逃げる必要などありません。ヨセフがガリラヤに戻ってきたのも、こうした心境だったのかしら、と、あらぬ想像をしてしまいます。
 
◆神の国へ逃げる
 
大きな力、権力などに向き合って、闘う必要がある場合もあるでしょう。あるいは、長いものに巻かれるという選択肢もあろうかと思います。教会の歴史の中でも、そのように巻かれてしまっていたことがありました。その場に置かれた人の苦悩を思うと、私のような者が、それを批判するつもりはありません。けれども、やはり悔い改める必要はあることだっただろうと思います。
 
大きな力に対して、それにすんなり従ってしまうのか、それとも刃向かい闘うのか。この二択しかないのか、と問われれば、私は、逃げる道があってよいだろう、と考えます。
 
旧約聖書には、過失致死の罪の場合、報復されなくて済む「逃れの町」というものがありました。新約聖書では、八方ふさがりのようなところに、神は人を留め置かず、試練に耐えられるように「逃れの道」を用意してくださるのだ、という慰めもあります。
 
そのような言葉を握りしめておくならば、あなたも、きっと逃げてよいのです。自分の中の信仰に確信があるならば、そして神がその確信を与えてくださったのだ、という点で揺らぎがないのであれば、神の言葉を握りしめて、逃げてよいのです。ヨセフは、自ら逃げようともしましたし、神の言葉に従って逃げることもしました。やたらお喋りをすることもなく、行動としてすぐに表しました。ただ逃げたのです。
 
難民が世界にはたくさんいます。その方々を軽く見るようなことはできません。実生活で砲弾に追われ、政治思想の上で追われ、民族対立のために追われ、宗教のために、貧困のために、追われて逃げるということは、私の貧しい想像を遙かに超えた苦難に、心身共に追い込まれているに違いありません。何かできたらと願いつつも、何もできないでいることを申し訳なく思います。その上、私もまた逃げました、などと軽々しく口にすることは、本当に失礼であり、甘っちょろいものでしかないのだ、とも思います。ですから、命を懸けて亡命しようとするような人々に対して、申し訳ない気持ちで一杯ではあるのですが、それでもなお、抽象的な言い方で偉そうなことを言うつもりもないことをお断りします。生ぬるい場から呑気なことを言うものだと非難されても当然ですが、それでも、精神的に辛い立場の人がたくさんいらっしゃることなので、敢えて呼びかけたいと思います。
 
どんな境遇の人でも、受け容れてくれる亡命先があるからです。私も、ある意味でそのようにしました。神の国へ、亡命できるのです。イエス・キリストの後に従うならば、神の国へ、逃れることができるのです。信じるなら、いつでも、また永遠に、神の国に受け容れてもらえるのです。



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