言うべきこと

2022年11月18日

確か、小学六年生の時だったのではなかったか。交通安全の作文を書いたら、県で入選してしまった。公欠扱いで車に乗せられて、警察署に行って表彰されたことがあった。小学生に似つかわしくない、ルーズリーフファイルの、けっこうビジネスライクなものをもらったと思う。それと、テプラか何か。こういうのに現金関係は出ないことになっている。
 
その作文が、警察関係か何か、公的な新聞(広報紙)で公表された。交通遺児となった人の知らせを聞いて、それに同情し、車の運転をする人々に批判の矢を向けるような内容の作文だったと思う。それを読んだ父が、これはえらく運転者を悪く言いすぎたものではないだろうか、というような感想を漏らした。そうかな、と私は心の中で、自分の書いたものはそれはそれでよいと考えていたように思う。
 
車を運転する立場から、父は、そこまでの批判がたまらない、と思ったのではないか、と今なら思える。そのとき私は運転する立場ではなかったから、そちらの事情を知らないために、子どもの側の気持ちに完全に寄り添っていたのであろう。立場の分からないことについて、配慮する眼差しをもつことができなかった。
 
だが、自分だって、父の運転する車に乗ることはあったのである。その立場が分からない、などというのはありえないし、偽善ですらある。ただ、そこは子どもである。相手の立場に立つことができないようなことが、よくあったわけである。
 
そのときの自分から見ての正義というものがある。批判する相手は徹底的に悪であり、そう指摘する理由を、こちらはいくらでももっている。自分の考えているものの方が、絶対に正しい。子どもにありがちなそうした態度は、もしかすると私の中に今もなおあるのかもしれない。
 
成人してもそうした傾向があった私に、決定的な転換を与えたのは、聖書との出会いだった。自分の誤りというものを、こうも根本的に知らされたことは、それまでにはなかった。聖書の神との出会いは、生半可な「反省」のようなものとは、訳が違った。
 
もちろん私という個性の中には、かのスピリットがどこかにあるのであって、キリストに出会ったからすべてが卑屈になった、というようなことはない。だが、何かしらものを言うときには、必ずやブレーキがかかる。自分を相対的に見る眼差しというものを、忘れてしまうことは、まずないだろうと思われる。
 
その私が、執拗に主張することがあるとすれば、だからよほどのことである。その時でも、自分が正義であるとか、自分が善人であるとか、そんなことを前提にすることはない。ただ、言う必要があるということについては、言うことのほうが、責任は果たせるものだ、という示しを受けるときには、妙な配慮や忖度はしないつもりである。
 
はっきり誰かが言わなければ、伝わらない。人の顔色を見て、自分が言わなくてもいいかな、というような気持ちは、社交辞令の世界では当然そうあるべきだとも思えるが、それは一面で、無責任になることもある、そう考えるのである。
 
声を挙げなければ、誰も気づかないことがある。このことも、聖書から痛切に教えられたと言ってよい。黙っている美徳もあるにはあるが、それがすべてではない。
 
たとえ間違っていたとしても、発したことにより、初めて指摘されてそれを知るということになる。内心「おかしい」と思いつつ、互いに「いいですよね」とにこやかにしているのは、一見平和であるし、謙虚であるかのように見える場合があるのだが、それでは実際加害者になってしまうことになる場合すらあることをも、私は学んだ。
 
それでもなお、自分が重く、強く発する考えについては、慎重であるべきである。自ら膨らむようなことのないように。愛に反するものに、感情が操られないように。イエスを愛の方だと思うなら、それが常ににこやかに何でも赦すような態度をとったわけではないことを、思い知らなければならない。然りは然り、否は否。私はイエスとは決定的に違うけれど、それでも、神の言葉、預言者の言葉は、そのような私を通して命を伝えることだろう。それが信仰である。
 
それを聴かねばならない人に向けても、語る。ただ、概して、聴かねばならない人は、聴かない。教室で訓示を垂れても、聴くべき生徒に限って聴かないのと同様である。それでも、必要あることは、語らねばならない。聴く耳のある人には、それは命となると信じているからだ。



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